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  #06 温実

 上宮孝治と卓造――今更になって出てくるとは、いったいどういう了見だろうか?

 ――孝治は鬱憤が爆発してるんでしょうけど……。

 孝治の方を見れば、それとすぐに分かる。裁定委員会の存在を快く思わない追求者もおり、孝治もその例に漏れないようだ。

 対して卓造の意味深な笑みは――この状況を、どう活かそうか考えているんだなと、温実はズバ抜けた観察眼で、腹黒の作り手の意図を見て取った。

 一人の裁定員が、横合いから二人を睨み付ける――得物を向ける前に、温実は一喝する。

「下がって! あなた達は自分の仕事をしなさい。こいつらは私が引き受ける!」

 立ちはだかる作り手は、一人は不快に皺を寄せ、一人は嗜虐に笑みを浮かべた。対照的な二人の反応は、互いの性格の違いを明確に示していた。

「ほう、さっきの裁定員といい、最近の委員会は追求者に対して遠慮も礼儀もないようだな」

「時代は変わるのよ、追求者がデカい顔できるのは一昔前の話って事」

 本来なら、作り手か使い手か以前に、熟練の追求者二人を、一人の裁定員が相手にするなど、実力派の裁定員であっても自殺行為だ。だが鶴野温実は、ただの裁定員ではない。従える解創が、所有する十六課の裁定員の異様さが、彼女が異質だと物語っている。

 とはいえ――この二人を相手にすると『我が命をそのままに』だけでは苦しい展開になりそうだ。温実は脇差を右手に持ち変える。

 脇差は、他の裁定員が持っている物とは格が違う。二つ(、 、 )のうち、一つだけでも戦況を一変させる力を秘めている。

 前に出たのは、孝治の方だった。

 温実に向かって、じりじりと詰め寄ってくる。足元を見る――黒い足袋――何かしらの解創が宿っていると見て間違いない。

「ふん……」

 温実は配下に指示を出す。願い直す必要は無い。会話の途中でも集中は切らさず、望むものも変えていない。

 理不尽な女王の指示に従い、透明な下僕が蠢き立つ。

 唸りを上げる槍の一撃が、孝治を襲った。『我が命をそのままに』は不定形のガソリンだ。形を変えることで、攻防を兼ねる汎用の武具である。

 直線的だが素早い一撃が、地面を抉り、土砂の柱を屹立させる――孝治がいない。視線を走らせると、五メートルほど右に逃げていた。

 温実が次撃を与える前に、孝治が反撃に転じた。杖のような物を向ける――温実はすぐに道具の機能を見て取った。優れた観察眼を持つ温実は、大抵の道具なら、観察しようとして見れば、意図と機能を把握できる。

 ばん、と開かれる。あれは杖ではなく、傘だ――温実は背後(、 、 )に楯を構える。

 直後、後ろに刺さる水流の棘。まさに豪雨。傘が温実に向けられる限り、それは永続的に温実の背後に刺さり続ける。

 おそらく『雨乞い』の解創だろう。ある地域では傘の踊りで雨乞いをする風習があるという。そういう既存の概念、エピソードを参考に、共感して願いを作るのも、また追求者だ。

 威力、速度、共にぬるい。温実はすぐに、その道具が孝治にとって、どういうものか看破した。

 ――なんだ、借り物か。期待できないわね……これじゃやりがいがない……。

 傲岸にも、成功の可能性に歓喜するのではなく、相手の不全に落胆する温実。

 おそらく、水滴自体に害はない。だが続いて何をされるか分からない。対象を絞った解創の条件にするのかもしれない。

 ――というか、水はどこから……。

 質量ある物体を無限に生成するなど、解創といえど不可能だろう。いくら現実世界に干渉できるとはいえ、そんな事が出来たら、あらゆる物欲は解消される。

 ――空気中の水分?

