09 協力者
それから数日後の放課後。沙菜は再び神浦家の前に立っていた。じっと睨むように凝視してから恐る恐る呼び鈴を押した。
しばらくしてドアが開き、顔を出したのは龍だった。
「お前……」
龍はあからさまに嫌な顔をした。
「何の用だよ。今日は泉はいない」
「今日は龍くんに用があって来たの」
沙菜はこわばった顔でそう告げた。
「俺に?」
「うん」
「もうこれ以上、俺達に関わるなって言ったはずだけど」
「どうしても聞いてほしいことがあるの」
「……泉のことか?」
「うん」
「じゃあ聞かない。俺はもう泉に振り回されるのは勘弁だ」
龍は冷たく言い放ち、ドアを閉めようとした。そこで、
「待って!」
と、沙菜は言って閉まりかけたドアに手を入れた。
「いたっ……」
沙菜の手はドアに挟まれた。
「お、おい」
龍は慌ててドアをもう一度開いた。沙菜は手を抑えている。手は少し赤くなっていた。
「お願い、話を……」
手を負傷しながらもそう訴えてくる沙菜に龍は困惑の表情を浮かべた。沙菜の赤くなった手をしばらく見下ろして、
「湿布、してやるよ。ここでこのまま粘られても近所迷惑だし」
と、言ってドアを大きく開けた。
「ありがとう。お邪魔します」
沙菜は龍に続ぬいて家に入った。
「今日は兄ちゃんもいないから」
龍はそう言いながらリビングに入っていった。沙菜も続いてリビングに入ると、
「そこに座ってて」
と、ソファを指さされた。大人が四人くらい座れそうなソファだが、両端には脱ぎっぱなしの服などが置いてあり二人がようやく座れるくらいだ。沙菜は周りをキョロキョロ見ながらゆっくりと腰を下ろした。
「まずは冷やせよ」
龍はビニール袋に氷をたくさん入れて沙菜に渡した。
「ありがとう」
沙菜は手に氷を当てた。
「ずいぶん荒れてるね」
「あぁ……まぁ男しかいないからな」
机の上には食べ終わってそのままのコンビニの弁当ケースや空のペットボトル、使い終わってそのままのコップなどが放置されている。臭いも少しカビ臭い。
龍は湿布をテーブルに置いて床に座った。
「冷やして湿布貼ったらすぐ帰れよ」
「私がいたら海斗さんに怒られちゃう?」
沙菜の言葉に龍は冷たい目線を送った。
「泉に兄ちゃんのこと聞いたのか?」
「うん、まぁ」
沙菜は曖昧に頷いた。
「それでもお前は泉の味方をするのか?あんな自分勝手なやつ、って思わなかったのか?」
「龍くんは自分の知ってる事実を疑ったことはなかったの?」
「は?」
龍は不快感を露わにした。
「泉ちゃんが大学に行ってる時、龍くんは幼稚園とか小学生だったわけでしょう?実際に見たわけじゃないのに疑ったことはなかったの?」
「兄ちゃんが嘘を言うはずがないだろ!」
龍は声を荒げた。
「海斗さんが事実を誤解してるとしたら?知らないことがあるとしたら?」
「そんなことあるわけないだろ!」
「あるよ!海斗さんがそうであるように、泉ちゃんも龍くんのお兄ちゃんでしょ!?」
沙菜も負けじと声を荒らげた。
「あいつは俺の兄ちゃんなんかじゃ……」
「そんなことない!ちゃんと血も繋がってる兄弟だよ!少なくとも泉ちゃんはそう思ってて、龍くんのことだって思い遣ってる!」
「お前は泉に何を吹きこまれたんだよ。お前こそ泉の知り合いだからって泉の言った都合のいい嘘を信じるのかよ!」
「泉ちゃんは嘘つかない!」
「何でそこまで……」
沙菜の気迫に龍は少したじろいだ。
「誤解し合って仲が悪くなってる兄弟を私は見なかったふりできないだけ。お節介かもしれないけど、泉ちゃんと海斗さんの両方の言い分を聞いて、その上で龍くんには真実を見定めてほしい」
「じゃあ……話してみろよ。その真実とやらを」
沙菜は頷いて話し出した。
「泉ちゃんが医大に行って医者になったのはお父さんの希望だったの」
「父さんの?」
「うん、お父さんはね、昔お医者さんになりたかったんだって。でも、医大に入ることができなくて諦めた。その夢を泉ちゃんに継いでほしいってずっと言ってたんだって」
「医者になるのは泉の自分勝手な夢なんじゃ……」
「最後まで聞いて」
龍は言われた通りに言葉を切った。
「お父さんが亡くなられて、お金を節約しないといけない状態だったけど、お父さんの遺志を知っている泉ちゃんはどうしても諦めるわけにいかなくて医大を目指したんだって。入ってほしい大学があって、そこに入るために必死で。勉強に一生懸命になるばかりに、海斗さんや親戚の方々に十分な説明もできなかった」
カラリ、と袋の中の氷が鳴った。
「それで海斗さんは大学進学を諦めてしまった。説明不足は泉ちゃんも後悔してるみたいだった」
龍は口を少し開けて沙菜の言葉を聞き続けた。
「でも、海斗さんにそのことを言い出しにくかったみたい。海斗さんはパソコンを触ることが好きだったから、医者になるのは自分で引き受けて。それを言って海斗さんが自分の夢を諦めることになったらいけないからって」
「そんなこと……」
「今更言っても信じられないかもしれない。でも、遅すぎるなんてことはないよ。このままそのことを知らずに過ごしてほしくないの」
龍は俯いてしばらく考えこんだ。
「万一、俺がそのことを信じたとしても、兄ちゃんは信じないし受け入れないよ」
「そうだよね……」
沙菜も顔を曇らせた。
「でも、諦めたくないの!海斗さんにもこのことを知ってほしい。その上で憎み続けるならそれでいい。それでも知っておいてほしい。知らないのと知ってるのとでは全然違うと思うから」
龍は何も言わずに沙菜を見つめた。
「お願い!龍くん、海斗さんにもこのことを伝えたいの」
「兄ちゃんは俺みたいにお前の言葉に耳を貸したりしないよ」
「わかってる。だから龍くんの協力が必要なの。海斗さんが私の話を聞いてくれるように協力してくれない?」
「俺も信じるとは言ってないんだけど……」
「龍くんは私の話を聞いてくれたからそれでいいの!信じる信じない、許す許さないはこれから決めてくれればいいから」
龍は溜息をついた。
「わかったよ。でも、兄ちゃんは仕事が忙しくていつ帰ってくるかもわからないし、帰ってきても絶対お前の話なんて聞かない。手強いよ」
「それでも聞いてくれるまで頑張る!ありがとう、龍くん!」
「……龍でいいよ」
「え?じゃ、じゃあ龍。私のこともお前じゃなくて沙菜って呼んで?」
「沙菜」
龍はそう口にすると少し照れたように顔を背けた。
「とりあえず今日は帰れよ。湿布貼ってやるから」
「うん、ありがとう」
沙菜は氷をテーブルに置いて手を差し出した。
「兄ちゃんには次いつ時間あるか聞いておく」
「ありがとう。よろしくね、龍」
沙菜は龍に向けて微笑んだ。




