忠告
「で、君は何度ここに来るつもりなんだ?」
若い医者のセリフを受けて、俺は言葉に詰まった。
ベッドの上に寝かされた俺の全身は打撲と内出血と骨折と、ちょっぴり筋肉断裂という有様だ。
「君の友人が通報してくれたからいいものの、あんな雨の中で倒れてたら死んでいてもおかしくないんだよ?」
……はい、ごもっともです。
あと、真剣に俺の専属医みたいになっちゃってすいません。
けど、信頼してるので許してください。
「それに君の相手方の……斎木祭君か。彼も君と同じくらいの怪我をして寝てるからね。全く、いつの時代の喧嘩だよ。ここまで徹底的にやるなんて」
…………本っっっっ当にすいません。
俺は心の中で土下座を通り越して五体投地しながらも、一つだけ気になる事があったので素直に口にする。
「あの、聞きたい事があるんですが?」
「なんだい? 高月君と斎木君のどちらが勝ちか医学的知見から判断してくれって質問以外なら受け付けるよ?」
くそ、ばれてたか。
前回も最終的に俺と弾希の勝敗の判定をこの先生に頼んでものすごく怒られたからな。医者なら分かりそうだから聞いたのに。
「違いますよ」
俺はその件は後日考える事にして、喧嘩の途中で記憶が戻った事を医者に伝えた。
「うーむ……という事は、高月君はなくなった部分の記憶と同じような事をする度に、記憶が戻っているわけだ」
医者はそういうと、一人納得したように頷いて席を立った。
「記憶が戻った事自体はいい兆候だ。けれど」
医者はそこで言葉を切って背を向けた。
「思い出し方が部分的すぎる。大きなきっかけがない限り、高月君の記憶は戻らないかもしれない」
「え……」
俺は言葉を失い声を上げる。
「高月君は斎木君の事を思い出したんだよね?」
慎重に首肯すると、医者は質問を続けた。
「それじゃあ、その時斎木君とどこにいたのか、室内か屋外か、誰かといたのか一人だったのか、天気はどうだったか時間はどうだったか、自分がその時どう思ったのか。なんでもいい、斎木君に関する事以外詳しく思い出せた事があったら教えて欲しい」
俺は記憶をたぐるが、斎木と喧嘩した事とその状況は思い出せても、具体的な状況はどうしても思い出せなかった。
「そうか」
そして、その事を医者に告げると、医者は残念そうに言った。
「つまりそれは、高月君の中の記憶のネットワークとも言うべきものが断裂しているんだよ。個々の事実は思い出せても、それをまだ関連付ける事ができていない。木を見て森を見ず、とでも言えばいいのか、まだ高月君は本調子には戻れていないようだね」
「そう、ですか」
「なに、焦る事はないさ。今は無理でも問題ない。むしろこの段階でここまで記憶が戻っている事の方が少し問題なんだよ」
俺は意味が分からず眉をひそめた。
「例えば、だ。高月君は僕が君の小学校の保健医をやっていた事をもう思い出したかな?」
「え?」
言われてみるとそんな気がしないでもない。白い部屋と消毒液の臭いはそのままに、子供の喧騒が加わったこのような部屋が、俺の記憶の片隅から呼び起こ――
「というのは冗談だよ」
「はいぃ!!?」
俺は後から考えても間抜けな顔をしていたに違いない。
「けれど今、高月君は僕の言った事が本当かどうか分からなかったでしょう?」
「はい、そりゃその時の記憶がないですから」
俺はちょっとすねたように言った。
「けれど、記憶が戻る時のような感覚はなかったかい?」
言われてみれば……。どういう訳か、何か思い出しそうになっていた。
「高月君の記憶のネットワークが断裂しているってさっき言ったけど、今のがその証拠さ。簡単に嘘が事実の中に混入出来てしまう。急いで記憶を取り戻そうとすると、間違えた記憶まで根を張って、間違えた記憶のネットワークが再構築される原因にもなるから、よく心得ておきなさい」
医者はそう言うと、静かに病室を後にした。