ep.4-2【夢の舞台】僕が歌うということ
再び空いてしまいました…。続きをご覧ください!
大阪市内、某所。
数日ぶりに訪れたレコーディングスタジオには、湊が仕事をするうえで誰よりも信頼を置いている彼女、宮島マネージャーが待ってくれていた。正直呆れて役を放棄されてもおかしくないことを湊自身しでかしたというのに、見放すことなくスケジュールの調整等に尽力してくださった。紛れもなく、湊とiM-Atomの恩人である。
「おかえりなさい」
出会った頃は新入社員に毛が生えたほどの若手マネージャーだった彼女も、今では第二の母にも近い懐の広さで出迎えてくれる。
心掛けずとも無意識に腰が低くなってしまうくらいには湊も反省をしていて、手にしていた大きな紙袋を彼女へ差し出し謝罪を口にすると、彼女は「すごい量だな」と口を開けて笑う。
「菓子折りのひとつでも持ってこなかったら許さないぞ、という強い気持ちのもと待っていたけど、あくまでその誠意が欲しかっただけのことなので。1つだけいただきますね」
確かな芯はありながら慎ましい方だから、袋の中から玉ねぎのスープだけ手元に残し、残りはスタジオの方々にと微笑むのだった。
「レコーディングに入る前に、少しお話ししましょうか」
普段よりスタジオ入りの時間が早かったのは、きっとこの機会を設けたかったからなのだろう。
ロビーにあった1席を湊に勧めると、宮島さんも向かいの席に腰掛ける。
「何事もなかったように日常に戻る方が大人のやり方なのかもしれませんが、それでは片付けられない湊の想いもあるんじゃないかと思って。幼い頃からどんな仕事も弱音を吐かずにやり抜いてきてくれた貴方が何も言わずに投げ出すなんて、その忍耐強さに甘えてこちら側も重荷を背負わせ過ぎてしまったんだと反省しています。よければ聞かせてほしいな。あの日湊が何を思って旅に出る選択をしたのか、そして今どんな感情を抱えているのか」
経験を重ねるごとに、いつの間にか弱音を見せるという行為そのものを忘れて選択肢から外している自分がいた。
そんな湊がこの活動を通して唯一、顔を出すことだけには「無理だ」と己の都合で拒否をした。その意思を無視して話を進めてしまったこと、運営陣はそれを反省しているのだろう。
ただ彼らだけでなく、湊本人にさえもその意思がどれだけ頑ななものであったかは測りきれていなかった。湊だって、この微かな違和感や重圧に耐えられると思っていたし、乗り越えられると信じていた。
あの日、文字と化した世間の声を目にするまでは。
「本当はあの日、レコーディングスタジオに向かっていました。こうなってしまったなら上に従うしかないと思っていたし、それが少しでもアトムのためになるなら彼のためにも俺が我慢したらいいって、そう思ってました。でも…見ちゃったんですよね、柄にもなくエゴサとかしちゃって。ドーム公演や素顔を楽しみにしてくれている人たちの声援だけじゃなくて、その反対岸にいる人たちの声」
誹謗中傷ー漢字にすれば4文字に過ぎないが、受け取った側にはそれだけでは済まされない鋭利性がある。その言葉の数々には人の心を、命さえも、抉って亡き者にする理不尽な力がある。
ブスだったらどうしようwwww
8年も顔出しする勇気なかったやつなんて、どうせブスだろ
アトムも普通の人間に成り下がりか…聴く気失せた
覆面歌手ってだけでドーム立てたようなもんなのに、ダサっ
デビュー当時未成年だった湊にとって、覆面での活動はコンプレックスを隠す術ではなく最低限のプライバシーを守る自衛策だった。さらに正直に言えば、このどこか憂いがある中性的で端正な容姿はコンプレックスどころか売れるための武器にもなり得たはずだ。
それでも二十歳になるこの時までひた隠しにしてきたのは、湊自身のこと以上に、iM-Atomの楽曲を守りたかったからだ。
