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5時46分ー僕が僕として歌う理由を探して  作者: はお
第2章 過去と今

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ep.2-5 【過去と今】湊と芽亜莉

湊と芽亜莉の間に過去何があったのか、今回で明らかになります。

「芽亜莉の弟なんだ、僕」


誰かに自らそのように名乗るのは、彼女が芸能界に身を置くようになってから数えると初めてのことだったかもしれない。

湊が18歳の時だった。高校卒業を控え、上京も視野に入れて東京へ偵察に来ていた。さすがに海都に話すときは伏せたが、東京へ進出すれば仕事の幅も広がるからと、事務所の方々に勧められてのことだった。

大人たちと打ち合わせをした帰り、芽亜莉から連絡が来ていた。今日は仕事が早く終わりそうだから一緒に食事でもどうか、そういう内容だった。実際は京都から遥々やってきた弟を労いたい一心で撮影を巻きに巻いたのだと思う。既に予約済みという店のURLが送られてきたため、その用意周到さからして間違いなかった。

湊の付き添いで東京までついてきてくれていた母は、翌日仕事だったため早めの帰宅を予定していた。土地勘のない東京で1人夕飯を探さなければいけないところだったが、芽亜莉が選んでくれた店なら安心だと思っていた。

湊の方が先に店へ着いたため、店内で待っていた。個室がある、いかにも芸能人が御用達にするような店だった。芽亜莉も当たり前に芸能人なのだと再認識もした。

遅れてやってきた芽亜莉は、案の定「湊に会いたくて撮影めっちゃ巻いてきた」と満面の笑みだった。この当時はドラマの撮影で連日早朝から夜中まで忙しそうにしていたが、学生が出歩いていてもいいような時間に仕事を終わらせてきたのだから、相当がんばったのだろう。

立派な社会人である芽亜莉に奢ってもらい、美味しい和食を心置きなく堪能した。湊が上京すれば、たまにはこうして2人で食事をする機会も作れるかもしれない。この日は未成年の湊を気遣って本来お酒好きである芽亜莉も一滴として飲んでいなかったが、この店はお酒も美味しいから湊が成人したらまた一緒に来ようね、と芽亜莉が言ってくれたのを覚えている。

しかし実際は上京もおろか、湊が成人した今もあの店へ2人で訪れお酒を交わすことは一度となかった。

湊はこの日、芽亜莉の家に泊まらせてもらった。男女である以前に姉弟同士だから、とりわけそれが駄目なことだという認識もなかったし、実際問題そこにやましい意味はひとつとしてなかったはずだ。


しかし、世間からの見え方は違った。

彼らを姉弟と知らない誰かが、芽亜莉の自宅マンションへ仲睦まじく入っていく2人の姿を撮り、その写真をSNSへ投稿したのだ。


その投稿は、瞬く間に拡散され彼女のファンの間で物議を醸すこととなった。芽亜莉は兄弟構成を公表していなかったため、当然大半は湊たちを恋人と勘違いし熱愛や同棲を疑った。アイドルは卒業していたから、恋愛をするもしないも自由といえば自由なのだが、若手女優だって芸能人である以上、人気商売であることに変わりはない。彼女個人のファン層を見れば尚更だ。ファンの総意見こそ世論という風潮もあったため、放っておくわけにはいかない案件だった。

この騒動は芽亜莉の所属事務所もすぐに気づき、投稿の消去要請や芽亜莉本人がこの件について弁明の文書を出すなど迅速に対応がなされたが、一部ファンの間では疑念の声が残っていた。芽亜莉は文書で「写真に映っていた男性は血縁関係のある親戚」と決して嘘ではないが明確でもない少し濁した言葉で説明していた。実際は写真の人物=湊と特定されないための対策であったが、その曖昧さが熱愛関係を誤魔化すための出鱈目だと捉えられてしまったのだ。

ネット上で叩かれるだけなら、まだよかった。

湊は元よりSNS全般をやっていなかったし、この件があってから芽亜莉も自衛のため公式SNSは全てコメント出来ない設定に変え、芽亜莉自身エゴサをしないようマネージャーから言われているようだった。ネット上の噂や憶測は、日々新たな話題へと移り変わっていき忘れられていくもの。暫くの間は直接会うのを控えて、熱りが冷めたら2人きりになることだけなるべく避けるよう注意しながら家族としての時間を過ごしたらいい。芽亜莉も湊も、浅はかにもお互いその程度に考えていた。


