第百六話 ネクシア聖教国の聖者⑧
「おはようございます、ファレス様」
翌実早朝、俺はいつも通り、部屋の外から掛けられたサラの声で目を覚ました。
起き上がり、周囲を確認するも、やはり今日も一切の痕跡は残されていない。
「ああ、おはようサラ」
俺が返事をすれば、既に完璧なメイドモードのサラが礼儀正しく入ってくる。
「ファレス様お目覚め早々で申し訳ありませんが、こちら奥様からのお手紙です」
起き上がった俺の真横までやってきたサラは、そう言って手紙とペーパーナイフを差し出してきた。
俺はそれを受けとり、テーブルに腰掛けて封蝋を砕いた。
『最愛なるファレスへ
私もクロフォードも元気に過ごしているわ。でも、ファレスがいない我が家はすごく寂しいわ。だからこうして頻繁にお手紙をくれるのは凄く嬉しいわ。いつもありがとう。
このまま何枚でもお話していたいけれど、そちらも大変そうなので本題に入るわね。
ベリル殿下の事件については聞いているわ。大変だったわね。グランダル家のことも承知しています。本当なら今すぐにでも滅ぼしてやりたいところなのだけど……ごめんなさい。少し忙しくて、王都の方まで行っている余裕がなさそうなの。それで、肝心の聖者についてだけど、一人だけ心当たりがあるわ。本当なら私が案内してあげたいところだけど……お父様に連絡を入れておくから、ファルシアンを訪ねてね。
学園休校のタイミングで会いに行きたかったけど、出来なくて寂しいわ。でも、アゼクオンからファレスの活躍を見守っているわね。
少し広くなった我が家から スジェンナ』
母さんの返信からはいつも通りの愛情を感じさせられる。
しかしながら、母さんが俺より優先しなければならない用事とは……皇帝の生誕祭でさえ放棄して帰ってくるような人なのに。
まあ、もし何かがあればその時に連絡してくるだろう。
それより、流石は母さんだ。
欲しい情報を的確に持っている。
コミュ障の父に代わって、アゼクオンの顔をやっているだけはある。
……ファルシアンか。
そう言えば魔法披露宴でファルシアン家の人たちに会って以来、リカルド兄上以外には会っていないな。
「サラ、遠出の準備を。ファルシアンへ行くぞ」
「承知しました」
俺はすぐにサラに指示をだし、遠出の準備を始めさせる。
今回は旧ノウ領の復興とは違い、騎士を率いての遠征ではない。
そのため、荷造りはサラに任せ、俺は他の用を済ませることにする。
机上に置いてあるリングケースのようなサイズの中がクッション材になっている箱から、セレスティアから貰った通信玉を取り出し、魔力を通す。
ようやく手に入った新しい手がかりのせいか、早朝にいきなり声をかけることへの躊躇いはなかった。
「(セレスティア、起きているか?)」
通信玉は衣服などの布越しであろうと体に触れてさえいれば、隣りにいるかのように話しかけることが可能だ。
対して、俺が眠っている間にしていたように、体から離して保管している場合、声が掛けられると通信玉は光って連絡が入っているという旨を伝えてくれる。
メールのようにメッセージを残しておくようなことはできないが、それでも十分便利過ぎる機能である。
「(ファ、ファレス様!? お、おはようございます。……珍しいですわね、ファレス様からご連絡をくださるなんて。何かございましたか?)」
素っ頓狂な声を上げかけて、それでも貴族令嬢のプライドで何とか取り繕った様子のセレスティアがすぐに応答する。
「(ああ、セレスティア。以前言っていた件、対応は終わっているな?)」
俺が確認したのは聖者探しにセレスティアが同行する件についての許可や諸々が終わっているかどうかというもの。
「(もちろんですわ。お父様はなにやら色々と言っておられましたが、お母様が全面的に許可をくださいました。何かがあった際はファレス様に全責任を取っていただくようにと)」
………………。
主語のない物言いに一瞬のラグもなく反応してくれたのはありがたいのだが、なんだか少し違うベクトルの話になってきていないだろうか?
