タドルpart0 始まりの日
暑い夏の夜だった。
大学の研究室に呼ばれた青年は、考古学の教授が見つけてきたという、未解読の文章が刻まれた石版を読み解いていた。
「……なるほど、大体わかりましたよ教授」
黒髪の青年は、ニヤニヤと口角を上げながら、手元の紙に羅列された数式に指をなぞりながら、得意げに答えた。
「本当かい月詠君!?
何、ちょっと見せてくれたまえ!」
赤城蒼教授――赤みのかった茶髪の、幼い子供のような見た目をした彼女(こう見えて二十三歳)――は、はしゃいだように目をキラキラと輝かせながら、青年の持つ紙をひったくった。
「あ、ちょっと教授!」
「どれどれ……。
ふむふむ……なるほど……」
教授は、そんな青年の静止をどこ吹く風と受け流し、その紙面に書かれた数式に目線をなぞらせた。
相槌を打ちながら、数式とにらめっこする赤城教授。
「ぬむむむむむ…………」
その顔は次第に険しくなっていき、ついには「うがぁ〜っ!」と嬌声を上げて、そのプリントをワークデスクに叩きつけた。
振動でそばにあったコーヒーカップがカチャリと揺れ、危なげながら転倒を回避する。
「まったくわからん!
月詠君、この際はっきりさせよう。
君はどうして、こんな難しい数式を、未解読言語の解釈に使うのかね?」
蒼は、この年になってまだ声変わりもしていないのかと思うくらい、幼い声音で月詠辿を問い詰めた。
「いや、何故と言われましても……」
この世界のあらゆるものは、数式の組み合わせでできている。
ならば言語も数式で表せて当然の帰結に至るというもの。
そんな誰でも思いつきそうなことだが、しかしして未だに誰も手を付けて体系化させたという話は聞いていない。
しかし彼はそれを平然とやってのけた。
もとから数学に関して頭の作りが良かったわけではないが、見ていればなんとなく、ここはこうで、だからつまりここはこうなるということを知ることができた故の賜物だろう。
一種の超能力ではないのか?というのは、蒼の言葉だ。
見ただけで全てを把握するなんて、確かにそのとおりかもしれない。
月詠辿は肩をすくめると、「なんででしょうねぇ」と気のない返事を返した。
「チッ」
赤城蒼はそんな様子の彼に舌打ちを投げつけた。
「それで、月詠君。
これはなんて書いてあるんだい?」
尊大な態度で(彼女曰く、周りの大人――もしくは生徒たち――からなめられないためのキャラ付けらしい)石版の文字の写しを顎でしゃくった。
「簡単に言えば、宗教ですね。
いえ、この場合は尤も、魔術か魔法と言ったほうが近いかもしれません」
「ふ〜ん、そっか。
ま、ありがちと言えばありがちだね」
石版は、とある廃神社の奥に安置されていたそうだ。
発見者は住所不定の、自称登山家。
見つかった場所の近くには、四体の仮面をつけた精巧な陶器人形が、長い白いローブを着て石版を囲んでいたそうだ。
それはさながら魔術かなにか、宗教的な儀式の最中のような雰囲気だったらしい。
故に教授も驚くことはなかったし、そもそも見つかった場所は、縄文時代以前からあったというのだ。
そうでなくても、こういった石版に宗教的な、魔術的な何かが記されているのは、ありがちと言えばありがちだった。
「問題は、その内容なんですが……」
蒼が、回転椅子の背もたれに、その小さな体躯に似合わない少し大きめの胸を押し付けながら、ワクワクと目を輝かせているのを確認する。
どうでもいいが、端的に言えば赤城蒼は、いわゆる合法ロリ巨乳と言うやつだ。
いや、ロリにしては巨乳、という意味だが。
ともあれ。
辿は、彼女の着ている、白のノースリーブシャツの大きく開いた襟から覗く谷間から視線をそらすと、数式と写本を見比べながら概要を説明した。
「かなり、具体的なんですよね。
おそらく、魔術の指南書とかではないですかね、これ?」
「指南書……!?」
チラリ、と蒼の顔を伺う辿。
その目は、先程よりも輝きが増している気がした。
「ちなみにちなみに、どんな魔術が載ってるんだい?
良ければ教えてくれたまえよ月詠君!」
興味津々だな……。
もしかして赤城教授って、こういうのが好きなんだろうか?
ふと、そんな疑問を浮かべる辿だったが、あまりにもそのキラキラとした瞳が催促をしてくるので、その質問はとりあえずぐっと飲み込んで答えることにした。
「ここに載っているのは、どうやら異世界の行き方……らしいです」
辿はアイスコーヒーを口に含むと、話を続けた。
「仕組みはこの際省略するとして、行き方は――」
と、その時だった。
――ズガァァン!
