#04 孝治
異様な事態の火中でも、孝治は冷静に対処していた――とはいえ、それはあくまで、他の人間と比較すれば、という条件付きではあったが。
――とにかく、この事態を収拾せねば……。
早くも上宮家当主のつもりでいた孝治にとって、上宮邸の火事とは、予想だにしない上に、最悪な状況だった。
誰による犯行だと、孝治はまず内部の人間を疑った。斉明殺害未遂、および富之、洋一郎殺しの真犯人によるものと考えるのが妥当である。
が――事実は違っていた。耳慣れない足音を聞いて、立ち止まる。きな臭さが許容を超えて、思わず孝治は口元を袖で押さえた。
足音のした方向に視線を向ける……橙色の炎に燃え上がる和風家屋、黒い煙が充満する空間において、銀色の服を着た人間は異質に過ぎた。
孝治はその正体に思いあたる。
「裁定委員会か……!」
裁定委員会の横暴、ここに極まりといった光景が、そこにあった。屋敷に土足で上がりこみ、詳しくは分からないが……なにかしらの破壊活動を行っている。目的は判然としないが、なんにせよ度し難い。
追求者として、作り手として、このような横暴にひれ伏していては、いつまで経っても裁定委員会という呪縛からは解き放たれない。孝治はあえて、対決の道を選んだ。
孝治がすぐさま用意したのは、細かな鎖で出来た篭手だ。それを両手に着用する。二つあるが、解創は違うものだ。こんな事になるとは思っておらず、用意しているのは護身具の類だけだった。とはいえ、使い慣れているという点から、頼りないとは思わない。
そもそも作り手主義の追求者――作り手は、積極的に戦うような事は望んでいない。しかし他の追求者に狙われることもあり、自衛の手段を学ばざるを得ない事のである。
そして――今日のような出来事は、おそらく後にも先にもないだろう。
孝治は背後に気配を感じた。
振り返る――その時、眼前には何かが迫っていた。孝治は左手で払い除ける。
投げられた針は十か二十か。だがその全てを孝治は払い除けた――が、それで終わることはない。篭手に刺さった針が発火した。油が塗られていたらしい。左手が炎に包み込まれる。
「ふん――」
身体を焼く火炎に対して、孝治は動揺を示さない。目を閉じる――集中する。左手に火を消す解創は無いが――ここで作ってしまえばいい。
吹かれる吐息に施すのは『火消し』の解創――まるで蝋燭を吹き消すようにして、左手に燃え移った火は、残らず火の粉を飛ばして消え去った。
後ろから不意打ちを仕掛けた裁定員が息を呑む。それもそうだ。即席の解創で消し散らしたのだから。
孝治には、斉明ほどの才能はない。だが熟練の技は業となって孝治の根幹に染み付いている。児戯に等しい即席の解創も、未熟な裁定員の解創を消すには十分だったのだ。
「貴様ら……これだけの事をしておいて、許されると思っているのか?」
動揺する裁定員。数は二人。一人は大柄、一人は小柄。分散行動で何かしているようだが、訊き出すには時間が足りない。今も炎上し続ける邸内で、長居は危険だ。孝治は裁定員と違って、耐熱防炎の装備がない。
孝治の問いに呼応するように、一人の小柄な人影が前に出て、右手には短い刀のような武器――脇差を構える。
孝治には、人影の動き出すタイミングが、手に取るように分かった。
踏み込まれた脚の華奢さからは想像できない速度で、人影は縦横無尽に駆け回って接近する。
素早く、猿のように飛び跳ね回る。だがその程度の攪乱で、混乱する孝治ではない。
大振りに、右肩に担がれる右腕。だが孝治はすぐに対処した。右手の牽制は愚直に過ぎる。――それがフェイクなのは、すぐに分かった。腹だ。左手の『刃止め』の鎖篭手が、左手のナイフを握り取る。