 大気中の水分の量など、たかが知れている。となると水源から引っ張ってきていると見るべきだ。そもそも雨を乞う儀式なのだから、どこかに原料となる水が存在するのが道理である。

 ちらりと背後に視線を走らせると、屋敷に続く形で小川のようなものがある。それは屋敷の中に続いている。どうやら、あれが水源らしい。温実が知る由もないが、それは『庭園の眼』の小川に続いている。外と中の川を繋ぐためのものだ。

 ――水を呼ぶのが狙い? それともブラフ? 孝治に注目させて、卓造が本命って可能性もあるけど……。

 思考を中断、危険を察知し、『我が命をそのままに』の一部を楯にして、横へ展開する。同時、刺すように生える竹の棘。ささくれだった棘は、とても人工物とは思えない。

 ――随分と変わった解創ね……。

 強いて言うなら『矢衾(やぶすま)』といったところか。鋭い竹の棘が突き立っている。

 面倒な――『我が命をそのままに』の形を変えて、棘を一本残らず排除しようとした時――「火成れ」というしゃがれた声。

 発火する竹の棘。一瞬にして火勢は、棘を伝い透明の下僕に達した――温実はすぐさま、突き刺さった表面(、 、 )を切り取る――瞬間、爆発した。爆風を楯に防がせて、温実は被害を免れる。

 ――今のは……。

 切れた爆煙の向こうには、杖を携える卓造の姿。温実は、卓造の持っている杖が、富之の遺品であるという事実を知らない。

 温実の解創『我が命をそのままに』は、どれだけの火炎、どれだけの雷撃、どれだけの衝撃を受けたところで、主である温実自身の命令がなければ爆発しない――が、卓造は一部とはいえ、爆発させた。どういうことだと訝しむ。

 ――まさか……『我が命をそのままに』を……。

「……使ってる(、 、 、 、 )?」

「左様」

 温実の疑問に、卓造が応じた。

 へぇ――温実は感心した。

 自分で言うのもなんだが、『我が命をそのままに』は具体性に欠け、普通の追求者では為して願うのも難しい複雑な願いだ。それを為せるとは――流石は優れた血筋の上宮家といったところか。使い手主義でもないのに、既存の道具を、この短時間で理解して使うとは、賞賛に値する。

「他人の道具や言うても、使えんわけやない。それが何かが分かれば、誰でも使えるんじゃよ。当人の専用になっていようと、邪魔するくらいはできるというわけじゃ」

 つまり温実の『従える』という望みの中で生まれる隙を突いて、『我が命をそのままに』に局所的に発生する使われてない部分を、卓造が勝手に使っているということだ。今の爆発は、さらに『火成り』を加える事で、発破を成功させたのだ。

「――けど、所詮は似非者、本来の使い手に勝てるワケないわ」

「そんな事はないぞ、おう? お嬢ちゃんの願いくらい、ワシほどに歳を食えば分かるが道理、お嬢ちゃんが、いったい何を願っとるか、当てたろうか?」

 断言と、調子に乗った言葉の羅列――思わず眉間に皺を寄せる。挑発――分かっていても神経を逆撫でしてくる。

 杖を左手に持ち直す卓造――釣られて、視線は卓造の左手の中指に行く。第二間接より先がない。切れた断面に爪は無く、皮膚を纏った骨がある。

 温実の背中に、ひやりと汗が伝う。

 それが、事故などで不本意に失ったのだとしたら同情するところだ。それを理由に人物を否定は出来ない。失った身体と当人の人格は無関係だからだ。

 だが、この男は違う――なぜか、そういう確信があった。失った理由など聞かなくても分かる。卓造は追求者なのだから。願いを為す上で、あるとき邪魔になったから排除した。それだけの理由に違いない。

 ――私に、出来るか?

