リューカpart3 散歩
あれから、どれくらいの時が過ぎたのだろう。
あの件があった時から、私は彼の元で過ごすことになった。
あの後、あの地獄の様な場所がどうなったかは知らない。知るつもりもない。興味もないから、気にしたこともなかった。
あの場所を離れた私は、恩人である月詠辿に身柄を保護されることになった。
彼の住処は、迷宮都市にある冒険者ギルドの近くにある、主に木で出来た小さな一軒家にあった。
なんでも、いろいろあって、ギルドの方から頼まれてここに住んでいるのだとか。
辿はそんな説明を話して聞かせたが、どうやらリューカには興味が一切無いらしく、ただ聞き流しているだけのようだった。
「まあ、無理もないか」
辿は苦笑いを浮かべると、湯気の立つカップに口をつけて喉を潤した。
その日の晩。
私は珍しく考え事をしていた。
いつもなら、あの男が私を呼び出している時間だが、今となってはもうそんなことをする人はここにはいない。
私にとっては、それがなんだかとても新鮮で、何をしていいかわからなかった。
「……」
色んなことがあった、と思う。
記憶を蘇らせるのはあまり好きではない私だが、しかし今日は……。
今日だけは、考えざるを得なかった。
あの牢獄から連れ出してくれたお兄さん。
その赤い瞳が脳内をフラッシュバックして、寝付けそうにない。
「……」
私はふかふかのピンク色の枕(白色は嫌いだったので、正直嬉しかったりする)を胸に抱き寄せながら、ここに来たときに彼が始めに言った言葉を復唱した。
「自分のしたい事をすればいい……か」
その回答は、私がここに保護されたときに、私が始めにした質問に対する答えだった。
――何が望み?
――何をすればいい?
――何の為に連れてきたの?
彼はその全てに、私のしたいことをしたいようにすればいいと言ってくれた。
いや、言われた。
今の心情的には、こちらの表現の方がなぜかしっくりとくる。
今まで、自分のしたいことなんて何一つしたことがなかったし、考えたこともなかった。
ただ構ってほしくて、ただ愛してほしくて。
だけど向けられたものは、私の望んだものとは違うそれだった。
だからこそ、今の私は、何をしてもいいと言われて、少し戸惑ってしまっている。
だって、何をしたいかわからないんだもの。
(でも……)
心の中で、ぽそりと呟いてみる。
(でも、どうせなら、助けてくれたお礼がしたい)
でも、どうやって?
何をすればいいの?
今まで私がしてきたことに、しようとしたことに何か正解があっただろうか。
大概、失敗して、怒られて、犯されるの繰り返しだった気がする。
もう思い出したくもないはずなのに。
(やっぱり、あの人も男だから……)
そう考えて、体の奥が熱くなるのを感じて、私は思考することをやめた。
⚪⚫○●⚪⚫○●
黎明、私は目を覚ました。
昨日はよく眠れた方だと思う。
いつもならお腹の気持ち悪さに、睡眠どころでは済まなかったから。
「……」
目新しい天井。
木の梁から吊るされる魔具の照明は、昨日辿に点けてもらったばかりのままだった。
その為なのか、どこからか飛んできた走光性の虫が数匹、窓に張り付いていた。
「……」
私はそれを一瞥すると、薄桃色の布団を畳んで、入り口脇のスイッチを押してライトを消すと、そのまま部屋を後にした。
辿の暮らすこの家は三階建であり、リューカに割り当てられた部屋があるのは、三階の屋根裏部屋に続く部屋だ。
もともとは倉庫として使っていた部屋だったが、私がここでお世話になることになったので、序に掃除して一人部屋にしてくれたのだ。
そこから階段で二階の洗面室で一通り身支度を整えたら――と言っても、顔を洗って歯を磨いただけだが――そのまま一階のダイニングへと向かった。
「……」
まだ電気のついていない部屋を見渡して、まだ誰も起きていない――といってもここにいるのは私を含めて辿との二人だけだが――ことを確認すると、外出することにした。
外出の理由は、至って簡単なものだった。
今までできなかった事をしてみよう。
とりあえず今は、それがしたい事ということにしたのだ。
辿も、何が望みかと聞いたときに、したいことをしてくれと言っていたのだし、利害が一致したと思うことにする。
「すぅ……はぁ……」
朝の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込むと、心なしか、モヤモヤとしていた気分が、幾分か晴れた気になる。
……といっても、朝の迷宮都市の空気には薄い朝靄が出ていて、心象を表しているとは到底言えないものだったが。
そんな時だった。
遠くの方から、木の車輪がレンガの石畳を弾く音が、向こうの方から聞こえてきた。
この方角は、そういえば昨日辿が言っていたギルドへ行く方向とは逆の道だった。
だんだんとその摩擦音が大きくなってくるところを見るに、おそらく依頼から冒険者の一団が帰ってきたところなのだろう。
(そういえば、辿も冒険者って言ってたっけ)
仄かにそんな記憶が蘇る。
(冒険者ギルドって、どんなところなんだろう?)
