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美しい友人

 6才の少女メアリーは、父の仕事場であるエレボール山に遊びに行くのが大好きだった。

 学校がない休日にはいつも山へ赴き、父に子供用のタイタンスーツ(人類がタイタンに入植し始めた当初は単に宇宙服と呼ばれていた)を着せてもらい、フェンスに囲まれ、照明に照らされた安全区画を、父の仕事が終わる時間まで駆けていた。

 まわりの大人は、好奇心旺盛な年頃だからどんなものにも興味が湧くのだと思い、メアリーを影で見守ることに徹し、安全区画から出ないよう注意すること以外は、彼女を自由にさせていた。それ故に、彼女に秘密の友達ができたことなど知る由もなかった。

「フィル、フィルどこ?あたしよ、メアリーよ」

 メアリーは、最近エレボール山に現れるようになった、変わった友達の名前をヘルメットのスピーカー越しから叫んだ。

 メアリーが名前を呼ぶと、ごつごつした氷の岩の影から、美しい琥珀色の羽を背中に生やした不思議な生命体が姿を現した。

 背丈はちょうどメアリーと同じくらいで、半透明の身体は常にオレンジ色に光っていた。

「おまたせフィル。きょうもきたよ」

 この不思議な友人は言葉を発さなかったため、メアリーは絵本の妖精の名前を友人につけた。フィルはメアリーの顔を見ると、背中の羽をばたつかせて駆け寄り、にっこりと微笑んだ。

「きょうもジャンプあそびしましょ。あのね、こないだね、おとうさんにジャンプあそびのことはなしたら、ちきゅうだとジャンプしても、あんまりたかくあがらないっていってたの。タイタンみたいなじゅうりょくがちいさいほしじゃないとだめなんだって」

 フィルはメアリーの話を熱心に聞いているようだった。メアリーが地球の話をすると、フィルはいつもタイタンの暗い空を見上げるので、メアリーはそんな友達の様子を見て、きっとフィルも地球に行きたいのではないかと思い、会うときは必ず、大人から聞いてきた地球の話を聞かせてあげていた。

「ちきゅうにはね、とりやさかなやライオンがいるのよ。おそらもあおくて、おひさまがおそらにいるからとってもあかるいんだって。それにね、くうきがあって、たいたんすーつがなくてもいきができて、おやまには、おはながいっぱいさいてるんだって」

 羽をばたつかせるフィル。

「あーあ。フィルがおとなたちにもみえればいいのに」

 メアリーは以前、迎えにきた父にフィルを見せようとしたが、父にはフィルが見えず、フィルのことを話しても、真面目に聞いてはくれなかった。母や学校の先生に話しても同様で、まわりの大人たちは、フィルというのは、その年齢の子どもなら誰もが持つメアリーのイマジナリーフレンドのことだろうと思っていた。

「フィルがみえれば、ちきゅうにりょこうにつれていってもらって、あかるいおそらをとばせてあげられるのに」

 フィルの琥珀色の羽を見てメアリーは呟いた。フィルはメアリーの呟きを気に留めることなく、彼女の手をとり、ぴょんぴょんと跳ねた。

「ごめんね。はやくあそびましょ。きっといつか、おとなにもフィルがみえるようになるよね」

 好奇心旺盛な少女は考えることをやめて、奇妙な友達と共にジャンプ遊びを始めた。



 液体メタンで満たされたラドガ湖には、現代科学によって復元された、地球の海洋古生物たちが生息している。11才の少年ペドロは、両親に連れられて古生物を見に、ラドガ湖を訪れていた。

「ペドロ、私たちが乗る潜水艇は次の便だそうだ。私と母さんはラウンジでコーヒーを飲んでいるが、お前はどうする?」

「ぼく、湖畔を散歩しててもいい?」

 ペドロは両親の返答を聞くよりも前にヘルメットをかぶり始めていた。

「構わんよ。ただし、あまり遠くへ行くなよ。それから、絶対にスーツのヘルメットを外さんようにな。」

「あと、湖に入っちゃだめよ」

 駆け出すペドロ。

「ちょっと、ちゃんと聞いてるの!」

「わかってます。何かあったら、スーツの救難スイッチを押して知らせます」

 後ろで叫ぶ母に振り向かずにペドロは返す。

「大丈夫かしら」

「まあ母さん、男はあれくらいのほうがいい」

 両親はラウンジを出ていくペドロの背中を見送った。

「もう。言われなくてもわかってるのに」

 ペドロは外灯に照らされた湖のほとりを歩きながら、時折、湖面に視線を向けた。

 自分を心配しているのは分かっていても、何かと親に反抗してみたい年頃のペドロは、両親のお節介を嫌がっていた。湖畔を一人で歩く気になったのも、人前で一家揃ってお茶を飲むなんて格好悪いと思ったからだった。

「いい年して、親にベタベタなんてできるか」

 もし、今日の古生物見学にクラスメートが混じっていて、家族といるところを見られたりしたら、学校で笑い者になってしまう。それだけはなんとしても避けなればならない。だから今日は、なるべく親から離れて過ごすことにした。

 本当は両親とドライブがてらに古生物見学ということ自体、非常に恥ずかしいのだが、アノマロカリスやハルキゲニアといった、絶滅動物が動いている様を見たいという好奇心が、彼の羞恥心に勝ってしまったのだ。

 コロニーを出発した直後、この羞恥心は収まったが、ラドガ湖に到着した途端、収まったはずの羞恥心が再び膨れ上がり、落ち着いていることができなくなった。ペドロはこれを、湖畔を歩いてなんとか捨て去ろうとした。

