発露
「あ~くそ、誰も来ねえな……」
黒騎士との戦いから三カ月。執務室のソファに寝転がりながらグァルドが嘆く。彼の嘆きを耳にしたエイヴィルがそれに答える。
『何だ、ここの生活に不満か?』
「生活っていうか……。ただ毎日が過ぎてってるのが勿体ねえって思ってな」
実際ここでの生活そのものはグァルドは気に入っていた。勿論初めはそれなりに聖領との習慣の違いに混乱することもあったが、こうして魔領で暮らすうちに居心地が良いと感じ始めている自分がいることに彼は気づいていた。
そしてグァルドが気づいたことはもう一つ。それはこの城に住んでいる魔物たちはグァルドの顔を見ても怖がらないということだ。実際ウィニをはじめとした使用人たちも彼の顔に物怖じすることなく話しかけている。
『フム……、小僧はそんなに戦いたいのか?』
「ん~、まあそうだな。一応俺も魔人な訳だし、それが役目だろ?」
(うう……、私もグァルドとお話ししたいよぅ……。お祖父様ばっかりずるい……)
机に向かって政務をこなしていたオルベルが心の中で叫びを上げる。そんな彼女の心中を感じ取ったのかウィニが小声で嗜める。
(オルベル様、政務が終わるまでは御辛抱を)
(わ、わかってるよ……)
『ムゥ……、役目だからという理由はいまいち気に入らんな。それは危ういことだと思うぞ』
「…………別に爺さんに気に入られようとは思わねえよ」
『何だと!! あと爺さんと言うなと言うに!!』
「エイヴィル様!! もう少しお静かに願います!! オルベル様は政務中なんですよ!?」
大声でグァルドと会話するエイヴィルについに堪忍袋の緒が切れたのかオルベルの後ろに控えていたウィニが怒鳴り声を上げる。
『おお、済まんな孫よ!!』
「べ、別に良いよ。もうこれで終わったから」
そう言ってオルベルは最後の書類にサインを書き終え、机に突っ伏す。今日はいつもに比べて一段と書類仕事が多かったようでぐったりとしている。
「お疲れ様です、オルベル様」
即座に机の上の書類を整理した後、ウィニは砂糖がたっぷり入った紅茶を用意した。オルベルは小さく彼女に礼を言うとちびちびとその紅茶を味わう。
「ふぅ……」
存分に紅茶を堪能すると、オルベルの小さくため息を漏らす。
「何だ、書類仕事ってのはそんなに疲れるもんなのか?」
「うん……。グァルドもやってみる?」
「死んでもやらねえ」
「あはは……、だよね……」
グァルドとの会話でもいまひとつ元気が出ないオルベルを気遣ってかウィニが口を挟んでくる。
「どうでしょう、オルベル様? 気分転換にあそこにお出かけになられては?」
「あそこって……エスピリアのこと? 確かに行きたいけど遠いし、いまからじゃあ晩御飯までに帰って来れないよ?」
「それに関しては問題ありません。グァルド様がいらっしゃるじゃありませんか。グァル様に抱っこして走ってもらえばすぐに着きます(お姫様抱っこされて顔を真っ赤にするオルベル様……。ハッ!! ヤバイ、鼻血がッ!!)」
「ええっ!! そ、そんなグァルドに悪いよ……!! (抱っこかあ……。やってもらいたい気も……、ってダメダメ!! でもやっぱり……)」
鼻血を凄まじい勢いで噴射するウィニと高速で首を左右に振り続けるオルベル。
「なあ……?」
『何だ、小僧よ?』
「魔物の女ってのは皆こんな感じなのか?」
『…………、小僧よ、余にもわからんことはあるのだ』
「そうか、そうだよな」
暴走する二人を見ながらグァルドとエイヴィルはそう呟きあった。
「グ、グァルド!!」
「おおうっ!?」
ずっと高速首振りを続けていたオルベルが突如グァルドの眼前まで詰め寄ってくる。予期していなかったオルベルの行動にグァルドは面食らう。
「あ、あの私と一緒にエスピリアに行ってほしいんだけどッ……!!」
「あ、ああ、その話か……。おっし、何処かしらねえけど、じゃあ行くか」
「ほ、ホントに!?」
グァルドの返事に顔をパァッと輝かせるオルベル。その輝きに若干たじろぎながらもグァルドは返事をする。
「ここでジッとしてるよりはよっぽど良いだろ。それに鈍った身体には良い運動になるだろうからな」
グァルドはそう言うとソファから起きあがり、早速執務室から出て行こうとする。
「じゃあ、行くか。道案内頼むぜ、オルベル」
「う、うんっ!!」
