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梟に捧げる愛  作者: 小さな月
宿り木のない梟
9/9

 幸いなことに、エキドナがすぐに治癒魔法をかけてくれたので、傷はふさがったし、出血も大したことはなかった。集まってきた野次馬を、第五師団の騎士が追い払い、ひとりの騎士がアイザックに肩を貸し控えの間へ運んだのが一時間前だ。

 チヴェッタは王太子と令嬢達の相性占いを終えていたし、罪悪感もあって、アイザックに付き添うと申し出た。心配する令嬢や侍女からすごい目で睨まれたけど、気にしないでおいた。


「…………」


 アイザックは長椅子に横になり、ゆっくりと瞬きを繰り返している。気を失うような傷ではなかった。騎士服には血が滲んでいて、チヴェッタはそれを見るたび、深い罪悪感で胸が痛んだ。

 私が貴方と関わったから……私のせい。

 自分を責めた。魔法使いなのに、自分には占いしかない。

 それなのに、その占いが役に立たないなんて。


「……ごめんなさい」


「君のせいじゃないんだから、気にしなくていい。そんな顔をするな」


 チヴェッタは長椅子の近くに椅子を持って来て、そこに座っていた。手を伸ばせば、触れられる距離だ。


「久しぶりだな。元気だったか?」


「えぇ。毎日が穏やかだったわ」


 その返答で、アイザックは理解した。

 やはり、チヴェッタが嫌がらせを受けていたのは、自分が原因なのだと。


「貴方はどう? 良いお話が来たのではない?」


「良い話?」


「エルネスタが言っていたの。ダフネル伯爵令嬢は、貴方と婚約するかもしれない、って」


 こんな時にする話ではなかったのかもしれない。

 けれどチヴェッタは、距離を置きたかったのだ。現実の距離ではなく、心の距離。


「お受けするのでしょう?」


「……しない」


 思わず、顔を上げてしまった。見れば、アイザックは傷ついたみたいな、そんな顔をしているように見えた。


「しないの? どうして? お似合いだったのに……私には、貴族同士のことは、よくわからないけど」


 チヴェッタは目を伏せた。

 どうして? と聞くのは間違っていた。そんなことは、聞かないほうがよかったのに。


「彼女に恋してない。私が恋したのは――」


「貴方は恋をしないほうがいいと思うわ」


 チヴェッタが強引に、言葉を遮った。聞くべきではないと、本能的に悟ったからだ。


「……何故?」


 アイザックが、こちらを見た。深い青色の瞳が、チヴェッタを見つめている。


「チャールズ様が言っていたわ。叶わない恋もある。それならば知らないほうがいい。お互いのために、って」


 あのとき違うと思ったのに、口に出せなかったのは、わかっていたからだ。違うと言っても結局、それは詭弁でしかないのだと、わかっていた。


「貴方は恋をしてる。その相手は……貴族ではない?」


「あぁ」


「じゃあ、一生口にしないで。貴方の胸の中にだけ、秘めていて。それがお互いのためよ。苦しまずにすむ」


「……この恋が、悪いことみたいに言うんだな」


「良いことだと思ってたの? なら、考え直したほうがいいわ」


 チヴェッタは立ち上がり、テーブルに置かれたグラスに、水差しで水を注ぐ。グラスに手を触れて魔力を送れば、水は一瞬で冷たさを増した。

 このくらいはできるのだ。


「飲んで。落ち着くわ」


 差し出されたグラスを、アイザックは受け取り、言われた通り水を飲んだ。冷たい水が、喉を流れていく。


「好きだと伝えてはダメなのか?」


「ダメよ。いつか貴方は、絶対に後悔するから」


「占いで、そう視えたのか?」


「視なくてもわかる。わかりきった未来だもの」


 チヴェッタは運命を信じてる。

 それはロマンスとかいう甘いものじゃなくて、もっと重い――力、みたいなものとして。


「いつか、新しい恋を知るわ。古い恋は、しばらくは輝いているのかもしれないけど、いつの日にか色褪せて、貴方も忘れてしまう。だから貴方は――」


「チヴェッタ――俺が好きか?」


 アイザックは、言ってはいけないことを言った。好きか、ですって?