「ちぇ。早く大人になって親から離れたい」

 ペドロは11才になってから、それまで何とも思わなかったことが急に恥ずかしく思うようになり、そのことを恥ずかしく思わなかった自分自身を呪いたくなるがことが多々あった。こんな経験をしないと大人になれないのだろうか。あの両親にも、こんな時期があったのだろうか。彼は大人と子供の狭間を彷徨っていた。好奇心や羞恥心が子供の感情なら、歩いて捨てよう。捨ててしまおう、この子供の心を。

 ペドロがしばらく歩いていると、前方に光る何かを見つけた。よく見ると、光る人のようなものが膝を抱えて湖のほとりに座り込んでいる。

「なんだあれ?」

 オレンジ色に光るそれは、座り込んで丸まった背中から、綺麗な羽を生やしていた。それは、静かに湖面を見つめているだけでペドロに気付いている様子はない。

「あれは生き物なのか?・・・ようし」

 ペドロは足下にあった小石を拾い、光る人のそばに投げた。こつんと乾いた音が響く。(ヘルメットの集音器が音を拾った)

 光る人は驚いて飛び上がり、ほとりを走り出した。

 「待って。待っててば」

 ペドロは慌てて追い掛けた。

 ふわりと舞うように走る、光る人の羽がゆらゆらと揺れている。

「ごめん。ごめんよ、びっくりさせるつもりはなかったんだ」

 光る人は、ペドロの方に振り向いて動きを止めた。警戒しているようだった。

「驚かせちゃってごめんね。ぼくはペドロ。きみは?」

 追いついたペドロは、グローブに包まれた手を差し出して名乗った。光る人は、おそるおそるその手を握り、ヘルメットの中のペドロの顔を見つめた。

「きみ、人間じゃ・・・ない、よね?」

 言葉が話せないのか、光る人は首を傾げるだけで何も言わない。

「ねぇ、驚かせちゃったお詫びに、いっしよに湖畔を歩かない?」

 光る人は何も喋らない代わりに、羽をばたつかせた。

「ぼくたち、友達になれるかな?」

『友達』という言葉を聞いて、光る人は笑顔になった。人間の言葉が通じているようだった。

 「喋れないならぼくが名前をつけてあげるよ。そうだな、うん、レモラ、レモラがいいな。君の名前はレモラだ。よろしくねレモラ」

 レモラと名付けられた光る人は、ペドロの手を握ったまま歩き始めた。

 「きみ、どこから来たの?もしかして異星人?」

 レモラは最初に自らを指差し、次に薄暗い、タイタンの空を指差した。

 「宇宙?すごい!ぼくはね、えっと、ぼくらは『人間』っていう生き物なんだ。それでね、人間はもともと、地球っていう星で産まれた生き物なんだけど、そこを出て、このタイタンに移住してきた人間たちがいるんだよ。ぼくはその人間の子孫さ。それからね、タイタンに住んでいる人たちのことをタイタン人(ティタニアン)っていうんだ」

 ペドロは捨てた筈の少年の心が、いつの間にか、自分の中に戻ってきているのを感じた。不思議な生き物に出会い、好奇心が自分の精神を完全に少年に戻してしまったのだと思った。でも、それでいいのかも知れない。この思いを持ったまま大人になった人はたくさんいる筈だ。例えば、学者や博士は好奇心という感情を糧にして、それぞれの分野を追究した者であるし、このタイタンを最初に開拓した人々は、きっと、好奇心を抱いてこの星を訪れたのだろう。ならぼくも、この思いを忘れずに大人になろう。そして、何かひとつのことを極めた、偉い人になろう。

 思案するペドロを、レモラは優しい眼差しで見つめていた。



 このような具合に、ティタニアンの子どもたちのそばには必ず、美しい羽を持つ光る友人―――土星の妖精(サターン・フェアリー)がいた。


 エルドラドコロニーの音楽都市、ニルヴァーナシティでは、ギターやベースを弾く子どもたちの観客は妖精であり、少女が演奏するピアノの連弾の相手はいつも妖精だった。


 アラキス平原で鬼ごっこをする幾人の子どもと妖精、ニムロス丘で鉱物採集に勤しむ子どもとそれを手伝う妖精、グァボニトクレーターで妖精に愛を伝える12才の少年、聞き手が娘のほかに一人増えていることに気付かずに、ベッドで絵本を読み聞かせている母親。



 タイタンに辿り着いた妖精たちは、大人には姿が見えない性質を利用して人間の子どもに接触していた。妖精と接触した子どもたちは成長後、非常に優秀な政治家や学者、スポーツ選手になり、人類の発展に貢献するほどの活躍を見せた。

 そんな彼らに共通していたのは、ある日、妖精が彼らの前から忽然と姿を消してしまうということだった。さらに、妖精がいなくなった直後は誰しも悲しみに暮れるが、数日経つと彼らの記憶から、妖精の存在そのものが消滅してしまうのである。成長した子どもたちが過去を述懐しても、妖精が登場することはなく、地質学者になったメアリーは、ずっと一人でエレボール山を駆け回っていたとしか思い出せず、詩人のペドロはあの日、一人で湖畔を散歩していたとしか憶えていなかった。それは他の子どもたちも同様であった。


 種族としての寿命を迎えた妖精たちは、絶滅すると同時に、存在ごとこの世界から消えてしまったのだ。

 かつて土星に生まれ、タイタンの大地を楽園とした、琥珀色の羽を持つ美しい妖精のことを憶えている者は、もう誰もいない。

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