グァルドの背中を追ってオルベルは駆けだす。そして光景を見てウィニは微かに微笑んでいた。
――勿論止め処なく鼻血を流しながら。
ルーシェは窓からグァルドがオルベルを抱きかかえて城から出ていくのを見ていた。一体何処に行くのかという疑問はあったが彼女はすぐに考えるのを止めた。
「……私には、関係ない」
ルーシェは誰に告げるでもなくそう呟くと自分にあてがわれた部屋を後にする。
手には弓。背中には矢筒。
訝しげな目で自分を見る使用人たちには目もくれず、彼女は城壁を目指す。黒騎士が襲来した際にグァルドを援護したときに陣取ったあの場所である。
城壁に着くとルーシェは空を見上げた。
昼ごろから急に曇りだしたため、その空は鉛色で覆われている。芳しくない状態の空模様であったが、ルーシェは空を見上げたまま優しく微笑む。
それは誰を想っての笑みなのか。その答えを知っているのは彼女一人。
「……そろそろ、かな……」
十分に時間が経ったことを確認しルーシェは鉛色の空に向けて弓を構える。弦は震え、張り詰めた空気が辺りに漂う。
「……これで、やっと」
ルーシェの目から何かが流れ落ちる。それは重力に逆らえる筈もなく頬を伝い地面へと落下した。
「……あなたを救えるよ、グァルド」
そう呟き、彼女は右手につがえていた矢を放す。その矢は空高く舞い上がり、音もなく赤く発光した。どうやら閃光を放つ薬品を予め矢の先端に取りつけていたようだ。
この赤い光を見たのは打ち上げた張本人であるルーシェと城に残っているウィニたち使用人、そして――。
「まだ着かねえのか、そのエスピリアってとこには?」
「ううん、もう着く筈だよ。ね、お祖父様?」
オルベルはそう言ってグァルドの肩に提げられたエイヴィルに確認をとる。ちなみにエイヴィルはその長さに見合った鞘がないため、抜き身のまま提げられていた。
『フハハハハハ!! その通りだ、我が孫よ!! このスピードならばもう五分もかからんだろ!!』
そして実際彼の言う通り目的であるエスピリアには三分ほどで到着した。
「おお……!!」
グァルドが思わず感嘆の声を上げてしまったのも無理はない。エスピリアはそれほどまでに美しかったのだから。
山に囲まれたその場所は中心にある湖とその周辺以外のほとんどを色とりどりの花に覆われていた。その花弁からは花の色と同じ色の粒子が飛び交い、更に幻想的な雰囲気を醸し出している。
「……びっくりし――」
『フハハハハハ!! 驚いたであろう、小僧よ!! ここが魔領で最も美しいとされる場所、魔物が死後訪れることになる霊地エスピ……っおおう!? 何をする孫よ!? こ、こら蹴るでない!!』
自分の台詞をとられたオルベルが無言でエイヴィルに蹴りを入れる。しかし、そのやりとりも既にグァルドの耳には届いていなかった。
「初めて見たなこんな景色……」
グァルドはそう呟くとこれまでとは違い、一歩一歩ゆっくりと湖へと歩を進めた。いつもと明らかに違うグァルドを気にしてかオルベルは緊張した面持ちでその口を閉じる。空気を読めない、もとい読まないエイヴィルは
『そうか、そうか!! なら連れてきた甲斐があったという――だから何故余に蹴りを入れるのだ、孫!? わ、わかった、黙れば良いのだろう、黙れば……!?』
オルベルに無理矢理黙らされていた。
そうして時間をかけ湖のほとりに辿り着いた一行はようやく腰を落ち着ける。その頃にはグァルドもいつもの調子に戻ったため、オルベルはホッと胸を撫で下ろした。
「ねえ、グァルドさっきはどうしたの? 何て言うか……変だったけど……」
「……目を合わせねえ割にオマエも言う様になってきたな」
「ご、ごめん」
「別に怒ってねえよ。寧ろ……そうだな、どっちかっていうと嬉しい」
「え? ええ!?」
思ってもみなかったグァルドの返答にオルベルは驚きを隠せない。
「な、何で?」
「そりゃ、オルベルがそれだけ俺に遠慮しなくなってきたってことだからな」
「そ、それってもしかして……」
淡い期待を胸に抱きながらオルベルは目を輝かせる。しかし、その期待はグァルドの言葉で完膚なきまでに粉砕された。
「仮面を被らねえで本当の自分で接するってのは良いことだ」
「…………」
「? おい、どうしたんだよ?」
「別に何でもない………」
『小僧よ……』
「?」
