佳織の場合⑦
忘れていた。
いや、忘れていたわけじゃないけど。
3025グラムのあの重さ。
ぬくもり、暖かさ、匂い。
ああ、会いたい。
エレベーターを待つ時間ももどかしくて、階段を5階まで駆け上る。
早く、早く。
思うように動かない足に苛立ちながら、玄関ドアを開けた。
不在時間は、実際は30分に満たない程度。
でも、不安で心臓が押し潰されそうに痛い。
どこ?どこ?
予想に反して、聞き慣れた泣き声は聞こえてこなくて、不安が募る。
リビングをぐるりと見た後、キッチンに視線を向ける。
「あ……」
考えるより先に体が動いて、「だめ」と叫ぶと同時にマナの体を自分に引き寄せた。
弱火でグツグツ煮えているカレーの鍋に必死に手を伸ばそうとしていた小さな手。
火傷していないことを確認して、フッとため息が漏れた。
「マナ、ごめん」
きつく叱ってごめん。
背を向けてごめん。
一人にしてごめん。
要らないと思ってしまって、ごめん。
「いや」
マナがか細い声で呟く。
「ママ、泣いちゃ、いや」
頬が濡れる。
鼻の奥がツンと痛い。
「うん、ごめん」
「ママ、おなか、すいた」
「うん、カレー食べようね」
ギュッと抱きしめて、娘の頭皮の匂いを肺いっぱいに吸い込む。
すぐ消え去ってしまった、あの流れ星に、今祈りを込める。
どうか、この子と共に笑える未来が待ってますように。
ガチャリと玄関が開く音がする。
あと、追加で……。
家族3人、とりあえず健康で。
お互いが思い合える余裕が持てますように。
今日、娘に抱いてしまった感情、投げつけようとした言葉たち、ついつい苛立ってしまう自分自身を、胸の奥底、墓場までのダストボックスに放り投げる。
きっとこれからも、何度も、苛立ちと反省を繰り返して、私は母になる。
その前に……。
疲れた顔で帰ってきた目の前の男と、今日は一旦語り合おう。
親になるということについて、お互い、徹底的に。
分かり合えて、歩み寄れると信じているよ、今のところはね。




