(5) 優雅な密会は突然に――その2
「残念ながら協力はできかねますわ。今回の話はなかったことにいたしましょう」
そう言って手にした宝玉を押し返してやれば、キンと金属に刃物を引っ掛けたような鋭い非難の声が禁じられた森に響き渡った。
「そんなっ!? お話と違うじゃありませんか!! ローラ様だってあの貧民あがりの女を遠からず憎んでいるはずでしょう? 先月の『博麗の儀』で受けた屈辱をお忘れなのですか!?」
「よりにもよってその話を持ち出すんですのね貴女、もしかしてわたくしを馬鹿にしているんですの?」
「い、いえそんなことは!! ただわたしはあの女に、ローラ様に復讐する機会を差し上げたいと――」
それが馬鹿にしていると言っているんですの。
……確かに、貴女の言う通りわたくしはあの小娘から手痛い反撃を受けましたわ。
正直、あの小娘がいなければわたくしの計画は完璧に成就していました。でもだからこそ――
「いま消してしまうのは惜しいんですの」
「どう、いうことですか?」
「貴女がたのような小物には死んでもわからない話ですわ」
確かに計画自体は悪くはない。
きっとマリーの計画に協力すれば、事故に見せかけて彼女を安全に呪殺することが可能だろう。
王族の目の前で暗殺事件が起きるなど誰も考えないだろう。
しかもそれが国王でなく特定の生徒を狙ったものだとすればなおさらだ。
そういう意味では貴族主義の大多数を掌握しているわたしに声をかける目の付け所は悪くないが、
「このわたくしを相手にどさくさに紛れて覗き見できるなんて本当に思っていますの?」
「あっ――ッッ!!!?」
そうしてヒョイっと彼女の腕にぶら下がったやけに趣味の悪いブレスレットを引きちぎれば、いままで感情を押し殺すように淀んだマリーの瞳に突然、動揺の色が浮かび上がった。
「なかなか雑な造りではありますが、これは魔法科学の試作品ですの? 乙女の秘密の会話をのぞき見しようなんて紳士の風上にも置けませんわね」
「か、返してください。それは魔道科のヴァレンタイン様がわたしのためにと一生懸命作ってくれた大事なものなんです!! 他のものなら何でも差し上げますからどうかそれだけは……ッ」
「ヴァレンタイン。ああ、あの根暗で陰険なしょうもない魔導士が発案者でしたの。見たところ何の変哲もないアミュレットのようですが……、貴方はこれがどういった代物かご存知で?」
冷めるような視線でマリーを見下ろせば、震えるような形で首を横に振る反応が返ってきた。
まぁ一学年の彼女が知らないのも無理はないが、これはアンチ魔法の起動装置だ。
術者の魔力に反応してごく短い範囲の魔法を一度だけ無効化する代物だが――
「この程度の密偵と魔法科学でわたしにすり寄ってくるなんて程度が知れるんじゃありませんこと? ねぇ、ヴァレンタイン卿?」
そう言ってブレスレットについた魔法石に語り掛けるようにして宙に放り投げれば、呪いを発動させる隙もなく杖を引き抜いた。
即座に消滅の呪文を唱えれば、弧を描くように宙を舞う宝石が瞬く間にまばゆい閃光を放ち――飲み込まれるようにして閃光が闇のなかに消えていった。
後には輝きを失った煤だけ。
当の被害者であるマリーは何が起こったのかよく理解していないようだが、
「盗聴魔法のかかった呪物ですわ。根暗な貴族主義の闇魔導士の考えそうなことですが――乙女の会話を盗み聞いていた上に証拠隠滅を図るなんて協力者のすることじゃありませんわね」
しかも、解呪の難しい昏睡の呪いを炸裂させようとするとは。
「まったく質が悪いにもほどがありますわね。ヴァレンタイン卿」
「そ、そんなそれじゃあ――」
「ええ、貴女。わたくしが助けなければ呪いでお陀仏でしたわよ」
よりにもよって使いっ走りのマリーごと始末してくるとは、徹底しているにもほどがある。
まぁ使えなくなったらポイは魔導士の中では常道と言えば常道かもしれないが、
「どちらにせよこの様子ですと、交渉決裂のようですわね。このような粗悪品の『お守り』を貴女に持たせるばかりか、逆上して呪いをまき散らすような姑息な殿方と組む気はありませんわ」
そう言ってひらひらと片手を振るい、その場を後にしようとしたところで、グイッとわたしのスカートを引っ張る感覚が足を縫い留めた。
「お、お待ちくださいローラ様!! ヴァレンタイン様がローラ様に危害を加えるなどあるはずがありません!! これはきっと何かの間違いです!! だから――」
「今回は目を瞑れと? 貴女も貴族の端くれなら交渉中の攻撃がどういう意味を持つかご存知でしょう? この期に及んでまだあの男を庇う理由はないと思うのですが……」
「そんなことありません!! きっとわたしがなにか粗相をしてしまったに違いありません。でなければヴァレンタイン様が呪いを発動させるなんてことありえないんです」
呆れた表情でマリーを見つめてやれば、食い縋るような剣幕で頭を下げるマリーの姿があった。
どうやら本気で言っているらしいが、貴女本気で言ってるんですの?