哀れむような声でエイヴィルがグァルドに声をかけるが当の本人は何故そんな風に声をかけられたのかすら理解していない様子だ。
『ときに小僧』
会話から戦線離脱中のオルベルに代わりエイヴィルがグァルドに話しかける。
『以前孫から聞いたのだが、孫に魔王の仮面を被るのは止めろと言ったそうだな?』
「ああ、確かに言った。何か文句でもあるのか初代魔王さん?」
『フハハハハハ!! 別に構わん。余も常々あの口調はあれには似合わんと思っておったのだからな。詰まる所、魔王に必要なのは格好ではない中身なのだ』
「なら、何だよ? 何で今さらその話を蒸し返すんだ?」
先の見えない話にグァルドは苛立つ。しかし剣に姿を変えたといっても初代魔王。その程度の威圧では怯みさえしない。
『なに、どうして小僧はそこまで自分を偽ることに否定的なのかと思ってな。小僧自身が自分を偽っているのにも関わらず、だ』
「ッ!!」
グァルドはエイヴィルの言葉に動揺を隠せない。何故ならグァルドは未だ魔領の者たちには自分の秘密を隠し通せているものと思っていたからだ。
『余が気づいておらんとでも思ったか。笑止の至りよ』
「……いつだ? いつ気づいた?」
「何、どうしたの?」
グァルドの荒ぶった声に正気に戻ったオルベルがそう尋ねるが二人はお構いなしに会話を続ける。
『フン、小僧が余をその手に握ったときからだ。ジュスティクスは気づいておらんかったようだが元が魔物である余は誤魔化せんぞ? 同類の匂いがプンプンするわ』
「…………ッ!!」
思わず舌打ちをするグァルド。しかしエイヴィルに怒りを抱いているというよりは迂闊な己自身に苛立っているようだ。
「…………話が見えないんだけど……、つまりお祖父様どういうことなの?」
『何、難しいことではないぞ、孫よ。この小僧にも我らと同じ血が流れているというだけの話だ』
「えっ!! じゃ、じゃあグァルドも魔物だったの!?」
オルベルが驚きと喜びの感情を浮かべながらグァルドを見る。しかし、グァルドは未だ俯いたままだ。
「……違う、俺は魔物じゃ……ねえ」
歯を喰いしばりながらグァルドはそう声を絞り出す。
「でも、お祖父様が私たちと同じ血が流れてるって……」
『確かに小僧には余らと同じ血が流れとる。だが――』
そこでエイヴィルは一旦言葉を切る。そして普段よりも数段重々しい声で告げる。
『それは半分だけだ。もう半分は人間の血。つまり……小僧は忌血種ということになる』
魔物と人間が交わって生まれる存在。不幸を呼ぶとして聖領でも魔領でも忌まれ蔑まれる生き物。
それが忌血種。
「…………」
驚きからか怖れからかオルベルは一言も言葉を発しない。いや、発することができない。そんなオルベルを漸く顔を上げて見つめるとグァルドは観念したように嘆息する。
「…………依頼が終わるまでは隠し通せると思ったんだけどな」
『フハハハハハ!! 残念だったな、小僧よ!!』
「それで? 俺が忌血種だったらどうするつもりだ? 魔人の契約破棄? それとも捕らえて処刑でもするか?」
『何故そんなことをせねばならんのだ?』
エイヴィルは心底不思議そうな声を上げてグァルドに尋ねる。
「何でって……、俺は不幸を呼びこむ忌血種なんだぞ?」
『ハッ!! あんなもの根も葉もない迷信だろうが。理屈はまだ明らかになっておらんが忌血種は例外なく凄まじい力を持つ故、力なき者どもが嫉妬でもしたのだろうよ……。まあ、それを遥かに凌ぐ力を持つ余には関係のないことだがな、フハハハハハ!!』
(コイツ、何かヒナ婆みたいだな……)
エイヴィルが馬鹿笑いしている様を見てグァルドはそんなことを思う。
聖領にいたころ、グァルドのその秘密が露呈したとき彼をかばってくれたのは当時養成学校の剣術顧問であったヒナであった。
彼女は普通ならば連行され極刑に処されるところをエリゼー、そして聖君にかけあい命を助けてくれたばかりか養成学校にも入学させてくれた。結局その数年後に秘密を暴露したヴェインをグァルドが殴ったことで退学処分になってしまったが。
ふとグァルドがオルベルを見ると彼女は顔を俯かせ、身体を小刻みに震わせていた。
エイヴィルの反応で少し救われたように感じたグァルドだったがオルベルを見て再びその気持ちを沈ませる。
(……それでも弱いヤツにとって俺たち忌血種は化物でしかない。オルベルみたいに弱いヤツにとっては、ぶぉっ!?)