 疑念が、ふと頭を過ぎる。だが少なくとも、この男は、それが出来る男なのだ――それを念頭に置くと、先ほどの挑発も現実味を帯びてくる。論理ではなく、実感として……。

 はっとする。卓造の顔を見ると、片眉を上げて、釣り上がった笑みを浮かべていた。

 温実の意識が屈辱に染まる――なぜ確信したのか理由が分かった――この男は、温実が見るように、わざと杖を持ち替えて、視線を誘導したのだ。意識してしまえば、認めざるを得ない。願いはそこから始まる。『鶴野温実は上宮卓造に敵わない』という、無意識下の解創が。

 卓造は、温実の観察眼の高さを見抜き、逆に利用して、心理的プレッシャーを与える小技を思いついたのだ。

 自分の才能を逆に利用される――それは陵辱されるに等しい屈辱だった。

 温実は、久しぶりに怒りを感じた。

「それで出し抜いたつもり? ……勘違いも甚だしいわね、不愉快よ」

 静かな怒気が流入した『我が命をそのままに』の一部が、主の熱を帯びて卓造に突進する。左右と上下。あらゆる方向から包み込むように、単純な原始生物のような化け物が牙を向く。

 かんかんかん、と三度突かれる杖の音。

 音に触れた『我が命をそのままに』は、突進の方向を右にずらされる。卓造は左に回避する。――何が起こったのかは、一目瞭然だった。

 ――『対流』?

 本来、空気中の微粒子や物体を操作するためのもの。だが同じ流体というカテゴリ故に、それなりに効果があったのだ。

 卓造自身の才能だけでは、温実の道具を使うに足りない。そこで、あの杖の解創を使うことで、『我が命をそのままに』を『使う』ことを、結果的にサポートしているのだ。

 横殴りの一撃も、散弾のような面制圧も、卓造は避ける。足場を崩し、根元を砕き、ただの一つも当たらない。

 完全に、卓造の手の上で転がされている――こちらの道具が万全なこと、そして相手の道具が不全な事、これがアドバンテージだ。この差を埋められると戦況が傾くと、温実は危機感を募らせる。

 ――それもこれも原因は……。

 それは『我が命をそのままに』を十全に使えない点だ。未だに続く孝治の『雨乞い』の解創の意図が不明瞭である以上、一定量を楯として使わざるを得ない。

 ――『我が命をそのままに』で孝治を潰しに掛かれば、卓造が……なら……!

 位置の不利を覚悟して、温実はあえて、前に出た。女とはいえ、若く、そして成人の体力、それに温実は運動神経も悪くない。走りやすいパンツスーツ、踵の高くない革靴ということもあり、孝治との間合いを一気に詰める。

 卓造と孝治の間に入り、挟撃される位置になる。時間が掛かると劣勢に立たされるが、卓造と十分に距離を開け、卓造が来る前に、孝治を仕留めれば解消すると踏んだのだ。

 孝治の動きは迅速だ。傘を後ろに突き立て、鎖篭手に包まれた両手を自由にする。温実は右手の脇差を、左手で抜いた。

 切り札は二枚。だが、今使うべきではない。敵の策が、これだけだとは思えない以上、下手にカードを切れば後が無くなる。

 仕留める余地はある。温実は肘と手首の力を使って脇差を振る――猛然と伸びる左手に掴まれる前に、温実は脇差を持つ左手を引いて、半歩退がる――これはフェイントだ。浮かびそうになる笑みを、どうにか堪える。

 温実は、孝治と白兵戦を繰り広げる中でも、『我が命をそのままに』を操作し、卓造の相手をしていた。その『我が命をそのままに』が、突如、形状を変化させた。

 まるで銃座のような形態。銃にあたる部分には、円錐形と円柱形、二つの『我が命をそのままに』が入っている。筒の口が孝治に向けられる。

 閃光が溢れる。爆発――轟音。円柱形の物が爆発して一気に体積が膨張し、筒の中の圧力を増大させた。底を打たれた円錐形の弾頭は、爆発に押されて宙を飛び、空を切り、そして孝治の胴体に、突き刺さって燃え上がる。

 まさに瞬速――二人は瞠目していた。現代兵器の擬似再現。形状の自在な変化だけでなく、爆発という機能を持っていて、初めて出来る芸当だ。爆発すれば消耗するので数に限りがあるとはいえ、不意打ちには十分だった。