これではまるで……いや、何も言うまい。
「(そ、そうか。……ンンッ! それで、具体的な話だが、手掛かりが見つかった。遠出をすることになる。行先はファルシアン辺境伯領だ)」
「(ファルシアン領……ですか)」
その名前を聞いたセレスティアの声が若干曇る。
俺も言ってから気が付いた。
ファルシアン領と言えば、先日セレスティアの姉であるエルシアさんが大きな傷を負ったまさにその土地である。
トールスの企みであったとはいえ、少し気が急いて配慮に欠ける言動だったかもしれない。
……落ち着け、まだ手掛かりが手に入っただけだ。
本当に重要なのはここから。
トールスの企みを潰し切るまで、気を抜くな。
「(すまない。お前に配慮のない言い方だったな)」
「(いえ、謝っていただくようなことではありませんわ。確かにお姉様のことで良い印象のない名前ではありますが、あの一件はトールス・グランダルの仕業です。……それに)」
セレスティアはそこで言葉を切ると、一度大きく深呼吸をしたような息遣いがこちらにも聞こえて来た。
「(それに、この旅はファレス様と一緒なのですもの。何かが起ころうと守っていただけると信じておりますわ)」
顔は見えない。
しかし、セレスティアはまっすぐと俺の目を見て話してくれているように感じた。
「(……そうか。最善を……いや、アゼクオンの名に誓ってお前たちを守ると誓おう)」
だから、俺の意志とは関係なくそんな言葉が口を吐いた。
「(そこはお前たち、ではなくセレスティアと言って欲しかったところですが……まあ、良いですわ。出発は何時になさいますの?)」
若干の呆れを含んだような声音でそう言うセレスティアだが、その声は笑っている。
「(準備ができ次第のつもりだったが、何か不都合があれば、一日、二日待つことは出来る)」
「(問題ありませんわ。そうですね……今晩、ファレス様のお宅に伺っても? 一晩泊めていただき、明日の朝出発でいかがでしょうか?)」
「(それで構わない。では、また後でな)」
「(はい。後ほど)」
駆け出していくようなセレスティアの足音を残して通信玉から音が消える。
出発は明日。
ファルシアン辺境伯領は帝国北部のほぼ全域を占めるが、北部のさらに北は魔獣や魔物の巣窟であるため、都市は王都からそこまで遠く離れているわけではない。
アゼクオンと王都がこの世界の馬車を走らせ続けて約十二時間とすれば、大体その倍程度の一日ほどで到着することが出来るだろう。
「ファレス様」
セレスティアとの会話を終え、明日以降の計画を練っているとサラが部屋に戻って来た。
「どうした?」
珍しくノックもなく入って来たサラに声を掛けてみれば、サラはこちらに駆け寄って俺の腕を抱き寄せた。
「サラ? 何かあったか?」
なんだ?
微かに震え、力の籠るその手に疑問を抱く。
学園ならばともかく、この家に居てサラがこのようにくっついてくるというのは中々、いや、史上初めてのことだ……夜を除けば、だが。
「……昨晩は、ああ言いましたが、別にセレスティア様に譲るつもりは……ありません」
ギュっとさらに力を込め、何ともいじらしい表情で独占欲のような感情を覗かせるサラ。
昨晩と言えば――そう考えた俺の脳内に昨晩のサラの言葉が蘇る。
「ファレス様……私はどのようなご選択をなされても、一生御傍に」
睡魔に呑まれる間際、サラはそう言っていた。
……なるほど。
通信玉での会話は外には聞こえないはずだが、サラはおそらく俺がセレスティアと話していたことを察したのだろう。
それで昨日の発言を思い出し、こうして珍しいことをしてきているのだ。
「……明言はしない。ただ、俺もお前を手放すようなことはしない。今後一生だ」
サラに抱き着かれている方とは逆の手でその体を抱きしめながら言い切る。
「はい」
一生……将来……結婚……か。
どれもこれもなんとも厄介で、面倒で、それでいて選ぶ権利と相手がいる俺には、幸せな悩みである。
今は最優先ではないにしろ、しっかりと考えなければならない問題はまだまだ山積みだった。
◇◇◇
――夜。
数人の従者と外出用の荷物を積んだ馬車と共にセレスティアが我が家を訪れた。
「こんばんは。ファレス様、サラさん。本日から、よろしくお願いしますわ」
「ああ、ようこそセレスティア」
俺が歓待をすれば、サラが同僚兼部下のメイド達にセレスティアの荷物や従者の部屋を案内させる。
「我が家には毎日のようにいらしていただきましたが、こうして私が訪問させていただくというのは初めてですわね」
確かに、すでにほぼ身内のようなサンやクインはともかくとして、我が家に人を招くこと自体かなり珍しい。
「そうだな。今日は一晩だけだが、案内しよう」
そう思うと貴族としてのプライドなのか自然と気合いが入る。
「あら? ファレス様自らご案内していただけますの?」
「不満か?」
「いえ、滅相もございませんわ」
少しだけ驚いたような顔をしたセレスティアを揶揄ってみれば、そう言って顔をほころばせながら腕を絡めてくる。
俺はそれを抵抗なく受け入れながら、サラに案内をしてくる旨を伝えるため、メイドたちに指示を出している方を振り返ると、今度はさり気なく逆の腕が取られる。
「お供します」
そこにいたのは先ほどまでメイド達を取り仕切っていたサラ。
「あら、サラさん? あなたも案内が必要なのかしら?」
「いえ、私はただ、ファレス様と共に在るのみですので。ファレス様のいかれる場所へはどこへだってお供するだけのことです」
俺を挟んでバチバチと火花を散らす二人。
ただ、今日は少し睨み合うとすぐにその表情から強張りが消える。
「……まあ、良いですわ。こうして両側を抑えておいた方が余計な相手が増えなくて済みそうですもの」
「……ファレス様の手前、あまり失礼なことを言いたくはありませんが、それには同意見ですね」
中央の俺を見つめ、極上の貴族令嬢スマイルを向けてくる二人。
………………。
「ンンッ! とりあえず、中庭から行くとしよう」
二人の話には敢えて触れずに俺は両側の腕を軽く引く形で歩き出した。