右腕の脇差はデコイ。本命は左手のカランビットナイフ――フルタング製、黒く塗られた刀身は、なるほど暗殺に向いた得物だ。
孝治は無造作に、人影の喉元に右手を突き出した。細い喉笛を掴むと、力任せに床に叩きつけた。後頭部を強打し、命を奪いかねなかったが、メットに防護に類する解創が宿っているのか、抵抗の意思を見せる。
「軽業は見事、今の一撃を受けて、なお戦意の失せぬ胆力も褒めてやろう。だが駆け引きを知らんな。その程度で作り手を殺そうなどと、傲慢甚だしいにも程がある」
いくら道具を作る事を生業とする追求者とて、人と人との世で渡り合っている。この程度で煙に巻けると思われたのでは屈辱だった。
右手の鎖篭手は『握り潰し』の解創。遺す言葉も言わさぬうちに、喉笛を引き千切ってくれる――一気に力を込めようとしたのだが――。
「ぅぐ……」
漏れた嗚咽の声色の高さに、孝治は止めの一撃を躊躇した――相手が子供だと知ってしまった。それも女だ。
「なっ……」
「どけぇ!」
怒声と共に、大柄な方――低い声色から男と分かる――が襲い掛かる。携えているのは、室内で使うには取り回しの不便そうな、大きな斧だ。
孝治は老男とは思えない軽快さで、とっさに退く。『刃止め』は斧の斬撃こそ防げるが、衝撃までは消しきれない。あくまで斬撃と刺突に特化した刃物にしか対抗できず、力任せに叩き切る得物の場合、衝撃をもろに喰らって鎧越しにダメージが響くのだ。
袈裟に振り下ろされた斧が、壁に激突して、刃の大半が減り込む。人が一撃喰らえば、文字通りに一刀……いや、一斧両断、と言ったところか。
さてどうしたものか。得物の代わりになるものが視界に落ちてないか、男から視線を外さずに探していたとき――男が、突如硬直した。
何事かと思うのも束の間、続いて肩口と大腿から、竹の棘が生えていた。
「まったく最近の若ぃモンは、遠慮ゆうもんを知らんなぁ。侮らんのはええけど、相手を慮らんのも困りもんやで」
男の呻きが漏れる中、意にも介さず、亡き当主の三男は、男の背中を押して、うつ伏せに倒した。
「卓造……」
「なに遊んではります? これらに加減しよったら、息子も孫も殺されますで」
ひひひ、と意地悪く笑い、煽ってくる卓造を、孝治は黙殺する。
「おぉ怖い。そんなに怒らんでもええやないですか」
卓造が肩を竦めて見せた直後――バネ仕掛けのように小柄な女が起き上がり、左手のカランビットナイフで卓造の喉元を掠めた。
「む――!」
卓造は間一髪に退いて避ける。初撃の不意打ちで仕留められなかった小柄な人影は、卓造の脇を通り過ぎて逃走を図った。
「やりますなぁ。孝治さんのあんなん受けた後で、立ち上がるとは思いませんでしたわ。しかも助けに来た男を見捨てるとは、思い切りも良い」
卓造は、男に止めを刺す気はないらしい。既に四肢を動かせぬ時点で、脅威とは見なしていない。ここに放置しておき、追撃に来た者の足止めに役立てようという魂胆だろう。地雷と同じだ。
「さて、どうします? 庭の方じゃ裁定員が、かなり暴れ回っておりますよ」
「出よう。頭目を叩いて陣形を崩す」
「ふぅむ……ええですよ」
またも素直に応じる卓造――なにか、あるのではないか? 思った矢先、卓造は「あっ」と言って孝治の肩を叩く。
「ちょっと待ってください……外の連中とやりあうのに、それだけじゃ心許ないでしょう。ワシの部屋、あまり火の手が伸びとらんのです。なんか道具持っていきましょう。あと用意したい物もありますし」
卓造が孝治の手元――鎖篭手を見ながら言った。確かに、邪魔にならないのであれば、道具は多いに越した事はない。孝治は疑いつつも、しかし彼の助力を得ないわけにもいかない。卓造の案内に従って、まず卓造の部屋を目指した。