事件が起きたのは、それから数ヶ月経った頃だった。


湊はその日も事務所の本社での東京進出に関する打ち合わせのため東京に足を運んでいた。当然この日は芽亜莉の自宅ではなくホテルで寝泊まりする予定で、湊はタクシーでホテルに向かっていた。いつもの癖で目的地より少し手前、ホテルから数十メートルほど離れた場所で降ろしてもらい、1人無防備に夜道を歩いていた。

すると突然後ろから腕を掴まれ、強い力で引っ張られたのだ。咄嗟に身構えながらも後ろへ振り返ると、見知らぬ男が険しい形相で湊を睨みつけていた。先程ライブ会場で湊の腕を掴んで制止してきたあの男だ。後から聞いた話、その男はグループ時代からの春日メアリーのファン、いわゆる古参でコンサートも舞台も全国津々浦々どこにでも現れるとにかく熱狂的なファンの1人だという。


男は湊に怒鳴りつけるように訊いてきた。お前はめありぃの何なんだ、と。


湊はその問いに答えられなかった。

正直に話せばこの手から逃れられるかもしれない。恋人なんかじゃないとわかってもらえるかもしれない。それを証明する物的証拠ならいくらでも持っている。偶然とはいえ本人に遭遇してわざわざ声を掛けてこのような問いかけをしてくるような熱狂的なファンなら、春日メアリーが芸名だということも本名の苗字も知っているはずだ。免許証やマイナンバーカードを見せれば一発だろう。

だけどそれでも、湊は自分が弟であることを最後まで正直に口に出すことはできなかった。メアリーのためでも芽亜莉のためでもない、自分のためだった。

こわかったのだ。湊が湊でなくなってしまう気がした。全世界に顔を晒されて、それが屋島湊という人間だと、個人を特定されることがこわかった。芽亜莉の弟であることに誇りがないわけではなかったし、まして恥ずかしいだなんて思ったことは一度もなかったが、彼女が偉大すぎるあまりそれを重荷に感じたことも幾度とある。

弟だと名乗れなかった理由なんて、ひとつじゃなかった。どれが一番の理由かなんて聞かれてもわからないし、強いて言うならそのどれもが何よりの理由だった。矛盾しているとか筋が通っていないとか言われても、そんなの湊には関係ない。とにかく心が、その男に本当のことを話すものかと頑なに言って聞かなかったのだ。

ただ同時にその時の湊は、助けを求める声さえ出すことができなくなっていた。何も言葉を発することなくただ立ち尽くすしかなかった湊へ苛立ちを覚えた男は、湊を突き飛ばすと馬乗りになって湊へ掴みかかってきた。そこまであからさまな暴力行為に発展すれば、さすがに周囲の通行人も異変に気づいて止めに入ってくれ何とかその場は事なきを得たのだが、その出来事は湊に強いトラウマを植えつけた。1人で外出することに強い恐怖心を覚え、一時期は近所のコンビニへ行くことさえままならなかった。上京の話も白紙になった。未だに街中で帽子を目深く被ってしまう癖は抜けそうにない。

ただそのトラウマを少しずつ乗り越えて昼間なら1人で出歩けるまで回復できたのもまた、芽亜莉の存在があったからだった。彼女は自分を貶めようとする匿名の投稿をされようと、SNS上でどれだけ叩かれようと、決して何にも屈しなかった。いつも通りの彼女でひとつひとつの仕事に向き合い、現場に立ち続けた。湊に対しては、変わらずいつもの芽亜莉でいてくれた。


「一度だけ、芽亜莉本人に『芽亜莉のせいだ』って言ってしまったことがあって。その時はさすがにさっきのようにこの世の終わりみたいに泣かせてしまったけど、散々泣いた後は笑ってたんだよね。アイドルだった頃の癖なのかな、泣き顔で終わらせることは絶対にしない。自分のことだけじゃない、相手のことも最後は必ず笑顔にしてみせるんだよね。だから、実の弟ではあるけど僕も芽亜莉のファンなんだ。彼女には沢山の笑顔と希望をもらってきたから」


