生命Ⅰ
どうも、肉体脱却の偽神ナカツタマヨリです。
こう書くとヤルダバオトらしく思えません?思えませんか、以下のリンクをどうぞ。
生命を溢れさせどうするつもりか。それはわたしたち人間が生きる目的にも触れることになるのだが。簡単な問いのつもりが根源的な問題へと発展しているわけだが。
生とは性、産み増やすことが目的。産み増やせない者には目的はあるのだろうか。そもそも産むことを目的とした生物に不妊という現象が起こるのは何故だろうか。性を持たない者は自分の細胞を世界に広げるのだ。性を持つ者は互いに交わり子をなし世界に広げるのだ。 目的は結局変わらないのだが、しかしそこには性の有無が多大に関わってきている。無性別にしろ有性別にしろ増えることが目的なのだよ、。
生物が増えるのはきっと別の星に生命を広げるためであろう、そうでなければ広大な宇宙に夢など見ない。
わたしたち人間が、人間こそがパンスペルミア説の証人となるのだ。
偶然であり、必然の、生命の循環のために、
身を粉にし散らばり、全ての世界に生命を溢れさせるのだ、神々よ。
いずれ形あるものは崩れるし、形ないものは存在を忘れられる。死は別れることではなく概念になることであり忘れ去られれば本当にそれは無くなってしまう。幾度繰り返されたことか。幾人の人が存在を忘れられ死んでいったことか。
生命の生きる意味とは、文明を発達させ他の星へと生命を撒き散らすことの繰り返しと見出した。
ならば争っている暇もなく、ましてや互いで互いの首を絞めることに価値など無いのだが、
なぜ地上の者は争うのか。
一生命として生を受けたからには自らの使命を果たさなければとは思うのだが、
しかしそれは表現者ではなくただの女に成り下がることを指す。
女にならなければいけないのだろうか。わたしは今のどちらでもない状態が心地よい。
どちらに傾くべきかと熟考、現在の価値観では答えを見出すには至らない。