第百二話 ネクシア聖教国の聖者④
スペーディア別邸から帰って翌朝。
グランダル公爵家を始めとした帝国内の有力貴族たちによって、大々的に発表されたベリル・グラーツィア殿下によるメーディア・フルタス伯爵令嬢の殺人は大いに王都を揺るがした。
元より娯楽の少ないこの世界における特権階級の最上級の不祥事なんてものは、刺激に飢える民衆にとっては格好の的となり、民衆は皇帝からの正式な発表に期待が集まった。
しかしながら、この件に皇帝は反応と言う反応を示さず、次第に民衆の注目は皇室への悪感情へと
変わっていった。
「グランダルは一気に勝負に出たようだな」
そんな報告を朝食と共にサラから受ける。
「はい。これはまごうことなき反逆、だと言うのにどうして皇帝は動かないのでしょう?」
サラは今朝王都中にばら撒かれた号外新聞のような記事を眺めながら、そんな疑問を呟く。
「……あの皇帝のことだ。気にも留めていないのだろう。それにだ、サラ。なぜこの国は帝国なのにここが王都と呼ばれているか考えたことはあるか?」
皇帝に関しては概ね俺の推測で正しいだろう。
あの爺はおそらく国の治世などほとんど気にしていないはずだ。
それが、この王都と言う呼び名に現れている。
「言われてみれば……歴史的な名残なのかと」
俺の問いかけにハッとしたようにサラは答えた。
「まあ、元を辿ればグラーツィア家が武力によって帝政を敷いたわけだからな。以前にここが王国と呼ばれる土地だったのであれば、サラの考えも間違っていないだろう。しかし、もっと簡単かつ明瞭な理由がある」
一度言葉を切ってから続ける。
「この国は皇帝が動かしているのではない。皇帝はただ王の上の位に存在しているのみ。政治は王城所属の役人や各領を支配する領主家によって行われている。おそらくそれが理由で皇帝は特に何も言わないのであろう」
こんなものこじつけと言われてしまえばそれまでだが、これまで数度皇帝と対面して来て感じたことはあの皇帝は正しく武闘派、という物だ。
おそらく強欲にすべてを手中に収めたいという欲望こそあっても、その後のことをあれこれと考えるタイプではない。
だからあの日、突然俺に皇帝の名代なんてあり得ない地位をぶん投げたり出来たのだ。
「なるほど……。たとえ自分の御子息であろうと我関せずを決め込んでいるという訳ですね」
「ああ、皇帝はそれが許される立場だからな」
ただ、今回の場合、それはかなり迷惑な話になる可能性がある。
皇帝が無反応の場合、民衆の次の標的はどこになるだろうか?
そう、それは数年前から一挙に世俗で知名度を得た皇帝の名代、つまり俺である。
「……はぁ」
思わずため息が漏れる。
そうなったら、それこそまさに不遇という物である。
まさか、俺に対処を押し付けるつもりで何も発言していないわけじゃないだろうなあのクソ皇帝。
「ファレス様?」
「いや、何でもない。先のことを憂いていても良いことはない。さて、とりあえず学園へ向かうとするか。……この騒ぎ、恐らく休学となるだろうがな」
「そうですね!」
俺が休学と言うと途端に表情を明るくするサラ。
俺はサラが差し出してくる制服に袖を通しながら、恐らくこの身に降りかかるであろう面倒に対する対応策を考え始めた。
◇◇◇
一歩屋敷の外に出れば、ここでは聞きなれない怒声が響いてくる。
貴族街と平民街はかなりしっかりとした線引きがあり、国の祝日や特別な事情がなければ平民が貴族街に足を踏み入れることはほとんどない。
そのため、王都の喧騒も貴族街に入ってしまえば落ち着くという物だが、今朝は平民街の方からの声がごく中心にあるアゼクオンの別邸にも聞こえてきていた。
「凄まじい反響だな」
「はい。早朝からこの調子で、境界付近の露店などは店を開けない程という話です」
今回のことはこの国が帝政だと言うのに、変に治安が良いのが仇となったな。
普通の帝政ならばもっとガチガチに統制され、殺伐としていようものだが、この世界は元がゲームだからか経済の自由がある程度認められており、スペーディア家のように平民から貴族階級へ昇格するという例もある。
だが、そのように開かれた環境だからこそ、民は自身と皇帝と言う圧倒的存在の差異を勘違いしてしまう。