右頬に走る痛み。
一瞬、グァルドは何が起こったのか理解できなかったが、目の前に立つオルベル、そして振り抜かれた彼女の左腕を見て漸く事態を察した。
「……オルベっぶぅ!!」
彼女の名前を呼ぼうとするが言い終わる前に二撃目がグァルドを襲う。
「おまっ、裏拳は……ねえ……」
『ま、孫?』
いつもと雰囲気が豹変したオルベルに対し二人とも上手く声をかけることができない。その間にもオルベルはグァルドの前に座り込みその胸板を何度も叩く。
「お、おい……」
先ほどの顔面強襲よりは威力は幾分落ちているため、グァルドにはそれほどのダメージはないが自分が殴られている理由がまったくわからない彼は困惑するしかない。
(怖がられるかと思ったら、あだッ、どうしたってんだ!?)
止む気配のないオルベルの猛攻をただ見つめ続けながらグァルドは考える。
「……カ……」
「ああ!? 何だって!?」
「バカって言ったの!!」
オルベルは。
グァルドの目をしっかりと見つめて言う。
「私には仮面を被るなって、自分らしく生きろって言っておいて!! グァルドこそ自分を殺して生きてきたんじゃない!!」
『……………………』
オルベルはボロボロと涙を流しながら叫び、エイヴィルはその姿を黙って見守る。
「そう……だよな、言いだしっぺがこんなんじゃな。そりゃ怒るよな」
「そうじゃないッ!! グァルドが大バカだから怒ってるの!!」
相変わらず涙を流してはいたが彼女の瞳には力強い想いが宿っていた。
「お、大バカ?」
「そう!! 大バカ!!」
余りの言い草にたじろぐグァルド。しかし感情が爆発したオルベルは止まらない。
「グァルドは私を『私』にしてくれた!! なのにそのグァルドが自分を殺したままなんて大バカだよ!!」
「……バカはオマエだ。オマエと違って俺は、俺たちは世界の大多数に否定される存在なん――」
「私はグァルドが好きだよ!!」
「…………は?」
それを聞いたグァルドの時間が止まる。オルベルは少し顔を赤らめながらも言葉を続ける。
「こんなに弱い私が好きなんだから、きっと大丈夫!! みんなグァルドのことを好きになってくれるよ……って、あれ? みんながグァルドを好きになったら私的には大丈夫じゃないのかな……あれ?」
自分で力説しておいて最終的によくわからなくなってしまったオルベルだったが彼女の心はちゃんとグァルドに伝わっていた。
「くっ、はは……はははははは!!」
オルベルは突如上げられたグァルドの笑い声に怒りを忘れ、驚愕の表情で眺める。そしてグァルドはそんな様子の目の前の少女の頭を愛おしむように撫でる。
「オマエみたいに弱いヤツからそんな風に言われたのは初めてだ」
笑いすぎてこぼれた涙を拭いながらグァルドは今度こそ自分の心が少し軽くなったのを感じた。
「と、とにかく!!」
オルベルは頭に置かれたグァルドの手を掴んで二人の間に下ろす。そして再びグァルドの目を見て言う。
「私はもっと本当の私をみんなに認められたい。それに本当のグァルドをみんなに認めてほしい。だから――」
一際強くグァルドの手を握りオルベルは願う。
「私と一緒に、自分を偽らずに、歩いていってくれませんか?」
数秒の沈黙。沈黙に耐え切れずオルベルは顔を俯ける。そもそも恥ずかしがり屋な彼女がこうやって長い間グァルドの目を見て話していたこと自体相当の苦行だった筈だ。
不意にグァルドが口を開く。
「……それは契約か?」
その乙女心を踏みにじるかのような言葉にオルベルは再び怒鳴りかけたが、俯けていた顔を上げた瞬間にその怒りは何処かへ行ってしまった。
グァルドはそっぽを向いているためその顔を見ることはできない。しかしオルベルは彼の赤くなった耳を見逃さなかった。
「……ばか…………」
オルベルは口元を僅かに綻ばせる。
「そう、これは私とグァルドの契約だよ。一年間の魔人の契約と違って死ぬまで続く大事な契約」
「そうか、なら仕方ねえな」
グァルドは視線をオルベルに戻しその目を見つめながら口を開く。
「その契約を受ける。俺はいつでもオマエと一緒だ」
そうして二人の二つ目の契約も無事結ばれた。
――残念ながらエイヴィルは無事では済まなかったが。
(ヌォォォォオオオ!? 何だこの甘酸っぱい空気は!? そして何故!! 見ていただけの余がこんなにも恥ずかしいのだ!? ああッ!? 余の刀身にブツブツがいっぱい!!)
