第7話 ユドラの到着
いつも、いつも、ユドラは私の見ていないところでこんな痛みに耐え続けていたのかと思うと、涙を流さずにはいられなかった。
ごめんね、って言いたくなる。
こんなに苦しい目に遭っていたのに、私といる時はずっと優しいいつものユドラでいてくれてありがとう、って。そう言いたくなる。
帰ったら、うんと気持ちを伝えたい。
ユドラ、ありがとう。好き。私は、あなたのことが本当に大切。
大切だから……ちゃんとあなたを守り切るね。
私の身体がどうなろうとも――
「ん~フフフフフ~ン……フフフフフフ~ン……」
「はっは。ご機嫌ですな、ジオドリ所長。天捧歌七番の七節でございますか」
「こういう時に相応しい神聖な曲だ。我らが尊国、レイアードのご象徴である大天使ネーショラもさぞ喜んでおられるはずだからな」
その声が耳に入るだけで、身体中に強烈な拒絶感が走り、右目辺りに感じている痛みも強くなる。
「はぁ~……いやぁ~堪らない……堪らないよ……! さすがは『ワン』の鎖だ……!」
ユフ強制実験施設所長――ジオドリと、その取り巻きの施設幹部たち。
ジオドリは、私の右目から引きちぎった鎖の一部を指先でつまみ、それを恍惚の表情で宙に浮かせて見つめている。
私は儀式用のような台座の上で仰向けのまま拘束され、身動きが取れない状態。
鎖に包まれた心臓が痛いくらい跳ねていた。恐怖で汗も止まらない。
鎖を引きちぎられた右目辺りからは、血液が流れている。痛い。
視界も、血が唯一の視界である左目に入って赤黒くなる。
心の中で何度もユドラの名前を呟いた。そうすれば、多少の恐怖は和らぐはずだったから。
「素晴らしい……! 素晴らしいよ……ワン……! やはり君はすべての鎖者の始祖だったんだ……! わかるかい……!? この鎖の純度と輝き……そして……生命力のあふれるオーラが……!」
興奮しながら、ジオドリは仰向けのままの私に、たった今剥ぎ取ったばかりの血に濡れた神鎖を見せつけてくる。
「わかるわけ……ないでしょ……? 始祖とか……オーラとか……全部あなたの作り話なんだから……!」
ジオドリに睨みを利かせながら言うと、彼はそのまま興奮の表情で私の首を片手で掴んできた。
「がっ……!」
苦しい。
その左手は鱗のようなものに覆われていて、とても人間のものとは思えない。
不気味で、とてつもない力を持っていた。
呼吸が……できない……。
「わかるわけない、じゃない! わかれ! わかるんだ! ワンよ! 君の力は素晴らしいィ! このタイミング、この状況で、大天使からの『伝え言葉』が届いたのもやはりそういうことだったのだ! 力の循環! それが最高潮に達している! 素晴らしいよぉぉぉぉ!」
身体が震えた。
どうかしてる。
「今日という日をいったいどれだけ我々が待ち望んでいたか! 陽光魔法という神技の普及、それが他国に対して遅れているレイアード国もたった今終わりを迎える! あぁぁ……! 大天使ネーショラよ……! ありがとうございます……! ありがとうございます……! 我々の勝利でございます……! この『ワンの神鎖』を以てして、レイアードにも生命の息吹である陽光魔法が遂に溢れ返る……!」
ジオドリの言葉と共に、周りにいる幹部たちも次々とその場で涙を流し始め、嗚咽しだす。
所長の手が私から離れ、反射的に激しく咳込んでしまった。
荒い呼吸のまま、息絶え絶えの状態で言葉を口にする。
「どういうこと……? 私の鎖で陽光魔法の使用者が増えるって……訳がわからない……」
ジオドリの視線が私を刺す。
それは刺すと言っても、まるでこっちを舐め回すような、そんなものだ。
「……可愛らしいな。自身の力を理解していない者ほど愚かなことはない」
「……そんなの、知る必要が無いし、今でも本当なら知らなくてよかった。私にはユドラがいてくれるから」
私のセリフを受けて、ジオドリは高らかに嗤う。
周りの幹部たちも呆れるようにして嗤い、私に嫌な視線を次々と向けてきた。
「ゼロ、か。確かにあのガキが君の傍にいれば、我々としても容易に君へ手出しはできなかっただろう」
