第26話 死角
イルザは、他のメンバーたちとは別に単独行動を取っていた。
彼女は、自身の兄であるイゴルの尾行している最中なのである。それもかなりの距離を取って、尾行が気づかれないようにだ。
単眼鏡でイゴルの様子を見張りつつ、見失わないようにゆっくりと移動する。
「本当に、まんまと父さんと母さんに騙されたわ。このことは、姉さんも知らなかったらしいし」
イルザは、兄イゴルのことについて最近になって初めて知ったことがあるのだ。それは、兄イゴルの引きこもり期間についてのことである。
確かに兄イゴルはそれなりの期間、引きこもりだったのは事実だが、周りが思っているほど彼は引きこもりの期間が長かったわけではない。
「だけど2人は、何の職業に就いていたか知らないと言ってたけど、やっぱり何かあるに違いない」
イルザにとって目下の問題は、イゴルによって搔き乱されたハンターの件についてだ。
しかし、それでもイルザは兄イゴルにかけられた疑惑を忘れたわけではない。特に先日騒ぎになったドラゴンのコア売却の件は、鮮明に覚えている。
イルザは休暇を取った数日中に、可能な限り兄イゴルに関して調べたのだった。しかし、判ったことはあまりなかった。
「人気のない場所に? まさか尾行がバレたの? 」
尾行がバレて、誘導されている可能性を考えた。
しかし、彼女は人気のない道へは行かず遠くから見守る。とはいえ、イゴルの姿は建物などが死角となってここからは見えない。
「あれは……B級冒険者のデニス? 兄さんを追っていたようね」
B級冒険者デニスのことは、イルザも聞いている。
何人もの冒険者を追放した後、自身の奴隷にしたとんでもない奴ということ。そして、兄であるイゴルも狙われていたことを。
「まさか、兄さんに危害を加えるつもり? 」
兄のイゴルが危ない。
イルザはそう思い駆け寄ろうとしたが、思いとどまった。折角の尾行がバレてしまっては意味がないからだ。
それに……。
「兄さんを試そうとしているのね……私は」
要するに、イゴルの空白の7年間に何があったのか、その一端を知れるチャンスだと思ったのだ。
イルザは、父に言われたことを思い出した。
「……『あいつは馬鹿でも、とてもタフだ。そう簡単には死なないだろう』……か」
シンプルに解釈すれば、とにかく強いということだ。
無論、兄イゴルが何かしらの苦難を乗り越えたことを讃えてそう言っただけなのかもしれない。
イルザはシンプルに解釈した。
ハンターに関する調査が如何に危険か、兄イゴルも判っているはずだ。それにも関わらず、調査を続けると言うのはよほどの自身があるからだろう……と。
それから、時間が過ぎる。
兄イゴルが何事も無かったかのように姿を見せると、付近にあった公衆電話を使って誰かに電話をしている様子が窺えた。
「……デニスの姿が見えない」
イルザは、最悪なことを想定した。
デニスを殺し、そして何者かに後始末をさせようとしているのではないかと。
イルザも付近に公衆電話が無いか、周囲を見渡す。
「あそこね」
イルザは公衆電話まで駆け寄ると、電話をかけたのであった。
当然、デニスを保護するためである。
「あっ、姉さん。冒険者同士でいざこざがあったの。場所は……」
※
とある建物の屋上に、青年が単眼鏡を手にして立っていた。彼は、自身が所属する組織の命令でデニスをずっと監視していたのである。
「驕り高ぶった奴の成れの果てだな。まあ、代わりはいくらでもいるだろし、処分されるんだろう」
処分するかどうかを決めるのは、この青年では無い。あくまでも、その上長が判断するわけだが、前例を見れば判り切っていることなのだ。
「突然顔を出したと思えば、あんな奴の監視を命じられるなんてな……」
青年はそう愚痴を呟くと、何かを察知して素早く屋上を後にした。
「ったく。流石は王都だけあるが……それにしても動きが早すぎるだろ。あいつを倒した奴の顔すら把握できてないっていうのに」
位置や距離的な問題で、デニスを戦闘不能にした人物の顔を、はっきりと確認できなかったのだ。それを確認したかったものの、妙な横やりで中断することになったわけである。
青年は、先ほどまでいた屋上を見る。
そこには、複数の黒い影があった。
※
「これを貰ったから、渡しておく」
俺はそう言って、探偵に書類を手渡した。先ほど、イルザから貰った行方不明者のリストである。
「結構分厚いですね。後で、目を通しておきますよ」
俺としては探偵を通じて裏社会界隈から、行方不明者の調査を行ってもらおうという思惑がある。『遊撃騎士団』の調査で見落とされた点が、判ってくるかもしれないからだ。
「今日、ゲルトを逮捕する」
「今日の今日で、逮捕ですか。相変わらずの行動力と言いますか、早さと言いますか……」
「やると決めた後の、行動力と早さだけが俺の取り柄だからな。それを除いたら、俺に何が残る? 適材適所だよ。我武者羅に動いて、泥をかぶるのが俺の役割だ」
デメリットは無計画で行動すると言ったところか。
とはいえ俺が動くときは、少なくとも事前に誰かしらには伝えている。もちろん、1分1秒を争う事態なら別だが。
「格好つけてますね? そういうキャラが案外お好きでしょ? 」
「アホか。俺は、勝手にこうなってしまったんだよ。元々は引きこもりで怠惰な奴だぞ? どうして、こうなったんだろうな」
「まあ、それだけの経験があったからでしょうね? 生死を彷徨った人物だからこそ、ではありませんか? 」
「それはそうだ。こんな動き方をするようになったのは、きっかけがある。じゃあ、そろそろ失礼するよ」
俺は探偵事務所を後にした。
今は尾行している者がいないようだ。
厳密に言えば、市警を出た後からだろうか……。先ほども気になったが、あからさまに尾行していたのは1人だけだった。それはまさかのデニスであり、今ごろは拘束されていることだろう。
つまり、俺が想定していたイルザたちは誰1人として尾行していなかったことになる。
何か、俺が気づいていないカラクリがあるのかもしれない。
念のため、この場で直ぐ出来ることはすることにした。
「……俺が感知できる限り、立ち止まっている奴は……何人もいるな。まさか、こいつらが全員尾行しているわけでも無いだろうし」
俺は、人の気配を感じ取ることが出来る。
当初、この能力を得たときは辛かった。人が多い町などへ行けば、範囲内すべての人間の気配を察知することになるからである。
酷く疲れた記憶だけは鮮明に覚えている。
幸い訓練を重ねた結果、範囲を狭めることが出来るようになり、今では日常生活を送れるようになった。
さて、尾行しているか否かは、その感じ取った気配の動きで判断している。だが、基本的には半径100メートル程度の距離にある気配だけに絞っている。
市街地では人が多いので、さらに範囲を狭めることもあるわけだ。
人の気配を感じ取るだけなら半径1キロ程度まで可能だが、それ全部を一度に確かめる(意識する)のは、かなり疲れるからである。
「これをずっと続けていると体力が持たないな」
俺は今、半径200メートル程度までにいる気配の動向を確認しているのだが、やはり市街地であるためか、流石に人が多く情報量がとてつもない。
「夜にはゲルトを逮捕しなければならないし、無駄に疲れる行動は控えておくか」
俺は、一先ず酒場【パパップ】の付近まで移動することにした。




