海の支配者 【下】
目的地へ歩みを進めていたレヴィスは、後ろで引き摺られながらついて行く私を一瞬見て、呆れた様にため息を吐いた。
「なぁ、悪かったって。あれ位しなきゃ諦めないと思ったんだよ」
その態度に腹が立ち、私は繋がれた手をブンブン振って離そうとする。
「知るか!そもそも!お前があの子に関わらなきゃ良かったんだろうが!」
「俺は下界では穏便でいきたいの。人付き合いだって必要だぞ?」
「人付き合いぃ!?今にも襲い掛かろうとしてた奴がよく言うなおい!あと手離せ!引き摺るな!」
「だぁめ。主すぐ迷子になるから。……ってか、主だって口付け嫌じゃなかった癖に。契約違反にならなかったし。もしかして俺の事好き?」
「んな訳あるか!バーカ!!」
「何だよ、そのガキみたいな台詞」
人混みど真ん中で行った行為のお陰で、ジューンは放心状態となり固まった。レヴィスは気にせず適当に周りに挨拶をすれば、同じく放心状態だった私の手を握ってその場を後にした。
強い力で連れていかれる途中で、漸く事態を理解した私はレヴィスを睨んでいる。だってあり得ないだろう?公共の場で大人のキッスよ?チュッじゃなくてブチューよ?
軽い調子で謝る奴に更に腹を立てながら、目的地の魚屋に着いたらしい。他と同じテント張りの出店だが、目立つ場所に看板が掲げられており、そこには魚の買取の案内もされていた。
出店には五十代程の女性が椅子に座っており、レヴィスに気づくと嬉しそうに笑いかける。
「おや!また魚を持ってきたのかい?」
「そ。買ってくれるよな?」
「当たり前じゃないか!さぁさぁ見せておくれ!」
レヴィスは頷き、籠を店主へ差し出す。彼女はそれを受け取れば、中に入った魚達を見て満足げな表情だ。
「立派な子達だ。多いから査定するのに時間が掛かるけど、いいね?」
「出来るだけ早く頼むよ。主引き連れて帰りが遅いと、うちの執事が煩いからさ」
店主は頷いて、手際よく魚を秤で測っている。レヴィスは店主と話し込んでおり、私は暇なので店の周りを眺めていた。
……何処からか、妙な視線を感じる。辺りを見回せば、人混みの中から此方を睨むジェーンがいた。あまりの目つきに、思わず悲鳴をあげそうになる。
気づいたレヴィスが振り返るが、私はなんでもない、と首を横に振ってはぐらかした。
「レヴィス、お手洗い行ってくる」
そう言えば、私はするりと手の拘束を解いて、お手洗いではなくジューンの元へ向かった。
ジューンは私が向かっていると分かれば、背を向けどんどん進んでいく。その後について行けば、やがて人混みから外れた、寂しい裏道へと連れてこられた。
その裏道を更に進み、辿り着いたのは人が居ない薄暗い場所だ。彼女の後ろに廃棄場もあるので、何かあっても証拠隠滅できそう。
立ち止まり背を向けているジューンに、私は声を掛けた。
「私に何か御用ですか?」
金髪が大きく揺れて、彼女は私へ振り向く。その目付きは明らかな敵意があるものだが、よく向けられるものとなんら変わりなかった。
「今すぐ貴女の黒魔術を解いて、レヴィスさんを自由にしてあげて!あの人の人生を返してあげてよ!!」
「……むしろ、人生返して欲しいのは私の方なのですが」
「しらばっくれる気なの!?貴女が魔女なのはみんな知ってるんだから!!」
私への怒りで顔を真っ赤にしながら、ジューンは甲高い声で叫ぶ。……さしずめ、私は彼女の王子様を捕らえる悪い魔女、って所だろうか?何をどう見たらそんな答えになるのだろうか?その思考回路を知りたい。
私は大きくため息を吐いて、わざとらしく首を横に振った。
「確かに私は魔女と呼ばれていますが、実のところ魔術やら魔法やらっていう、超自然的な事は出来ないんですよ。ただの、何処にでもいる異邦人です」
「貴女みたいな人に、レヴィスさんは望んで従っているって言いたいの!?」
「ええそうです」
真実はもっと悲惨なものだが、それを彼女に話す意味はない。ジューンはあり得ない、と言わんばかりに睨みを強くして、廃棄場から割れた瓶を取った。その鋭い切っ先を私に向けてしまうので、流石に慌てた。色々な意味で。
「ちょっ、あのジューンさん?」
「貴女のような醜女に!美しいレヴィスさんが望んで従うなんてあり得ない!!」
