第百七話 ネクシア聖教国の聖者⑨
出発を前に、俺を一番悩ませたのは馬車の席の隣を争うサラとセレスティアでも、早朝過ぎるが故の眠気でもなく、話を通し忘れていたサンの存在だった。
「(ええぇっ!? お兄ちゃん! 今からお出かけなの!?)」
俺たちがファルシアンに行っている間、王都の情勢を見てもらおうと思い、連絡をしたのがこの件のきっかけだった。
「(いや、お出かけではなく、調査……いや、人探しだ)」
「(おんなじだよ! ずるい! 私とお姉ちゃんも連れて行って! )」
珍しく、感情をむき出しにしてわがままを言うサンに戸惑う。
いつものサンなら少し拗ねた様子を見せながらも、「お兄ちゃん頑張って来てね」なんて可愛く言ってくれるはずなんだが……。
「(いや、旅行ならばもちろん二人も連れていきたいところなのだが……今回はそうもいかなくてな)」
「(むぅ……お兄ちゃんに聖者の情報を伝えたのはレドお父さんなのに……)」
ぐっ……確かに、本当ならばクインとサンにも一声かけておくべきだったのはその通りだ。
しかし、今回に関してはクインとサンにはこちらに残ってやってもらいたいことがあるのだ。
「(それはそうだが、今回は二人にしかできない頼みごとをしたくて、だな……)」
「(私たちにしかできないこと?)」
「(ああ、サンとクインにしかできない。二人は王都でも商会の手伝いをしているだろう? そこから俺たちが離れている間の王都の情報や噂なんかを集めて教えて欲しいんだ。これは二人にしか頼めないんだ)」
サンに対してはどういう訳かファレス然とした態度を取るのが難しい。
サンが妹属性過ぎるのが理由なのだろうか? 自分でも妙に必死だなと思いながら、サンに理由を言い聞かせた。
「(………………分かった。今回は許してあげるよお兄ちゃん。でも、今度は私とお姉ちゃんを仲間外れにしないでね!)」
「(ああ、善処しよう)」
「(む……善処じゃなくて約束して!)」
「(……分かった)」
何時にも増して強気なサンに俺が折れた。
なるほど、これは俺がサンを妹と見ているのと同様にサンからの兄としての目が強く働いているのだろう。
他の人からすれば、基本的に俺は敬われる立場だ。
しかし、人の世俗に所属こそすれど、その本性は竜のサンからしてみれば敬う必要はない。
それにサンは俺の使い魔ではあるものの、俺がサンに使い魔として何かを要求したことはほとんどない。
そう言う状態がこの三、四年続いた結果、このような関係性に落ち着いたということだろう。
「(よし! じゃあ、気を付けて行ってきてね! 毎日夜に話しかけるからね!)」
「(ああ、クインにもよろしく言っておいてくれ)」
「(はーい)」
こうして、数十分にも及んだサンとのやり取りにようやく決着がついた。
◇◇◇
出発の時間を少し過ぎて、俺は一番最後に馬車に乗り込む。
「待たせたな」
声を掛けながら馬車に乗り込むと、サラとセレスティアは既に席について俺を待っていた。
「いえ、待っておりませんわ」
「はい、問題ありません」
そう言って俺を迎えてくれる二人。
しかし、その声はなぜか向かい合う席の両側から聞こえて来た。
ジッと二人の視線が俺に集まる。
……なるほど。
なるほど、なるほど。
道理で今日はあっさりと馬車に乗り込んだと思った。
普段は一緒に乗るから揉めるのであって、俺が後から来るのならば、先に両側に座れば、どちらの隣に座るかを俺に選ばせることが出来るものな。
ただ、今はそんなことにかまけている場合ではない。
ただでさえ出発の時間をオーバーしてしまっているのだ。
こんなことに時間を取られるわけにはいかない……。
どうせなら真ん中を開けて片側に座っていてくれれば良かったものを……。
「ファレス様、こちらへどうぞ?」
「いえ、ファレス様。こちらへ」
二人から強い視線と共に選択を迫られる。
……どうやら今日は女難の日らしい。
クソっ! 昨日は両側を固めておく云々の話をしていたじゃないか!
なんて脳内でエアツッコミを繰り返しても状況が変わることはない。
かくなるうえは……。
俺は即座に二人の座っている位置を確認した。
サラは入って左側、進行方向を正面にして、三人掛けのソファのきっちり一人分を使っている。
それに対しセレスティアは、サラの完全な対面ではなく、ソファの少し真ん中よりに腰を掛けている。
……活路はここだ!