「な、何――うわっ!?」「っ!?」
あまりに突然の出来事に、赤城教授の言葉遣いが素に戻り、青年も、思わずその音に反応して、背中をビクつかせる。
それと同時に、盛大にすっ転んだ蒼はといえば、その隣の座席に腰掛けて、片手にアイスコーヒーのカップを持っていた辿に、非常に危険な姿勢で覆いかぶさっていた。
手が滑り、コーヒーの茶色い雫が、蒼の白いノースリーブシャツをべっとりと汚す。
「あ、すみません急に大きな音立てちゃって。
この扉かなり建付けが悪くって……って、お二人とも、何してんですか?」
そんなふうに言いながら入ってきたのは、今年入ってきた辿の後輩である、アリス・金城・レッドフィールドだった。
彼女の背格好は、金色のロングポニテに白衣、その下は薄青色のネクタイに、半袖の白のワイシャツにチェックの入った赤いスカートといった風貌である。
一体、どこのアイドルグループだと突っ込みたくなる服装であった。
そんな彼女が怪訝な視線を向ける先には、辿の股間に顔を埋めるような形に覆いかぶさってしまっている蒼の姿があった。
「何してんですかって、それはこっちのセリフなんだけど」
こぼしてしまったコーヒーを、机の上にあったティッシュペーパーであらかた拭いながら、肩をすくめてアリスに言葉を返す。
「えぇ……そんなこと言われてもなぁ……。
これは、扉の建付けが悪いせいだし。ボク悪くないし」
はぁ……と、思わず溜息が漏れる。
彼女は目をそらしながら、建付けのせいにして、そそそと自分の席について、脇に抱えていた書類を並べ始めた。
辿はそんなアリスを一瞥すると、コーヒーで汚れてしまった蒼の方へと視線を戻した。
「とりあえず、お風呂入ってきたらどうですか?」
「そうするよ……。
あ、でもそうすると着替えが無いや」
困った、という風に顔を顰め、顎先に指を当てる蒼。
研究室には、泊まり込みで作業をする教授や生徒たち専用に、シャワールームが設けられている。
辿がお風呂に入ったら、と言ったのはそういう話だ。
今夜はもう遅いし、終電はもうとっくに過ぎている頃合いだろう。
尤も、そういうことを見越していた辿は、きちんと着替えも持ってきていたのだが、どうやら蒼はそうなる事になるとは微塵も考えていなかったらしく、着替えも持ってきていないようだった。
「アリス、着替え持ってる?」
辿は、そんな彼女の呟きから、おそらく寝泊まり用の服のストックすらも残っていないようだと判断して、近くのデスクでペンで米噛みを突いているアリスに尋ねた。
「これ一着だけっす」
「お前も着替え持ってきてないのか……」
呆れたように肩をすくめて、内心でため息をつく辿。
しかし、そんな彼女のセリフにはまだ続きがあった。
「だってボク、寝るときはマッパじゃないと眠れないですし」
途端の爆弾発言に、唾が気管支に入って咽る。
「ケホッ、ケホッ……
お前、もうちょっとそういう事はオブラートに包んで言えよ……」
「どうせ伝わる内容は一緒なんすから、ボクが普段●●●●を丸出しで寝てるって言っても別に構わないでしょ」
「女の子がそんなはしたない事言っちゃいけません」
赤裸々に語るアリスに、辿は頭痛を覚えながらそう指摘する。
(全く……。
それじゃあ何か?もしかしてここで寝る時は、やっぱり裸になるっていうことなのか?)
一瞬、そんな妄想をしてしまい、頭をブルブルと振るう。
そんな様子を、ニヤニヤとした面持ちで見つめていたアリスは、ぷふっと失笑する。
「何エッチな妄想してんすか先輩?
流石にそうなったら、どっかのビジネスホテル行きますってばwww」
「デスヨネー。ウン、ワカッテタヨ」
顔が熱いのがわかる。
心臓がバクバクと高鳴って、からかってくる後輩の言葉に動揺する。
辿は恥ずかしくなって、その思考を振り払うように深呼吸をする。
すると、先程から漂っていたアイスコーヒーの匂いが鼻腔をついた。
「仕方ない。
教授、俺のを貸しますから、さっさとお風呂入ってきてください。
そのままだとシミになりますよ」
「うぅ……ありがと、月詠君。
それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ」
辿がアリスと話している間に、酷いシミにならないように自分でもティッシュで汚れを拭っていた蒼は、申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「いえ、かかったのは俺のコーヒーですから。
こんなことさせてすみません、教授」
辿はそう謝罪を述べると、自分の持ってきていたカバンの中から、一着のジャージを取り出して蒼に手渡す。
「いや、謝ることはないよ月詠君。
悪いのは全部アリス君だからね」
「うぇ!?
ぼ、ボクですか……?」
ジトリ、と蒼はアリスに一瞥をくれると、彼女は心外だとでも言うような驚愕の顔を浮かべた。
それから蒼はニコリと笑顔を浮かべると、更に一言付け足した。
「だから、君の平常点は零点にしておかないとね」
「そんな御無体なぁ〜!」
夏の夜の研究室に、そんなアリスの悲鳴が木霊した。




