07 放課後デート
沙菜はその週の週末は部活はなかったけれど桜病院には行かなかった。何となく泉と顔を合わせずらいと思ったのだ。
沙菜の気持ちはふわふわとしていた。泉と初めて病院外で会えることは嬉しい。夜に食事なんてなんだか大人みたいだ。
だが、泉から話を聞けると思うと気持ちが重くもなった。今まで見たことのないくらい固い表情をしていた泉。その姿を思い出すと胸が締め付けられるようだった。
月曜日。どこか落ち着かない様子で部活の時間を過ごした沙菜は、部活が終わると急いで着替えて学校を飛び出した。携帯を確認すると、泉から連絡が入っていた。
『近くのコンビニにいる』
沙菜がコンビニに到着すると、駐車場には黒いセダンが停まっていた。そっと覗き込むと泉が車内で本を読んでいる。沙菜はチラッと周りを確認してからコンコンと窓を叩いた。泉は「おぉ」という口の形をして、右手で助手席を指した。沙菜は頷いて助手席に回って車に乗り込んだ。
「お待たせ」
「あぁ。道空いてたから意外と早く着いたわ」
泉はそう言うとゆっくり車を出した。バックする時に顔が近くなり、沙菜は身体を少し固くして泉の様子を横目で伺っていた。
沙菜が休日の泉に会うのは初めてのことだ。泉はボーダーのTシャツに二の腕までの黒くてゆるいカーディガンを羽織っていて、下はGパンを履いていた。
「何か食いたいもんある?」
「え?あー、うーん」
沙菜は視線を泉から外して唸った。
「パスタ、とか?」
「パスタねぇ。女らしいこと言いやがって」
泉はクスクスと笑った。
「何よ。私だって女の子だもん」
「はいはい。じゃあパスタね」
泉は軽く流してそのまま車を進めた。
二人の間の空気は何もなかったかのように穏やかなものだった。沙菜も久しぶりに心から笑うことができた。
泉が車を停めたのは通り沿いの駐車場のあるイタリアンレストランだった。チェーン店ではないが、気取りすぎてもいないちょうどいい雰囲気の店だった。
そこで二人は向い合って座り、サラダとパスタを頼んだ。
「なんかこう女子高生と二人で食事なんてしてると悪いことしてるみたいな気分になるな」
泉は楽しそうに笑った。その様子からは暗い雰囲気は感じられなかった。
「部活はどう?」
泉は頬杖をつきながら尋ねた。
「うん、順調。大会は負けちゃったけどね」
「へ~」
「マネージャーも結構身体動かすから大変だよ」
「でも、楽しそうでよかったよ」
サラダが運ばれてきたので沙菜はそれを取り分ける。
「お、気が利くねぇ」
「いちいち茶化さないでよ」
「褒めてんだよ。マネージャー向いてんじゃね?この前風邪引いた時も沙菜が買ってきてくれたお粥と飲み物に助けられたしさ」
沙菜は口を尖らせていたが、少しそれを緩ませた。
「本当?」
「あぁ、あれがあったからちゃんと翌日には仕事できたしさ」
「あんなに辛そうだったのによく一日で治ったね」
「病院の薬と俺の体力舐めんなよ?俺だってまだ27。若いんだから」
泉はふんっと威張ってみせた。沙菜が手渡したサラダを「さんきゅ」と言って受け取り、それを頬張った。こうして向い合って食事をすることも長い時間話すこともすべてが新鮮。沙菜は泉をチラチラと見ながら自分もサラダに手を付けた。
それから二人は食事と他愛のない会話を楽しんだ。病院のこと、学校のことなどを話していると会話が途切れることはなかった。
食事を終えて二人は店を出た。再び車に乗り込む。
「さて、小川町に帰りますか」
「……ん」
沙菜は浮かない顔をして答えた。泉はそんな沙菜をチラッと見るも、何も言わずに車を出した。この日初めて落ちる沈黙。しばしそれは続いて、沙菜がぎゅっと拳を握って切り出した。
「それで、弟さんのことだけど……」
「やっぱり聞く?」
泉は軽く笑った。
「うん」
沙菜は真剣な眼差しを泉に向けた。
「うーん、まぁ気になるわなぁ。家で海斗に何言われたのかもだいたい想像つくし、龍だって……」
泉は片手でハンドルを握り、もう片方の手で髪の毛を掻き上げた。
「海斗…さんってあのスーツの?」
「あぁ、俺の一つ下の弟。もう一人はもう知ってると思うが、龍。沙菜と同い年の高一だ」
沙菜はこくり、と頷いた。
「河原でも行くか。今話して事故ったらまずいしな」
泉は冗談っぽく言って笑ったが、先ほどの笑顔よりは引きつった顔だった。
----------------------
その後の車内では二人はあまり言葉を交わさなかった。泉の運転は落ち着いていて心地よい。しかし、二人の表情は固いままだった。
河原について近くに車を停めて外へ出た。自販機で泉はブラックコーヒーを、沙菜はココアがなかったので紅茶を買ってベンチに並んで腰掛けた。
平日の夜だということもあってか人はまばらだ。時折ランニングをする人や犬の散歩をする人が通るだけで、ベンチに座っている人はいなかった。街灯はあるが薄暗い。お互いの顔がかろうじて見えるくらいだった。
「悪かったな」
泉は缶コーヒーの蓋を開けながらそうつぶやくように言った。
「結構キツいこと言われたんだろ」
「私は別に……」
沙菜は手の中の紅茶を撫でた。
「あいつらは悪いやつじゃねぇんだ。悪いのは俺だ」
泉はいつになく低い声でそう言って缶コーヒーを口に含ませた。
「どっから話したもんかな」
泉は暗い目つきで流れる川を見つめた。
「始まりは、そうだな、俺が今の沙菜と同じくらいの年のことだった」




