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―――3X67年5月22日23時11分
夜になると、イプスはまたエータの部屋で寝泊まりする。
「今日はね、病院に行って、ボルツのお父さんの事とか、色々聞いてきたよ」
「……そうか。アンペールは元気にしてたか?」
「ううん。姿を見せたくないほどボロボロなんだって」
「まだずいぶんかかりそうだな」
「エータはボルツのお父さんのことをよく知ってるの?」
「そりゃ、ボルツと私は婚約者だし、私が売られた理由だからな」
「どういうこと?」
「何も聞いてないのか?」
「うん。ボルツのお父さんは話せない状態だったみたいだし」
「まだそんなに状態が悪いのか」
「で、エータが売られた理由って?」
その質問にエータは少し苦い顔をした。
「そこを言わないといけないのか」
「うん。昨日から気になってたし、ボルツに『本当のことを言ったらボルツが傷つく』ってエータが言ってた事を伝えたら悲しそうな顔をしてたし。わたし、何があったのか知らないと心配で夜も眠れないよ」
「それ、ボルツに言ったのか? お前はやっぱり子供だな。私が傷つくと言っているんだから、伝えないのが当然だろう?」
「でも、わたしはその本当の事の中身は知らないから、何も言えないよ」
「細かい事は伝えなくても想像するだろう。しかも、傷つくことだと言われれば、本当の事よりも嫌な想像をするものだ」
「ふ~ん」
「まぁ、ボルツの場合は自分の父親の手術代として、嫁の私が自分を売ることを選んだから、色々責任を感じてるんだろうとは思うが」
「どうして、エータはそこまでしようと思ったの? ボルツの手術代なら愛してるからわかるけど、お父さんのことまで面倒を見る必要はないのに」
「正確には、アンペールだけの手術代じゃなかったんだ。私とボルツの間にできたオームという娘の手術代も含まれている。だが、私達の娘はまだ幼くて、体力もなかったから助からなかった。それで、アンペールは自分だけ生き残ったことに罪の意識を感じてボルツに顔を合わせられないんだろう」
「そうだったんだ。二人は事故にでもあったの?」
「事故と言えば事故だが、もっと人為的な物だ。修理業者に雇われた何でも屋に襲撃されたんだよ。アンペールは前から狙われていたからな。普段なら問題なく撃退できていたんだろうが、運悪く、私達の娘が人質にとられたらしい。それで、こうなってしまったということだ」
「じゃあ、ボルツは今、お父さんも、エータも、自分の子供も失って、独りぼっちになってるってこと?」
「そう言うことになるな」
「そんなの、可哀想だよ。どうしてエータはボルツのそばに居てあげないの?」
「そんなことをしても、私は売られた身だから、あいつと一緒に暮らせないし、他の男の相手をする仕事についてる私がすぐそばに居ても余計にヤツを悲しませるだけだ」
「本当のことを言ったら悲しむって、そう言う意味だったんだね」
「ああ、そうだ」
エータはその状況にもう慣れてしまっているからなんの感情も表に出さずに口にすることができたが、今初めてその状況を知ったイプスは冷静ではいられない。
「ボルツはきっとエータが怒ってると思ってるよ。普通、言われて傷つくなんて、自分に怒ってる事だと思うに決まってるじゃない」
「ああ、きっとボルツは私が怒ってるんだと思っているだろうな」
「なら尚更、一人にしちゃダメだよ。ボルツは子供が居なくなって、お父さんも怪我で話せなくて、エータまでボルツから離れて行ったら、ボルツは寂しいに決まってるじゃない」
「しかし、私にどうしろというのだ。急に優しい言葉をかけても、あいつは勘ぐるだけだぞ」
「それなら、まずは明日のわたしとボルツの買い物についてきて、一緒にショッピングしましょう。少しでも一緒にいることが大事だと思うから」
エータは「そんなことをしても何にもならない」と、否定するつもりでいたが、自分の手を握ってきたイプスの姿を見て、一瞬だけ自分の娘の姿が被った。
そこでなんとなく、ボルツがイプスを自分の所に預けた意味が分かった気がした。
「ああ、明日は私も一緒に行こう」
部屋の明かりが消えていたので、イプスにエータの表情は良く見えなかったが、それはきっと、イプスが見た中で一番自然なエータの笑顔だろうとイプスは思った。