 そんなこと、間違っても貴族が魔法使いに聞いてはいけない。

 アイザックは手袋を外していた。上着も脱いでいる。シャツのボタンがいくつか外され、鎖骨が見えていた。

 チヴェッタは泣きたくなった。


「俺は君が好きだよ。これが恋、なんだと思う。とても心が、ふわふわしている」


「……今だけよ」


 貴方は何もわかってない。簡単に好きだと言ってしまって……。

 チヴェッタは今すぐ、部屋を出て行きたい気分になった。

 いや、窓を開けるだけでもいい。春の夜の風は、まだ冷たいはず。

 そう思って立ち上がろうとしたら、アイザックに手を掴まれ、そのまま胸に抱きしめられた。


「――――!」


 声が出なかった。師匠の気持ちが、今になってわかる。言いたいことがあるのに、うまく言葉が出てこない。

 いつもこんな気持ちで、男性と向かい合っていたのか。


「ただ一言、好きだと言ってくれれば、この恋は叶う。俺は君の、恋人になれる」


「い、嫌よ……っ」


 苦しいのは嫌! だって、貴方との仲を疑われただけでも、私の毎日は狂い出す。

 貴方は恋が、綺麗なものだと思ってる。美しくて、繊細で、芸術品か何かだと思ってる。

 そうじゃない。そうじゃないのよ。

 恋は苦しいのよ。砕けてしまったら、あの子のように人を恨んでしまうかもしれないし、現実を知って、幼い王子のように諦めてしまうかもしれない。

 だからチヴェッタは、アイザックから離れようと必死にもがいた。


「離して!」


「嫌だ」


「お願いだから!」


「離さない」


 アイザックの顔を、青色の瞳を見るのが怖かった。

 それなのにアイザックはチヴェッタを見つめて、そしてその瞳が、悲しげに揺れていた。青い瞳――とても澄んでいる。純粋で清らかな愛を、こんな梟に捧げようとしている。

 いけないことよ。それはダメ。

 私達、きっと結ばれない。そういう運命にあるはずなの。

 だってわかるわ。誰も認めない。応援しない。苦しいだけの恋――そして、砕け、敗れ去る恋。


「…………」


 チヴェッタは疲れて、アイザックの胸に体を預けた。今夜はたくさんの人の相性を――未来を視たから、疲れているのだ。

 いっそ、自分の未来が視えたらよかったのに。

 そしたらもっと具体的に、現実的な拒絶ができた。未来を知りたいと思った。自分の未来を。

 この美しい騎士と結ばれない未来を、知っておくべきなだったのだと思った。


「……私は……私の気持ちは……」


 チヴェッタは言葉にしようと思ったけれど、やっぱりできなかった。

 嫌いと言いなさい。貴方なんて嫌い!

 そう言えば、アイザックは離してくれる? もう、手を差し伸べてはくれなくなる?

 胸が痛い。息苦しい。

 やっぱり、恋は苦しいのだわ。

――やっぱり? やっぱりって何? まるで私が、とっくの昔に恋をしていたみたい。


「……貴方の瞳は、綺麗だわ」


 チヴェッタは、アイザックを見つめ返した。そっと前髪に触れてみた。アイザックは拒まなかった。

 恋――恋か。

 額に触れ、瞼に触れ、鼻とほおにも触れて、最後に唇には、キスをした。


「別れのキスだと言ったらどうする? 綺麗な思い出にしたかっただけだと言ったら」


「君はそんなタイプじゃない。それが答えだよ」


「私に何を求めるの? 何を――させたいの?」


「ただ俺が捧げる愛を受け取って、笑って。でももしも、君が俺を好きだと、愛していると思ってくれたのなら……いつか君の、本当の名前を知りたい」


 チヴェッタは目を伏せ、答えを探した。本名は、簡単に教えちゃダメなの。

 でもこの人は、知りたがっている。


「どうして知りたがるのか、わからないわ」


「とても大切なことだから。君に――求めるとき、本当の名前で呼びたいから」


 アイザックは、重要な部分を伏せた。

 その部分はまだ、口にすべきではないとわかっているのだ。


「…………」


 チヴェッタはするりと、アイザックから体を離した。

 そのまま窓際に歩み寄り、窓を開けた。少しだけ冷たい風が、熱のこもる体を落ち着かせていく。


「貴方が好きよ」


 告白は、誰もいない庭に向けて放たれた。

 恋をしてるのね、私は。

 泣きたくなった。胸は痛くないけど、苦しかった。


「……私、とても悲しいの」


「どうして?」


 アイザックが、ゆっくりとチヴェッタに歩み寄り、抱きしめた。優しい抱擁だ。逃がさないためではなく、愛しさを伝えるための抱擁。


「私の翼が……折れてしまったみたい」


 飛び立てない。空があんなにも遠いということを、チヴェッタは改めて思い知った。

 涙が、流れていた。


「貴方が好き。だから、名前を――正義を示す、古い名前を教えてあげる」


 大切に大切に、胸の奥の一番、深い場所に隠していたもの。


「ユースティティアと言うの。変でしょう? 似合わないわ」


 アイザックはただ、抱きしめてくれた。肯定とも否定とも取れる行為だったけれど、チヴェッタはそれでいいと思った。


「私は梟……正義は貴方にあげる」


「ありがとう。大切にするよ」


 チヴェッタは笑った。

 アイザックも、笑っていた。

 それがとても、嬉しいと思った。

 だって、無表情が崩れてる。恋に勝利した、勝者の顔だ。

 そして、愛を手に入れた幸福な男の顔。


「憎らしい人。……好きよ。多分、愛してるのかも」


 チヴェッタは深く息を吐き、アイザックに体を預けた。

 これが運命なのだろうか? 梟には視えない、梟自身の運命。

 チヴェッタは目を閉じて、一瞬だけ、視てみた。不思議ね。

 私、笑って泣いて、また笑ってた。貴方の手を離そうとして、貴方がそれを許さなくて、私は結局また、泣く。

 それだけしか視えなかった。

 それだけでいいと思った。

 貴方を信じるわ。貴方の愛を、信じる。


 ふたりは自然と、惹かれ合うようにキスをした。

 それはまぎれもない、恋人同士のキスだった。




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