エイヴィルは何とか気持ちを落ち着かせ平常心を保とうとする。
(それにしてもずっと黙っていたせいで話に入りづらくなってしまったではないか……。ヌゥ、何かきっかけが欲しいところだが……、ええい!! ごちゃごちゃ考え込むとは余らしくもない!! この空気をなかったことにするには一つしか方法はないではないか!!)
カッと存在しない目を見開きエイヴィルは高らかに叫んだ。
『とりあえず何か爆発しろ!!』
その瞬間。
湖のほとりにいるグァルドたちから少し離れた場所がエイヴィルの望みを聞きいれたかのように爆散した。
『……え? 余のせい?』
エイヴィルがそう呟く言葉をグァルドはもう聞いていなかった。エイヴィルを肩から抜き、構え、警戒レベルを一気に最大にする。
何故なら、彼の目の前には。
かつて戦い、殺したはずの黒騎士が立っていたからだ。
「どうして……? あの人はあのとき確かにグァルドが倒した筈なのに……」
突然、しかも、死んだはずの人間が目の前に現れ、オルベルは動揺を隠せない。思わずグァルドの服を指で掴み怯えたような表情を見せる。
しかし、彼女とは対照的にグァルドは落ち着いていた。
「大丈夫だ。あれは幽霊でも何でもねえ、中身が違う。なあ、爺さん?」
『誰が爺さんか、誰が。……ムゥ、確かにあれは前に殺したヤツとは別物だな、プレッシャーが段違いよ』
二人の言葉で少し落ち着きを取り戻したオルベルが尋ねる。
「じゃ、じゃあ生き返った訳じゃないの……?」
「ああ」
「……よかった」
相手がゾンビでないことに心底ホッとした様子の孫を見て苦笑しながらエイヴィルが口を開く。
『さて、小僧、戦う前に一つ問おう。これから貴様は何として生き、戦うのだ? 人か? 魔人か?』
「バカだな爺さん。俺はコイツと契約したんだ、んなこと聞くまでもねえだろ?」
オルベルの頭を撫でながら、確固たる意志を胸にグァルドは答える。
「俺は忌血種だよ」
『フハハハハハ!! 良く言った。ならば余も全身全霊を以て貴様に応えるとしよう!!』
オルベルをその場に残し、グァルドは黒騎士へと歩を進める。
「よお、待っててもらって言うのも何だが、話が終わるまで大人しくしていてくれるとは思わなかったぜ」
返事はないだろうと思っていたがグァルドは黒騎士に礼を言う。しかし彼のその予想はすぐに裏切られた。
「――がネ、人の話ハ最後までキきなサイっテ、よク言ってたカラ」
硝子を引っ掻いたような不快な声だったが、グァルドの目の前にいる黒騎士は確かにそう言葉を発していたのだ。
「オ、オマエ喋れるのか!?」
前の黒騎士とは別人。グァルドとてそれはわかっていたことである。しかし別人であったとしても敵の言葉に耳を傾け、それに反応を返すとは考えていなかったのだ。
「ネぇ、偉イ? あハは~、僕、私偉いデショ? だカら――」
黒騎士は腰に提げていた紅い剣に手をかけグァルドに飛びかかりながら叫ぶ。
「私ト遊んデちょウダいッ!!」
黒騎士が握る紅剣はグァルドの首を狙って横薙ぎに打ち払われる。その剣速は以前相対した黒騎士のものよりも遥かに速く鋭い。もしグァルドがエイヴィルで防ごうとしていたらまず押し切られていただろう。
防ごうとしていたらだが。
黒騎士が放った悪魔のような一撃は空を切る。グァルドの首があった場所を正確に通過していく。
「アレ?」
確実に捉えた筈の一撃を外され黒騎士が首を捻る。
「こっちだ」
その声に振り返った黒騎士の右腕。紅剣を握っていた方の腕が宙を舞う。以前の黒騎士との戦いを再現するかのようにグァルドはその右腕を切断していた。
そうして黒騎士の切断された右腕の肩口から前回と同じく紅い液体が流れ出る。
『…………何と』
流石のエイヴィルも言葉を失う。
それも当然のこと。いま彼の目の前にいる黒騎士は前回のものよりも明らかに強い。グァルドを苦しめた自動反撃のスキルこそ持っていないようだが、それを勘定に入れたとしても数段格が違う。