「お、おおお落ち着いてください!そんな物騒なものを私に向けないで!ジューンさん今とっても危険な状況ですよ!?」
「危険なのは分かってる!それでも!好きな人を助けるなら私はなんだってするわ!!」
私が慌てているので好機と見たのか、ジューンは切っ先を向けながら勢い良く此方へ走り出す。最悪だ、ちょっと罵倒されたら終わりだと思ったのに、飛んだ気狂い女だった。
彼女の勇ましい姿を見て、私は盛大にため息を吐く。
そして、この後の未来を見ぬように目を瞑った。
……案の定、彼女の切っ先は私に当たる事はなかった。
何処からか、意味がなくなった瓶の割れる音が聞こえる。
目を開ければ、ジューンの顔は地面に押し潰されていた。透明なガラス瓶は彼女の手の周りで砕けており、そこへ流れる血が色をつけていく。まだ指が微かに動いているので、生きているのだろう。
あまりの予想内で、悲惨な光景に顔を引き攣らせていれば……後ろから、私の体は大きな体に包み込まれた。奴のお気に入りの甘い香水が薄く香る。
顔を後ろへ向ければ、やはりレヴィスがいた。奴は眉を下げながら、心配そうに此方を見ている。
「主、無事?」
「お前のおかげでね」
「よかった。主が怪我でもしたら、俺凹む」
「よく言うよ、お前こうなる事分かってて口付けした癖に」
じっとり目でそう答えてやれば、レヴィスは一瞬だけ目を開く。……だがすぐに、やけに色気のある表情を見せつけるのだ。
「人付き合いは大事だけど、その相手を選ぶ権利はあるからな。主に危害を与えてくれる人間なら、俺も好き勝手出来るし」
おお怖い、これだから悪魔ってのは恐ろしいんだ。
奴は、私がジューンの元へ向かっているのを知っていた。そして彼女が私へ「危害」を与えるのを待っていたのだ。通常悪魔は、契約をしていない人間に危害を加える事は禁じられている。だが第三の契約にて、私と契約した五人の悪魔は「契約者の保護」の内容がある。……保護とは決して、衣食住を与えるだけではない。
この悪魔達は、自分の見目に魅了された人間の中でも、特段面倒になりそうな者達がいた場合。こうやって私を巻き込んで処理する事が多い。……多分、私がローガンを殺すのを止めなければ、確実に八つ裂きにしてるんだろうなぁ……。
あまりの身勝手悪魔に半笑いをしていると、倒れていたジューンから呻き声が聞こえた。苦痛に塗れた呼吸を繰り返し、全身を痙攣させながら顔を上げていく。彼女の高い鼻は潰れ、笑えば見える整った歯は折れていた。
口を魚の様にパクパクと開けて、レヴィスに向かって何かを伝えようとしている。だが喉が潰れているのか、顎が歪に曲がっているからなのか。彼女の言葉は耳に届かない。
無様に鳴くジューンへ。レヴィスは私から離れ、彼女の元へ穏やかに笑って近づいた。
「アンタ、前俺に言ってたよな?「素敵な奥さんになるのが夢」って。俺も同じような夢を持ってるんだよ」
近づく奴に、ジューンはもう恍惚とした笑みは向けない。恐怖に怯え、這いつくばった姿で必死に逃げようとしている。レヴィスも面白がって歩みをゆっくりと進ませる辺り、性格が悪すぎる。
「いつか主に、俺の可愛い奥さんになって貰うんだ。人間の夫婦みたいに、毎日愛を伝えて口付けをしたり。悪魔の夫婦みたいに、とことん欲に溺れて犯しあったり。そんな永遠を過ごすのが俺の夢。俺とジューンは似た夢を持ってるんだなって、ちょっといい奴だと思ってたんだ」
漸くジューンの側に近寄ったレヴィスは、彼女の背中に足をのせた。これ以上動けなくなったジューンは、泣きじゃくりながら呻く声を出す。
そんな彼女へ、レヴィスは変わらぬ声で囁くのだ。
「……アンタ。港の奴らを唆して、屋敷に夜襲しようとしてただろ?奴らには金品を、アンタは主の首を狙ってか?随分な事を考えたな」
「ナ”、ぁっ、デ!」
呻き、目を見開くジューンの態度から。レヴィスの言葉が真実だと教えてくれた。
……それは確かに、私の体を狙うレヴィスの逆鱗に触れている。王室から恩恵を受けている私の屋敷に夜襲とか、随分と無鉄砲な作戦だが……彼女の様に、私を「悪い魔女」だと思っている者は少なくない。城に報告を上げていないだけで、過去に魔女狩りだと襲って来た人間は多い。……まぁ、もれなく全員死んだが。地下室のジョンも多分その内の一人だと思う。