屋島湊という人物像が、アトムの音楽を邪魔しないため。その信念のもと湊はずっと、アトムの影に身を隠していた。そのはずだった。
それが湊自身を守るための盾と化してしまったのは、いつからだったのだろうか。
容姿がどうとかそういうことではなくて、湊という青年がこの楽曲たちを歌うに値する人間であるか、そのことに対して何より自信を持てずにいた。
「一緒に成長してきたと思ってたはずのiM-Atomは、いつの間にかとても同一人物とは思えないほど自分とはかけ離れた存在になっていて。たしかに自分自身から溢れ出した歌詞のはずなのに、メロディのはずなのに、こんなに弱っちい僕が素顔を晒して歌ってしまったら、途端に安っぽいガラクタに変わってしまうんじゃないかって、こわくなった。それに今まではアトム1人に任せきりだったけど、これからはSNSに蔓延ったこんな薄汚れた言葉の数々を、自分自身が真っ向から浴びることになる。そんなの耐えられない。SNSの中でも、日常生活でも、不特定多数の誰かに監視されて生きていく、その覚悟がまだ僕にはない」
逃げ出した理由を挙げ出したら、きりがない。理由なんか一つじゃない。まとめて話せるわけもなく、自分の中に溜まっていた不安や憤りを拙い言葉で話の筋道もなく吐き出すしかなかったが、彼女は黙って湊の話を聞いてくれた。
「過去のこともあるから、芽亜莉にもまた迷惑をかけるかもしれない。顔出しをすれば、変にまたあの日のことを掘り起こされて、iM-Atomと屋島湊とメアリーの弟が同一人物だって特定されるのも時間の問題だと思う。それだけは、どうにか穏便に済ませたい…。力を貸してほしい、お願いします」
過去に受けた傷は、きっとこれからも癒えることはない。瘡蓋になりかけた傷を再び掻きむしられること、ましてそのせいで芽亜莉に矛先が向くことは、それこそ耐えられない。
その点は宮島マネージャーも懸念していて、双方の事務所で連携をとり対策を練っている最中だという。彼女に任せれば間違いないだろう。
「でも、数日間仕事を離れて知らない場所に行ってみて、少しだけ気持ちの整理がついたところもあって。一度の旅で完全に吹っ切れたかというと、そんな単純な類いの人間ではないから無理だったけど、それでも糸口みたいなものは得られた気がする」
絵葉書のような景色たち、その地で舌鼓した料理たち、そしてそんなかけがえのない旅の中で出逢い互いの過去と今に向き合い背中を押し合った青年、全てに湊は前へと踏み出す原動力をもらった。
それは湊の記憶の中だけでなく、この先何千何万人の下へと届く名作の原石となって湊の手の内に握られていた。
「さすがに手ぶらじゃ帰れないなって、旅の最中も思ってはいた。手土産は、玉ねぎスープだけじゃないので」
湊は自らのスマホを机の上に差し出す。画面には昨夜生み落とされたばかりのデモ曲がデータとなって表示されている。どのサブスクで検索しても引っ掛かることのない、まだ誰の手垢もついていない1曲だ。
再生ボタンを押した。
「これだから、何でも許せてしまうんだよな」
再生バーが右端まで埋め尽くされると、宮島マネージャーは我慢できない笑みをこぼす。
「レコーディング、始めようか」
未来の名曲へ、命を吹き込む作業が始まった。
アーティストや芸能人には沢山の称賛が降り注ぐ一方で、数多くの誹謗中傷も散見されるのが実状です。
当たり前にアーティストは1人の人間であり心を持っているということ、私自身も忘れてはいけないなと思い改めてこの物語にも1エピソードとして組み込みました。
さて、いよいよドーム公演も近づいてまいりました。ここまで長かった…。大切に書きたいのでまだもう少し時間はかかるかもしれませんが、最後まで駆け抜けます!