そんなことをふと思い浮かべた私は、散歩がてらに外見だけでも見てこようかなと考えて、馬車の向かう方へと足を踏み出すのだった。
⚪⚫○●⚪⚫○●
冒険者ギルドはその性質上、アズランド大迷宮――通称、迷宮にほど近いところに建っている。
そのため、その周囲は冒険者たちで賑わう商店街が形成されている。
その商店街の形状は、ちょうど月のような形をしていることから、「ツキノメ商店街」と呼称される。
「うわ……」
思わず、変な感嘆詞が、その可憐な唇から漏れ出た。
まだ朝も早いというのに、なんと言う人の混み様。
おそらくは迷宮帰りの冒険者たちが、迷宮でとれた素材などを換金したり、物珍しさに見物に来ている人たちで賑わっているのだろう。
人混みに気圧されて一歩後ずさるリューカ。
辿の家から歩いて五分ほどのところで、私はもうギブアップしているのだった。
と、そんなところに、一人の女の人の声がかけられた。
「あれ、見ない娘ね?
もしかしてここに来るの初めてかしら?」
振り返り、話しかけてきた人の方を見ると、そこには明るい茶髪に、白のスヌードを首に巻いた少女(といっても、身長は私より頭二つ分ほども大きい)がいた。
「あ、えっと……はい」
急に話しかけられたことに少し戸惑いを見せながら、私はなんとか声を絞り出して返事をした。
自然、目線が下を向く。
「ごめんなさいね?
急に話しかけられて吃驚しちゃったわよね」
「い、いえ。
そんなこと、ないです」
「そう?」
少女は首を傾げながら、怪訝そうに相槌を打った。
「ところで、ツキノメに何か用事でもあったのかしら?
人混みが苦手なようだし、良ければ一緒について行ってあげてもいいのだけど」
視線を彷徨わせてオロオロするリューカに、少女はお人好しな笑みを向けながら、そんな提案をする。
そんな話を持ちかけられていたリューカはといえば、今まで構ってもらえなかったことの反動か。少し嬉しい気持ちになりながらも、しかしいきなりの事でどのように接していいのか戸惑っていた。
と、そんな時だった。
商店街の人混みの中から、こちらへ向けて小走りで走ってくる人影が見えた。
黒い髪を後ろで束ねた青年である。
年齢は辿より少し若いくらいだろうか?
「お〜い、リリャ〜!
おまたせー……って、あれ?その娘どうしたの?」
青年は男声とも女声とも取れる声音で、少女に尋ねた。
「オリバー!
実はカクカクシカジカダ●ハツエコカー」
少女は事の次第を、オリバーと呼ばれた青年に報告し、それでどうするかという相談を持ちかけた。
そんな彼女の話を聞いたオリバー青年は、肩をすくめるとこう返答した。
「はぁ……。
リリャって本当に世話好きだな」
彼はそう言うと、リューカの目の前にしゃがみこんで目線を合わせると、微笑みながら言った。
「オレはオリバーだ。
こっちは妹のリリャ。よろしくな」
「えっと……り、リューカです……。
……よろしく」
急な自己紹介に戸惑いながらも、なんとか返事を返す。
「そっか、よろしくなリューカちゃん。
で、リューカちゃんはここで何してたんだ?
お散歩……にしては、時間が早すぎるか。親とはぐれたのか?」
「違う。
散歩してただけ」
「……そっか。
どこから来たんだ?」
「家」
「……」「……」
「……?」
「……あー、家はどの辺りかな?」
「自分で帰れますから、そういうの大丈夫です」
実を言えば、家の場所を聞いてきた時点で相手の意図に不審な雰囲気を感じていたのだ。
リューカはそう言うと、そのままくるりと背を向けて、急いで家路へとつくのだった。
(やっぱり、慣れないことはするんじゃなかった)