自分に恋した人間が、自分を助ける為に夜襲をしようとしている。他の悪魔に、私を危険に晒したのが自分の所為だと言われたくないのだろう。変にプライド高いし。
だが無闇に人間には手を出せない。故に契約者の出番だ。私に関わらせて、少しでも相手が私を陥れようとすれば、契約の名の下に何でもやり放題なのだから。クソッ、美味いパエリアに釣られてまんまと罠に嵌まった。
レヴィスはのせた足を揺らしながら、変わらぬ穏やかな声を出す。
「よくも俺の可愛い女に、暴言吐いたり手を出そうとしてくれたな。今から全部の骨折ってナメクジにしてやるよ。その辺に捨ててやるから、精々漁師の慰めでもしてろ醜豚」
「ア”、あ、アア……!?」
……うわぁ。こいつ、震え上がる様な台詞を笑顔で言ってやがる。己の未来に怯え、必死に暴れ逃げようとしているジューンの瞳が私を見た。
涙と血で汚れた顔は、私へ許しを乞うている。……元は自分の行動の所為なのに……いや、この子はまだ若いのだ。致し方ない。
私は生き生きとしたレヴィスの背中へ向けて、情状酌量を願い出ようとした。
……だが、その言葉を発する前に。此方へ向かってくる足音が聞こえたのだ。
◆◆◆
初めてイヴリンを見た時。この世にこんな可愛い生き物がいるのかと、自分の目を疑った。片手で潰せそうな小さな顔も唇も。闇の様な黒い目も。全部が最高に好みだった。
この娘が欲しい。深海に閉じ込めて、永遠に可愛がりたい。名を呼んでほしい。酷く甘く犯したい。そこまで勝手に思考が巡り、これが俗に言う一目惚れだと気づいた。……だから俺は、生まれて初めて人間と契約した。イヴリン欲しさに。
………まさか、そこから三十年も待たされるとは思わなかったが。
「ねぇ、レヴィス怒ってる?」
港町からの帰りの馬車。俺の膝の上にのったイヴリンは、何処か怯えた表情で俺を見た。どうやらここまで無言だった俺が、ジューンの出来事でまだ怒っていると思ったのだろう。俺の機嫌を良くするために膝の上にのっていたのだろうが……よく分かってる。首元に鼻を擦り寄せて、堪らない匂いを堪能する。機嫌取りに徹しているイヴリンは、嫌な顔をしながらもされるがままだ。
「全然?むしろ面倒な事が減ってよかったよ」
「ならいいんだけど……ってか、レヴィスが魚売ってた店主、まさか悪魔だとはね」
「あー……悪魔って括りでいいのか分からないが……まぁ人間も喰うし、悪魔でいいか」
ジューンが見事罠に嵌まり。処理をしようとしていた最中に現れたのは、人型に化けていたセイレーンだった。奴は俺に傅いて、ジューンを此方へ渡すように願い出た。どうやらこの娘を気に入っていた様だ。
獲物を取られるのは好きじゃない。俺は拒絶をしようとしたが……イヴリンが渡せと命令してきた。早く俺のパエリアが食いたいだの、おやつが食いたいだのと、どうにかして俺を宥めようと必死になっていた。
必死すぎて腕に絡まるイヴリンが可愛くて、醜豚に対する殺意もあっという間に消えた。なので願い通り、セイレーンにジューンを渡して帰路についたのだ。
「ジューンさんはセイレーンが助けてくれたし、あんな目に遭ったんだから、流石にうちを襲うとかもうないでしょ?あー!パエリア早く食べたいなぁー!」
気分良く足を揺らすイヴリンは、もう先程の出来事を無かった事にしている。頭の中は今晩のパエリア一色だ。
そんな可愛いイヴリンの頭を撫でながら、俺は窓から見える広い海を眺めた。
「……そうだな。もう一生姿を現さないかも」
可愛いイヴリンには教えてやらない。セイレーンが「人間を助ける」なんてあり得ない事を。ただ渡すだけではない。あれは俺が与える筈だった「罰」の権利を、セイレーンに与えたのだと。……俺の罰は、随分と優しいものだったのだと。
再び黙る俺に、イヴリンが心配そうに俺の顔を覗く。そのいじらしい姿に、俺は普段通りの甘い声で囁くのだ。
「主、プティングも作ろうか?」
「え!?作って作って作って〜〜〜!!!」
俺の提案に喜び、もう一声と甘える様に擦り寄るイヴリン。哀れな豚。
そんな彼女が、俺はどうしようもなく愛おしい。
きっと。俺のものになったイヴリンは、もっと愛おしく見えてしまうのだろうか?




