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暗君と呼ばれた男  作者: 蜜柑次郎


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転身

1560年秋

 慶事に沸く駿府へ、飛騨の名門・姉小路家から正式に従属の申し入れが届いた。彼らの要求は飛騨国司の家格の保持、さらに駿河に住まわせてほしい。という、切実な安全への希求が含まれていた。


 氏真は領土の安堵が含まれていないこの提案を二つ返事で受け入れた。


 氏真の狙いは、姉小路大納言済継を今川の外交官として再編することにあった。済継には、その家格を活かして朝廷との連絡役を任せることにしたのである。


 飛騨の山奥で新興勢力に怯えるよりも、駿河の華やかな文化圏で京に関わる仕事に携わる方が、彼にとっても自尊心を満たせる道であった。


 そして、氏真は姉小路家から、高価な飛騨材を大量に仕入れたという形を取り、莫大な金を動かした。その金を用いて、駿府に姉小路家のための豪華な屋敷を建設させた。


 彼らを地元の領主から駿河の貴族へと完全に作り替えたのである。 仕入れた最高級の飛騨材は、今川領内の主要な寺社に寄贈された。これにより、領内では大規模な改築ラッシュが巻き起こった。


 飛騨から呼び寄せた腕利きの大工たちが、駿河や遠江の寺社を美しく整えていく。この建築事業は、民の信仰心を安らげると同時に、今川の圧倒的な経済力を領内外に知らしめる視覚的な宣伝となったのである。



 姉小路家が駿河で厚遇されているという報せは、すぐさま北飛騨の江馬家をも動かした。江馬家は元々、武田派と長尾派に分かれて内部抗争を続けていたが、今川の圧倒的な興隆と、姉小路の鮮やかな転身を見て、遅れを取れば滅びあるのみ。と悟ったのである。


 氏真は江馬家に対しても、姉小路と同様の分離政策を断行した。


「戦う意志のある武家勢力は、私の目の届く場所に置く。技術を持つ者は、その土地を守らせる」


 江馬家の一族とその家臣たちは、越中との国境紛争に巻き込まれないよう、駿河や遠江へ移住させ、今川の直轄軍として再編した。一方で、山に残った職人や民は、今川の直轄領の民として保護したのである。


 これにより、北飛騨から中飛騨にかけて、今川の統治を阻む国衆という不確定要素はほぼ消滅した。国境線という火薬庫に、私兵を持つ国衆を残さない。


 この徹底した兵農分離と居住地制限により、飛騨は戦場から今川の資源工場へと劇的な変貌を遂げることとなった。移住させられた江馬の面々も、豊かな遠江の地を与えられ、長尾の恐怖から解放されたことに安堵したのであった。



 飛騨の要衝を掌握した氏真は、この地を非武装の産業特区へと作り替えた。武士を飛騨から遠ざけ、代わりに今川の直轄軍と技術集団を大規模に移住させたのである。


 ここでの目的は、鉱山開発と高級木材の徹底管理であった。飛騨は米の収穫があまり望めぬ土地である。ならば、あえて農業を追わず、民のほとんどを建築集団と鉱山労働者として組織した。


 彼らの食料は、街道を通じて駿河や美濃から給与として安定供給される。いわば、飛騨全体が今川家という巨大組織の生産部門となったのである。


「飛騨の資源を今川の独占とする。技術の外部流出は一切許さぬ」


 氏真の算盤は、飛騨を単なる領地ではなく、日ノ本最強のインフラ拠点として弾き出していた。だが、最後に残されたピースがある。南飛騨の三木氏である。彼らが独立を保っている限り、飛騨の安定は完成せず、加賀や越中への玄関口も不透明なままだ。


 氏真は、冬の雪が山々を閉ざす前に、三木氏を降伏させるための次なる布石を打ち始めた。早川殿の腹に宿った新しい命に、平和な世を譲るために。飛騨の全域を今川の理で包み込むための最後の一手は、すでに動き出していた。



 氏真は、飛騨の領管に安藤守就を。その補佐たる領管補佐に飯富虎昌を任じた。守就は、先の北伊勢における国衆の調整で鮮やかな成果を挙げた実務家である。


 一方の虎昌は、旧武田家臣の中でも山岳戦に精通し、北の国境防衛を担うに足る武勇と知略を備えていた。


 この人事は、今川家にとって一つの転換点であった。氏真が目覚めて以来、譜代の今川家臣以外から領管という要職に外様を登用したのは、これが初めての試みであった(信長は特殊な遺言に基づく例外である)。


 氏真は、飛騨という峻険な土地を治めるには、今川の伝統に縛られない実地主義の視点が必要だと弾き出したのである。守就の調整能力と虎昌の実地での強さ。この二人の組み合わせこそが、飛騨の山々に今川の理を浸透させるための最適解であった。



 今川の領土が広がるにつれ、氏真は譜代優先という旧来の組織構造に限界を感じていた。 実力があれば、出自を問わず登用する。それが組織を腐らせぬ唯一の道だ。氏真の狙いは、単なる適材適所には留まらない。


 将らを敢えて縁のない遠隔地へ赴任させることで、その土地との過度な固着を切り離し、異なる文化や食事に触れさせることを目的としていた。


 この時代の統治において最大の壁は、武士や民が持つ土地への固執である。慣れ親しんだ常識の中に安住しようとする心こそが、変革を阻む。


 リーダーが異土での経験を通じて自らの常識を壊し、変化を受け入れることができれば、その部下たちもまた、新しい統治の在り方に馴染みやすくなる。


 受け入れた飛騨の民にとっても、外から来た今川に従うことは大きな葛藤があったはずだ。だが彼らは、生存と安全のために、かつての主を捨てて今川の理を選ぶという苦渋の決断を下した。


「彼らの選択を、決して後悔させてはならぬ。励まし、豊かさを実感させること。それが私の果たすべき責任だ」


 氏真は、飛騨の民に対し、過酷な軍役ではなく、鉱山や林業という産業を通じた生活の安定を約束した。情ではなく、利と理によって心を繋ぎ止める。それが氏真流の、新しい今川の統治哲学であった。


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