 崩れ落ちる孝治。『雨乞い』の意図はハッキリしなかったが、もはや関係ない。鞭の刃に変化した『我が命をそのままに』が、孝治の背後、地面に突き刺さった傘を切り刻む。

「さて――残りは……」

 荒く足首を掴まれる感触――温実の足首を、死に損ない(孝治)が掴んでいた。

「なに?」

「卓造!」

 温実を無視して、孝治が叫ぶ。顔を上げると――今までとは違う光景が、そこに広がっていた。

 つい温実は舌打ち――『雨乞い』は、どうやらブラフだったらしい。温実に勘繰らせ、力を分散させて決定力を欠く事によって、時間を稼ぐためだった。

 分かっていたとはいえ腹立たしい――なにより時間稼ぎという目的を、成功させてしまったのだから。

 燃え上がる上宮邸――その火勢が、温実の想定を超えて増している。意思を持つように揺らめくと、炎が庭に伸びて、大蛇さながらにのた打ち回る。裁定員達は対処できず、右往左往して逃げ回るしかない。

 何が起きているのかは明白だ――それが、卓造の解創だ。作ったのだ。この短時間で。

 おそらく、屋敷から出て温実に立ちはだかる前、道具を揃えるついでに、柱を倒したりして、なにかしら卓造の解創に、都合のいいよう、燃え上がる工作をしたに違いない。

 不可能ではないかもしれない――これ以上とない材料を、温実たちがお膳立てしたのだから。

 かつんと、杖で地を打ち鳴らし、卓造が温実に言い放つ。

「自分の息子の死体を燃やし、自分が住まうた家を焼く。それも己の意思で薪を放ってやるんじゃから、その苦痛は屈辱じゃ……それゆえに……」

 にんまりと、全ての人情を裏切る笑みが、満面に狂い咲く。

「それゆえに、そりゃあ……蜜の味よのぉ……!」

 悪寒がした。それは自虐すら加虐とする自己拐騙(改変)。自分の痛みを他人の痛みにすげ替えて、それを幸福とする異常性。

 解創を為す。目的を手段の境界を取り払い、同一とした追求者の、なれの果て。

 それは在り方の違い。願いを叶えることを手段とする追求者は、願いを叶えるためなら何でもする。目的(じゆう)の為に手段を講じる。手段のためなら方法を選ばない。努力と犠牲を惜しまない。あらゆるものを捨てて、たった一つの自由を手に入れる。それを当たり前と断じきれる人間なのだ。

 断じきれなければ、解創(ねがい)など、為せるはずがない。

「これで締めじゃの、お嬢ちゃん」

 轟々と吹き荒ぶは、黒い煤と煙を纏う、橙色の業火。人の住んでいた空間を、そして人の肉を燃料に生まれた火炎は、地獄の釜より吹き()でるようだ。失った物を文字通り踏み台にして、強者を仕留める武器となった。

「……やるじゃない」

 己の親族の死体を蹴って、復讐を叶えようとする揺るがぬ意思。作り手の作りし呪われた炎は、死者の無念と怨恨を、絶叫に乗せて猛り狂う。

 熱波が襲い、温実の前髪を靡かせる。

「では、お嬢ちゃん――『怨嗟の業火』に包まれて、あの世でこ奴ら(、 、 、 )に詫びとくれ」

 煉獄で懺悔する気など毛頭ない――温実は決断した。

 最後の命令を下すと、『我が命をそのままに』は最期まで従順に従い、足元の孝治にぶちまけられて燃え上がる。

 この世の終わりさながらの炎が、津波のように庭を襲う。飲み込む、呑み込む、全てを飲み込む。地も空も人も、屋敷の前の庭を、業火の海にせんとばかりに包み込む。

 温実は、その光景を前にして――ただ息を吸い、吐く。

「――っ、ぅ――」

 切り札の下準備、己の意識を(ゼロ)にすると、新たな願いを抱く――掘り下げられるのは過去、そして栄光が煌めく――!

 温実は抜き身の脇差を、業火の波に向ける。

 刹那、太陽など比較にならない閃光が弾けて、続いて全てを吹き飛ばした。

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