「あなたたちはこれから滅びる。理由は簡単。ユドラはここへ向かって来てるから」
「ふふふ。そうか、滅びるか」
意味ありげに笑みを浮かべるジオドリの横で、研究幹部の一人が口を開いた。
「ここが滅びても我々は構わない。陽光魔法を得るためのきっかけさえ手に入れば、この施設が崩壊しようと、誰がどれだけ死のうと、まるで一つも関係ないのだからな」
「あなたの親しい人が亡くなっても……良いって言うの……?」
私の問いかけに対し、その男は構わず頷いた。
嫌になる。
楽園内の生命の営み。
それとは対極的な位置にある、そんな人たちだと、心の底から呆れ返り、私は深く絶望した。
「どうしてなの……? 何があなたたちをそうさせるの……?」
無意味な問いかけなのはわかっている。
それでも、搾りかすのように出てしまったその言葉を、ジオドリは容赦なく両断してきた。
「本当の平和を手にするため、だよ」
「本当の平和……?」
頷くジオドリ。彼は続ける。
「傲慢な神とその女神は、我々の世界から、人間から、太陽そのものを奪い取った。陽光の届かなくなった世界で、私たちは神に叛逆なさった大天使たちを崇め、太陽の復活を必ずや達成させなければならない」
「……そんなの、人を殺す理由には……」
「大願を達成するために、少々の犠牲を拒んでなどいられない。これは人類総合の使命なのだよ、ワン?」
私へ言い聞かせるように、不気味なほど優しい口調と笑顔で語り掛けてくるジオドリ。
「人々のために、君には犠牲になってもらうほかない。それが、人を超えた力を持つ者の宿命だ。君からすれば、容易に理解できる話ではないかもしれないが、ね」
「……っ」
彼の指先。
それが、私の胸――いや、心臓にストンと落とされる。
触って欲しくない。
拒絶感が襲うけれど、その前に彼へ伝えておかなければいけないことがあった。
「……絵本には……そんなこと書いてなかった」
「……?」
ジオドリだけじゃない。
周りにいた幹部たちも疑問符を浮かべたのがわかった。
私は続ける。
「私の読んだ……『世界の創成記』には……そんなこと書いてなかった……! この世界から太陽が消えた原因は……神に叛逆した大天使たちにあるって……そう書いてあった!」
「…………ほぉ」
拘束具を軋ませるほど、私は身体に力を入れてみせる。
ジオドリの表情からは笑みが完全に消えた。
冷酷な眼差しだけが私を刺す。
「だから、太陽をよみがえらせるには……大天使……大天使をどうにかするしかな――」
瞬間、私の口はジオドリの不気味な手によって強引に掴まれる。
「――んんんっ!」
喋り続けることはできなくなった。
ミシ、と骨の軋むような音が聴こえる。
圧迫感と痛みでどうにかなりそう。
「君の言いたいことはよくわかったよ、ゼロ。だが、お喋りの時間はもう終わりだな。作り話でも大天使を愚弄することは許されない」
「んんんん!!!」
強い痛みに私は身をよじり、そのせいで拘束具がガチャガチャと音を立てる。
「さぁ、『解体』の続きをしよう。君のその右目にある神鎖、それをすべていただくよ」
唯一の視界――右目に鋭利な銀の刃物を突き立てようとしてくるジオドリ。
幹部たちは私の身体を抑えつけ、私はピクリとも動けなくなってしまった。
「んんんんんんんんんんんっっっ!!!」
嫌だ……嫌だ……嫌だ……!!!
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!!!!!
――ユドラ……! ユドラぁっ!!!
かちゃり、と。
神鎖に刃物を掛けられた刹那だった。
強烈な轟音がし、この一室……いや、この施設全体を揺らした。
「……大の男が、揃いも揃っていったい何をしてれくている……?」
何度も聴いていた馴染みのあるその声に、私は涙を止めることができなくなった。
床から天井へ無数に貫かれる、大きく、太い神鎖。
煙の舞う中から現れたのは、大量の神鎖と、血にまみれたボロボロのユドラだった。
「待たせて悪かったな、ナシャラ。今すぐに助ける」