ならば何故。
以前の黒騎士に苦戦を強いられたグァルドがこれほどまでに圧倒しているのか。
『小僧、一体何をしたのだ……? お前の実力の程は気を喰っている余が一番わかっている。確かに小僧は忌血種故、尋常ではない強さを有しているが、ここまでのものではない筈だ』
「それは俺が人間の皮を被ってたときの話だ。いまの俺は忌血種として戦ってるんだよ。……お前ならこれがどういうことかわかるだろ?」
『……魔物としての固有スキルか』
「正解。俺にも半分だけだが魔物の血が流れてる。だから俺もその力を使えるんだ。――いまならな」
グァルドはチラリとオルベルに視線を向ける。彼の目は自らを縛っていた鎖を解き放ってくれた少女を見ていた。
「アれ、オカしイな、私、ボくの右腕ドコ? 腕、ウで、宇出? アア、あっタ」
黒騎士が左手で紅剣を掴もうとする。しかしその手は空を切る。
「あれレ?」
「悪いな、もう前みたいに戦いを長引かせるつもりはねえんだ」
そう告げるグァルドの手には紅剣を掴んだ黒騎士の右腕が握られていた。しかしそれはあり得ないことだ。紅剣は黒騎士とグァルドを結んだ直線上にあり、黒騎士はグァルドより紅剣に近い位置にいた。
つまりグァルドが紅剣を手にするには必ず黒騎士の側を通過しなければならないのだが、黒騎士がそれを見逃す筈がない。
にも関わらずグァルドは黒騎士に気づかれることなく紅剣を手にしている。まるで手品のようなグァルドの所業にエイヴィルさえ言葉が出ない。
『(単純にスピードが上がっただけではあるまい。最初の一撃。あれは攻撃を見極める動体視力がなければ避けられん……)』
「……ん? この剣?」
エイヴィルがグァルドのスキルについて考察している間、彼は黒騎士の右腕が掴んでいる紅剣に違和感を感じていた。
「なあ、爺さん、なあって」
『何だ、やかましい!! 余はいま――』
グァルドはエイヴィルの怒鳴り声を遮るように言う。
「これジュスティクスじゃねえか?」
『……何だと?』
エイヴィルは黒騎士に掴まれた紅剣をまじまじと観察する。
細い刀身、品のある装飾を施された柄、刀身の色こそ紅く染まっているものの、その姿形はまぎれもなく。
ジュスティクスだった。
『お、おお…………何という』
声を震わせ、まるで必死に怒りを堪えているような、そんな雰囲気を纏いながらエイヴィルは呻く。
『何ということだ!! おのれ聖領の下種共め、ジュスティクスの精神を侵しよったな!?』
「おい、どういうことだ?」
『言葉通りの意味よ!! 封じたのか、殺したのかは余にもわからんがジュスティクスのあの高貴な精神が感じられん!!』
喚き散らすエイヴィルの声に紛れた金属音をグァルドは聞き逃さなかった。再び目を上げ黒騎士を見ると、それはゆっくりとしかし確実にグァルドのいる方向へと向かっていた。
「ワ、私、僕のウで、腕、兎デをカエ、返しテ、飼エして、…………カえせえェェぇぇぇぇえええ!!」
突然の絶叫と共にグァルドに向けて猛進する黒騎士。
「そんなに返してほしけりゃ返してやるよ!!」
グァルドは物言わぬジュスティクスを地面に突き刺し、更に彼女から黒騎士の右腕を強引に引っぺがす。そしてその右腕を黒騎士へと思い切り投げつける。
「おおおぉォオオおおおおオオオオオオオおおオオおおおおおおおおおおッ!!」
投げつけられた右腕を黒騎士は残った左手で掴みとり、あたかもその右腕を棍棒であるかのように見立てグァルドへと殴りかかる。
隻腕になったとはいえ黒騎士のスピードは衰えていない。そしてジュスティクスをグァルドに奪われたことで確実に攻撃力は下がった筈だが、いくらグァルドといえども甲冑に覆われた右腕を渾身の力で叩き付けられては無事では済まない。それだけの攻撃力は残っていた。