「お願いしますローラ様。どうかわたしに力を貸してください。ヴァレンタイン様は必ずローラ様のお役に立つはずです!!」
「貴女のなにがそうまで駆り立てますの?」
「マリアが――あの生意気な女がわたしたち貴族より上位の地位を得るなんてあってはいけないんです!! のほほんと突然屋敷に連れてこられて、今日からわたしの姉ですって? そんなの貴族の娘として受け入れられるはずがありません。わたしが――わたしこそが優秀でなくてはならないんです!! だから――ッッ」
ようやく本心を口にしましたわね。
でも――
「だからと言ってこんなの貴族らしくないものをわたしに身に着けろと? それこそ冗談じゃありませんわ」
その程度の同情話を聞かされて協力するはずがないでしょう。
わたくしを舐めるのもたいがいになさいなッッ!!
「――ッ、そういうローラ様だって、このままではいけないと感じているのでしょう?
魔法社会を正常に正すためには貴方のような高貴な御方の力が必要なんです!!」
「たしかにマリアはわたくしの目標達成に目障りな存在ですけど、あいにくとわたくしはそこまで高尚な考えは持ち合わせておりませんわ。今回は縁がなかったと諦めることですわね」
そう言って出来損ないの呪物を握りつぶしてやれば、案の定、マリーの抱えていた宝玉が深紅の宝石と共にバラバラと無残に砕け散った。
正面から絹を裂くような悲痛な声が上がり、慌てて這いつくばるようにして見苦しく宝玉の欠片をかき集めてみせるマリーの姿が。
「いいですの? 悪いことは言いません。あの方に近づくのはもうおやめなさい。
これはわたくしからの最後の忠告ですわ」
「いくらローラ様でもあの方の、ヴァレンタイン様のことを悪く言わないでください!! わたしはあの方を愛しています!! 裏切られようとわたしの愛は変わりません!!」
「ほぅ、ではどうするおつもりですか。あの根暗の願いをかなえるために杖でわたくしを従わせると? 他でもない貴女が?」
キッと睨み返してくる胆力は評価に値するし、杖を抜き放つ動きは堂に入っている。
できるものなら是非見てみたいがそれは不可能だろう。
なにせ――
「できるはずがないですわよね? だって貴族とはいえあなたは姉のマリアにすら劣るクディッチなのですから」
「それは……」
眉間にしわを寄せ言い淀んでみせるマリー。
よほど己の無力さが恨めしいのか、その唇には僅かに血がにじんでいた。
それにしても恋、ね。
「わたくしには己の命を賭けてまで恋慕する価値などないと思うのですが」
「あなたは恋したことがないからそういうことが言えるんです!! あの方はわたしを必要としてくれました!! 他人を使い捨てのように扱う貴女とは違うんです!!」
「なるほど、愛の為なら命をも捨てられると。
……わたしも一介の乙女。あなたの理屈はまぁなんとなくですが理解できますが、ローズさん。それはお金や権力より大事なものなんですの?」
そう言って首を傾げてやれば、愕然とした表情が返ってきた。
「貧しくても幸せで愛があればお金などいらないなど口では簡単に言えます。けど、そんなもの詭弁でしかありませんわ。一度でも飢えたことがあればそんなこと言えるはずありませんもの」
「わたしは、わたしはあの方さえ傍にいてくれたらそれでいいのです。あなただってマリアの存在が煩わしくてわたしの話に乗ってくれたのでしょう? 他でもない家の誇りの為に!!」
「勘違いなさらないでほしいのですが、わたくしの目的と貴女のような下賤な生まれの価値基準を一緒にしないでくれますか?
わたくしはあくまで今後の計画にあの子が邪魔なだけ。
他人からの愛情を期待して、無様に使い捨てられるつもりはありませんの」
愛した方が負け。
それはこの貴族社会に生まれ落ちた令嬢なら誰もが知っている常識だ。
といっても目の前のマリーにいくら何を言っても、盲目となった心にはどんな言葉も届かないだろう。だから――
「まぁせいぜい落ちぶれないように頑張ってくださいませ。貴女のためにこの計画は聞かなかったことにしてあげますわ。実行するなら精々後ろに気を付けることですわね」