俺は三人掛けの席できっちり奥一人分に腰かけているサラの方へ腰を下ろすと、それと同時に若干真ん中よりに座っていたセレスティアの手を引き、俺の反対側へ座らせた。
「キャッ」
急に俺に手を引かれたセレスティアが小さく悲鳴を上げるが気にしない。
「……これで文句はないか?」
「……はい」
「……ありませんわ」
二人とも複雑な表情をしていたが、概ね満足そうな声音でそう答えた。
……ふぅ、何とかなったか。
俺は腰を落ち着け深呼吸を一つすると、俺たちのやり取りを外から何とも言えない表情で見守っていた御者に目配せする。
すると扉が閉じられ、ほどなくして馬車が動き出した。
これで休憩も含めてあと二日もすれば、ファルシアンか。
……さて、聖者ガルドール、いったいどんな男なのやら。
せっかくの広い馬車で若干窮屈な思いをしながら、俺たちの旅はスタートした。
◇◇◇
その日はまだ明るいうちからルーカスはトールスの住む別邸を訪れていた。
理由は単純。
昨日の失敗を報告するためだ。
「やぁ、ルーカス。今日は早いね」
「はい、おはようございますトールス様」
これまでには感じたことのない緊張感が二人の間に漂っている。
「さて、ルーカス。先日の任務についての報告を聞かせてもらおうかな?」
「はい。……メーディア・フルタスの死体回収は失敗しました」
ルーカスは余計な言い訳などせずに結果だけを報告した。
「うん、それは知ってるよ。そしてその件に関して僕は別にキミを攻めるつもりはないから安心して欲しい」
(嘘を吐け。最初から言い訳をしようものなら何らかの攻撃を仕掛けるつもりだっただろうに)
パっと緊張感を解いたトールスにルーカスは内心で悪態をついた。
事実、ルーカスの目には先ほどまで不自然な魔力の流れが何となく見えていたのだ。
「……申し訳ございません。侵入と魔法の発動までは問題なくこなしていたのですが……なぜかあの氷棺に魔法が作用せず」
「へぇ……魔法が作用しなかったか。ちゃんとその指輪の魔法を使ったんだよね?」
トールスの視線がルーカスの手元へ向く。
そこにはトールスがルーカスに持たせたあの指輪が嵌められていた。
「はい、間違いなく。私が今までに見た中でも最高の火力を誇る魔道具でした」
「そうだね。確かにその指輪を超える火力を出せる魔道具はなかなかないだろうし、キミの言葉に嘘はないのだろう」
もちろん、疑うつもりはないけどね? と付け足したトールスだが、少なからずその表情には焦燥感が滲んでいた。
「ルーカス、もう少し詳しく、その魔法が作用しなかったときのことを説明してもらえるかな?」
「はい」
ルーカスは侵入時から魔法発動までの状況を一から順に丁寧に説明した。
「……と言う訳で、氷棺に魔法が衝突した瞬間に書き消えてしまったのです」
「……なるほどねぇ」
ルーカスの丁寧な説明を受けたトールスは顎に手を当てて何やら分析をするような顔になる。
しばらくそんな思案顔で何かを考えたかと思えば、突然ハッとしたような顔で立ち上がる。
「……まさか!?」
「トールス様?」
トールスの急な行動に疑問符を浮かべるルーカス。
そんなルーカスに向けてトールスは手を伸ばすと、その掌の上に小さな火属性魔法を発動させた。
「ルーカス、この火球に水属性魔法をぶつけてみてくれないか?」
「……はい? 分かりました」
ルーカスは何のことかよくわからずに、トールスの手元の火球を消せる程度の水属性魔法を放った。
小さな火の玉に水がぶつかる。
この後に起こる結果は明白――
「なっ!?」
「そう言うことか……」
ではなかった。
「トールス様、これは一体?」
ルーカスは信じられない物を見たとでも言うように衝撃の表情を浮かべている。
それもそうだ。
ルーカスは間違いなく小さな火の玉程度ならば軽く消せる程度の水属性魔法を使った。
しかし、その結果はただルーカスの水属性魔法が霧散して終了。
まさに氷棺に魔法を使った時と同じ現象が起きたのだ。
「……ファレス・アゼクオン。君は本当に化け物だね」
「トールス様?」
明後日の方角を向いてトールス様は憎々し気にその名前を呟いた。
「ルーカス。キミの失敗の原因が分かったよ」
ルーカスを向き直り、トールスがそう告げる。
「それは一体なんだったのでしょう?」
「単純な話しさ。あの男は魔法の発動を終えていなかったんだよ。今、水をかけてもこの火球が消えなかったのは僕がまだこの魔法の操作をしているから。おそらく……」
トールスは話しながら手頃な紙に火を移した。
「これに水魔法を」
そしてその燃える紙を指さしながらルーカスに再び水魔法を使わせる。
「はい」
ルーカスも言われた通りに燃えている紙に水魔法をぶつけると……あっけなくその火は消滅した。
「……これは」
それを見せられてようやくルーカスもトールスが言っていることを理解した。
「ああ、発動中の魔法は発動後の魔法では干渉できないんだ。その性質を逆手にとってファレス・アゼクオンはその膨大な魔力にものを言わせ、魔法を発動させたまま、操作を終えなかった。だからルーカスの魔法も霧散してしまったんだ」
「そんなことが……あり得るの、か」
思わず本音が漏れるルーカス。
「残念ながらあり得るようだね……ファレスの魔力が切れない限り、死体の処理は難しそうだ」
「そう、ですね……」
こうして二人はファレスと言う存在の異質さを十分に理解すると同時に、少し間違った魔法理論を習得するのだった。