しかし、その攻撃もグァルドを捉えることはなかった。黒騎士の攻撃がグァルドの身体に触れる刹那、彼の身体は黒騎士の視界から消失し、予想もしない位置に再び出現する。
「脚力四、動体視力二、腕力四、再分配」
そして黒騎士がやっとの思いで攻撃を当ててもグァルドはエイヴィルとジュスティクスでそれを難なく受け止める。
力でも。
速さでも。
黒騎士はグァルドに追いつけないでいた。
「脚力七、動体視力三、再配分」
『……小僧、さっきから何をブツブツ呟いているのだ? いや、それは後で良い、それよりも早くアレを殺してしまえ!! ジュスティクスの容態を一刻も早く診なければならん!!』
「やっぱ、仲良いだろお前ら……。まあ、慣らし運転も終わったし」
自身の力が及ばないことを知りながらも攻撃を止めようとしない黒騎士を見据えながらグァルドはエイヴィル、そしてジュスティクスを構える。
「さっさと決着つけるか」
グァルドの目前に迫った黒騎士は左腕を振りかぶり、自身の右腕を思い切り叩きつける。その一撃でグァルドの命を叩き潰すつもりだったのか、これまでとは威力が段違いだ。黒騎士の周囲の花は一瞬にして吹き飛ばされ、その花弁を散らす。地面は抉れ、美しかった大地に大きな傷跡を残していた。
だが、その光景に拉げたグァルドの死体はない。
「イナい……? ドこだッ!? どコに――」
「腕力一〇、再配分」
黒騎士の遥か頭上。そこにグァルドはいた。ジュスティクスをまるで槍のように構えながら。
「星堕」
その言葉と同時にグァルドの手からジュスティクスが放たれる。しかし黒騎士は放たれた彼女をその目で捉えることはできなかった。
唯一聞こえたのは空気を切り裂く鋭い音。そしてその音を聞いたときにはジュスティクスによってその頭部を打ち抜かれ、地面に縫い付けられていた。
「ガ、ギギィ、ぎィアアアアあぁァァアオぉオオおおおオおおオオオオオオオおおォ!!」
視界確保を目的とした甲冑の隙間に根元まで突き刺さったジュスティクスもそのままに黒騎士は絶叫する。
「くソッ!! クそっ!! 九ソッ!! クソォォぉォォオオオオおおおオオオおおオオオ!!」
悲鳴は怨嗟の声へと変わり、黒騎士の身を震わせていたものが痛みから怒りに変わる。
「ドうしテ、どうシテ、ワタ、私ハ、僕はオマえにッ!!」
顔面に突き刺さったジュスティクスを残った左腕で力任せに引き抜く。武器を取り戻すことには成功したものの黒騎士のダメージは深刻だ。右腕は無く、頭部に甚大な損傷を負った。常人ならば既に死んでいてもおかしくはない。
しかし黒騎士はまだ倒れない。胸の内の執念にも近い想いを果たそうとまるで不死者のようにグァルドに迫る。
黒騎士はグァルドがかつて見た構えをとる。
光迅裂閃。高速の七つの斬撃により相手を瞬時に細切れにする技。
何故それを黒騎士が扱えるのかはグァルドの知るところではない。それに何よりそんなことを気にする必要はいまの彼にはないのだ。
その姿を重力に引き摺られ落下しながらグァルドは眺める。どこか哀れみを含んだ眼差しで。
『小僧、次で決めるなら刃潰を使うか?』
「いや、今回は俺だけの力で終わらせる。爺さんは手を出さなくて良い」
グァルドにとってこれは過去の自分と完全に決別するための戦い。忌血種としての自分の力を隠すことなく存分に使い、本当の自分を認めてくれたオルベルの目の前で勝つ。
それでグァルドは本当の意味で一歩を踏み出すことができるのだ。
そしてその相手として黒騎士は相応しすぎる相手であった。グァルドはかつての自分と眼下に迫る黒騎士を重ねる。戦うことで必死に何かを求めているその姿は痛々しく、醜い。
(オマエにも求めるものが何かあるんだろう? でも俺にはオマエを救えねえ。俺はオルベルにはなれねえ。だから俺がオマエにしてやれるのは――)
エイヴィルを振りかぶりグァルドは狙いを定める。
(ここでオマエを殺してその虚しさを止めてやることだけだ……!!)