ファンの方々と同じように、湊も彼女の笑顔に何度も救われてきた。これからもきっと、彼女の存在に救われる日々なのだと思う。


「一緒だね、俺ら」


海都は湊にそう言ってくれた。

初めて出会ったときもそう、彼は湊に「メアリーのファン?」と訊いてくれた。


「海都さ、気づいてたよね?僕があの写真に映ってた人と同一人物だって」


これほど熱心に春日メアリーのファンをしていれば、例の投稿を目にしていないわけがない。あの写真のことを知っていて、それでも海都は湊に声をかけた。

「黙っててごめん。気づいてたよ、ひと目見たときから」

湊の方こそ海都には重大な隠し事をしていたのだから海都が謝ることはないのだが、知っていながら気づかないふりをして湊と接していた理由を知りたかった。湊の存在は春日メアリーのファンにとって決して良い印象でないはずなのに、海都はこんなにも湊に優しくしてくれた。何かの見返りのためにしていた行為なら、心苦しいが湊は海都との関係を改めなければならない。

「信じてもらえるかわからないけど…単純に仲良くなりたかったんだ。湊が純粋にあの北野異人館という街に魅了されてるように俺には見えたから。同じ人を愛して、同じ街を好きになれる。そんな感性を持ち合わせてる人となら、良い友達になれると思った」

実際、湊たちはたった2日間で、中学高校ともに青春を過ごしてきたのか錯覚してしまいそうなほど仲良くなれた。馬が合う、とは湊たちのことを言うのだろう。

「実は、昨日話しかけるよりも前に湊のこと見つけてた。風見鶏の館と萌黄の館って2館セットの券があったでしょ?俺もその券でまわってて。風見鶏の館で瞳を輝かせながら一部屋一部屋、調度品一つ一つを見物している湊を見て、ああこの人も俺と一緒だと思った。実際話してみるとバスルームに感心してたり、サウナも銭湯もモバイルバッテリーの借り方も知らないおとぎの国の王子さまみたいだったけど、それでも何だか妙に居心地がいい。大学に友達はいるけど、これほど相性がいいって思えた人はいなかった」

仲良くなればなるほど、あの写真のことなどどうでもよくなったという。湊と芽亜莉がどういう関係であろうと、海都は湊と友だちでありたかった。今更過去のことを蒸し返して湊と友だちでいられなくなるくらいなら、このままうやむやのままでいいと思っていたようだった。


「信じてる、海都のこと」


信じてくれるかわからないけど、と彼は言ったが、湊はとっくに海都のことを信じていた。今まで生きてきて心から信じられる相手など家族や一番そばで支えてくれているマネージャーくらいだったが、海都のことは信じたいと思った。

湊が話を聞いてくれたことに感謝を伝えると、海都も「こちらこそ話してくれてありがとう」と感謝で返してくれる。そしてこれは湊の我儘になってしまうかもしれないが、この話を聞いても海都には変わらず今まで通り湊と接してほしいと頼んだ。春日メアリーの弟でも、メアリーとのツーショットが出回った過去がある男でもなく、湊として。

この先何があってもーそう咄嗟に付け加えてしまったのはきっと、保険だったのだと思う。あの有名人気歌手の正体が世間に公となっても、海都には変わらず湊として接してもらいたかったから。


「もちろん。湊は湊、そうでしょ?」


海都の微笑みに湊は、話したことが間違いじゃなかったと確信した。


「あ、銭湯入ってくるの忘れたね。どうする?」

「今日はやっぱり、銭湯一択だよね」


ライブ終わりのひとっ風呂ほど気持ちがいいものはない。せっせと風呂の用意を済ませて、昨日もお世話になったあの銭湯目指して夜の散歩へと出かけた。


今夜はいい湯になりそうだ。


今回は、湊と芽亜莉の過去回でした。


海都は純粋無垢なファンなのでメアリー本人のコメントを信じている派でしたが、まさか親戚といっても「弟」とは思ってなかっただろうなと思います。芽亜莉と偶然会ったコンビニでのやり取りは、海都なりの優しさだったのかもしれません。


第2章は、長くはなってきましたがもう少し続きます。お楽しみに!

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