これはモラク・ルー・グラーツィアと言う変わり者の現皇帝が、役人に優秀な平民身分も採用するようにしたこともきっかけとなっているのだろうが、本来皇室に対する暴言や罵倒、侮辱などしようものならば、一族郎党即刻処刑でもおかしくないレベルなのだ。
「……この調子が続くならば見せしめに遭う者が出てもおかしくはないな」
「そうですね……私たち貴族階級はともかく、平民の増長は利がありません」
「ああ……」
だが、もしそんなことをされようものなら、俺にヘイトが向いたときにより面倒なことになってしまう。
なんとか、良い感じに収まって欲しいものだが……。
朝から頭の痛い話をしながら俺たちは学園へ到着した。
「おはようございます。ファレス様、サラさん」
声を掛けて来たのはほぼ毎日同タイミングで学園へやってくるセレスティアだ。
だが今日は少し表情が暗い気がする。
「ああ、おはようセレスティア」
「おはようございます」
「昨日は突然の呼び出しにも関わらず、駆けつけてくれたこと礼を言う」
俺はセレスティアに昨日の礼をまだきちんと言っていなかったことを思い出し、改めてそう言った。
「いえ……私が出来たのはせいぜい連絡役。サラさんやクインさんのような治療の術もサンさんのように血液に干渉する魔法なども私は持ち合わせておりませんでした。自分の無力さを恥じるばかりです」
なるほど。
セレスティアのテンションが低いのはそれが原因か。
「いや、それは適材適所という物だ。実際、お前の通信玉がなければホーミカ先生は助からなかったかもしれないし、お前が連れて来たメホロス先生が居なければ俺は間違いなくあの場で殿下を斬っていた」
「ですが……」
俺がそう言って励ますも、どうやら本気で何もできなかったことを気にしているらしいセレスティアは珍しくしおらしい。
「はぁ……それでも淑女ですか? そんな心の持ちようでファレス様に並び立とうなどと、貴方も程度が知れますね」
なんて俺が思っていたのも束の間、厳しい口調でサラが鞭を振るう。
「なっ……なんですって!」
珍しく萎れていたセレスティアもその言葉には我慢ならないと、ようやく下を向いていた視線を上げた。
そんなセレスティアに向けてサラが続ける。
「私は貴方のことがそこまで好きではありません。ですが、同じ方を想う者同士として、そのような張り合いのないことをされるのは嫌です。ファレス様を想うのであれば、その言葉すべてを信じ、誠実に受け止めるべきです。ファレス様が先ほど言われた言葉を胸に、反省があるならばそれは次の機会に活かしなさい」
さすがは筋金入りのファレス信者。
言葉の節々からかなりの重さを感じる。
「……ファレス様を想う者同士、そう、ですわね。……お恥ずかしいところをお見せいたしましたわ。ファレス様、サラさん」
そうして視線を交わした二人は何処か通じ合っている様だった。
「……気にするな」
真っすぐすぎる感情を向けられた俺としては照れくさい限りだが、まあ、セレスティアが普段の調子に戻ったようなので良しとしよう。
こうして俺はいつも通り両脇を固められながら学園内を歩くのだった。
◇◇◇
「陛下、本当に何も声明を出さずともよろしいのですか?」
その頃、王城ではグレイグを始めとした皇帝モラク・ルー・グラーツィアの腹心が皇帝に意見を求めていた。
「良い。少し黙ってみれば、すぐに増長し、騒ぎ立てるグランダルには腹が立たんこともないが、ベリルの件について、余から発表することなぞないわ」
皇帝の言う黙るとは三年前から行われなくなったある催しを指していた。
それは以前まで一週間という長期にわたり、全子爵家以上の貴族を招集して行われていた皇帝の生誕祭である。
三年前……いや、正確には四年前になるが、旧ノウ領、及びアゼクオン領など帝国南部に決して軽く見られない被害を与えた地震災害によって、全貴族召集の危険性が見直され、皇帝の生誕祭は祝日と言う形で残りはしたものの、以前のように招集が掛かることはなくなっていた。
「それに――」
モラクは口元に獰猛な笑みを浮かべて続けた。
「黙ってた方が面白いことになるだろうて。さて、余の名代は如何な対応を取るのか?」
モラクはそう言って振り返る。
王城の中心にある玉座の間からは、貴族学園の姿が一望できる造りとなっていた。