まさに一閃。
黒騎士が紅剣を振り抜く暇を与えることなく、グァルドはその身体を甲冑ごと真っ二つに両断した。
右の肩から右脚の付け根にかけて切り裂かれ、黒騎士はその身体をぐらりと傾ける。しかし、大地に倒れ込んだのは右半身のみ。残る左半身はジュスティクスを地面に刺し、それを支えとすることで未だその身を垂直に保っていた。
「ギ、ギギギ…………!!」
しかし立っているだけで精一杯。そうしているだけでも断面から黒騎士の中に詰められていたと思われる紅い液体が止め処なく流れ出る。
「……前のときから中身は人間じゃねえとは思ってたけど、一体何なんだコイツは? 一応自我もあるみてえだし……。新種の魔物か?」
『いや、ここ数年そんなものは発見されとらん筈だが……』
「要するにわかんねえってことだな。ま、何にしてもこれで終わりだ、黒騎士」
エイヴィルが黒騎士の首筋に当てられる。
「クろ…し……ジャなイ」
黒騎士が前進したことで刃が食い込む。しかしそんなことはどうでもいいことのようにグァルドの目の前の獣は歩みを止めない。
「ナン……言エば、………アタ…ハ、私は、僕ハ……ヴ――」
最後の言葉は誰にも届けられることなくグァルドによって遮られる。黒騎士の首は宙を舞い、音を立てて地面に落ちた。
グァルドはその首を一瞥すると、その場を後にしようとした。
これで終わりだと。
首を刎ねられて生きている筈がないと確信して。
しかしこのときグァルドは完全に失念していた。
いままで戦っていたモノが自分の知り得ぬ埒外の獣であることを。
「ッ!?」
『小僧ッ!?』
グァルドは突如腹部を襲った激痛に呻く。目を下に向けるとそこにあったのは紅く染まる自分の服と脇腹を掠めるように突き出された紅い剣であった。
「こんのッ……!!」
振り返ると同時にグァルドは右半身と頭部を失って未だ尚動く黒騎士の身体を切り刻み、左腕、左脚、胴が耳障りな金属音と共に地面に崩れ落ちる。そして以前と同じく黒騎士の中の紅い液体は黒ずみ、やがて蒸発して消えていった。
「だ、大丈夫、グァルド!?」
遠目ながらもグァルドの負傷を確認したのか、オルベルが小走りで駆け寄る。
「ああ、大したことねえ。すぐに血も止まるだろ」
「よかった……」
ホッと胸を撫で下ろすオルベル。
『……ん、ううん……』
不意に苦しげな呻き声が辺りに響き、三人は刹那、ギョッとしたがその声の主が誰なのかを理解するとすぐに警戒を解いた。
『おお、気が付いたかジュスティクスよ!!』
『あれ……エイヴィル? それにグァルドに……オルベルちゃんまで……』
黒騎士を殺したからかどうかはわからないがジュスティクスの刀身は既に濁った紅から光輝く白銀に変化していた。それと同時に意識も取り戻したようだ。
「お、お久しぶりです。ジュスティクスさん」
『これはこれは御丁寧に……ってこんなことしてる場合じゃないわよ、あなたたち!!』
「露骨にノリツッコミしといてよく言う……」
『う、うるさいわね!! ああ、もうこんなこと言ってる場合じゃないって言ってるじゃない!! 詳しい事情は移動中に話すから、とにかくいますぐ城に戻りなさい!!』
「……わかった」
尋常ではないジュスティクスの様子を見てグァルドはすぐさまエイヴィルを肩に、そしてジュスティクスを腰に提げ、オルベルを抱える。体調は決して万全とは言えなかったが、動けない程ではない。
「けど理由だけは教えてくれ。城で一体何があった?」
鞘の中で怒りに震えながらジュスティクスが口を開く。そしてそこから紡がれた真実はその場にいた全員を驚愕させた。
『軍が……。聖領の軍が総攻撃を仕掛けたのよ……』
グァルドは思わず城の方角へと眼差しを向ける。その空は濁り、厚い雲で覆われていた。