#13 孝治
父親の突然の死においても、孝治は正確に状況を分析できていた。
先に地下に戻った斉明を追っていった雅が、大きな足音を立てて大広間に戻ったときには、何事かと思った。そして、実際に起こっていた出来事は、孝治の考えを、大きく上回っていた。
大爺様と洋一郎さんが亡くなってる――悲鳴のような声は、大広間を一瞬で緊張の奈落に突き落とした。
雅の案内に従い、孝治らが急いで地下に行くと、そこには信じられない光景が広がっていた。
見るからに死に絶えている洋一郎と、黒焦げの物体……おそらくは富之であっただろうもの。それより少し手前で、うずくまっている少年が一人。
「斉明くん! しっかりして!」
雅が斉明を起こしていたが、斉明はまったく反応が無く、茫然自失していた。
「雅、無理に起こそうとしない方がいい……眞一くん。悪いんだが、斉明くんを自室で寝かせてやってくれないか?」
言ったのは、雅の父の栄太郎だった。眞一は頷いて、斉明を抱える。
「案内します。こっちに……」
雅はついて行くようだ。眞一があとに続く。
「お父さん! なんで……っ!」
大股で駆け寄ってくる足音が聞こえたかと思うと、既に当人は泣き出していた。洋一郎の一人娘の美智だった。
「なんなのよもう……勝手に訳分かんないことして……なんで死んじゃうの……?」
その場で泣き崩れる少女に、やっとのことで追いついたのが、案内役の健だった。おそらく美智に言われて、仕方がなく案内してきたのだろう。
「健くんや……なんで連れて来たん?」
卓造が、普段とは違う冷ややかな口調で問うた。まさに蛇に睨まれた蛙だった。萎縮し、頭を下げる。
「すみません……」
おそらく、美智に言い寄られたのだろう。それを「彼女に頼まれたから」と言わないのは殊勝なことだ。美智をかばっているらしい。
「そう言ってやるな、卓造。……健くん、悪いが今は誰も通さないようにしてくれ」
「わかりました……」
行こう、と声をかけて、健が美智を連れて一階に戻っていく。
「さてさて……難儀な事になりましたのぉ」
これだけの状況を前にしても、卓造の態度はいつもと変わらなかった。ここの空気は淀んでいるのに、卓造の周りだけは猛々しい気配で溢れている。
「どうしますか? 警察に……」
「いや、無理だ。状況を説明できない」
正和の意見を、孝治は却下する。これは明らかに死闘による惨事だ。解創というものの存在を、一般に知られるわけにはいかない。すると卓造が、片眉を上げて孝治を見た。
「となると、裁定委員会に連絡するしかありませんなぁ……」
不本意だが、それも仕方が無いと孝治は考え――そこで、ふと斉明の事を思い出す。
「卓造……少しいいか?」
「はいはい。なんですか?」
「この状況で委員会に報告すれば……斉明くんの後見人の件、どうなると思う?」
「それは……間違いなく委員会が介入してくるでしょうなぁ」
斉明を次期当主にしたくないというのが、孝治の本音だ。上宮家存続のためには、ただ作る事だけを優先する、今までの在り方では生きていけない。生き抜くためのノウハウを、孝治は持ち合わせている。
となると――現状で孝治が継げれば一番良いが、しかしそれだと裁定委員会に斉明を取られてしまうかもしれない。解創発展のために上宮斉明は貴重な人材だ。保護の名目の元に上宮から引き離すはずだ。斉明の暗殺未遂、および富之と洋一郎を殺害した犯人は、上宮にいる可能性が高い。
――どうする……?
委員会に上宮を呑まれず、かつ斉明を手元に残しておく方法……。
「状況的には、洋一郎が富之を殺したという説明で通るか?」
孝治にとってはそれがベストだったが、そんな理想は通用しない。卓造は首を横に振った。
「相打ち言うんですか? 孝治さん。よう考えてください。洋一郎一人で、あのジジイをやれると思いますか?」
だろうなと孝治は溜め息をついた……どこかに、共犯がいる。だがそれが誰か分からない。
――正和か? 和良か? 良正か? ……どちらにしても、家にいれば私が監視できる。
信じられるのは自分だけだ。こうなれば息子たちを疑うのも已む無しである。卓造と眞一など言うまでもない。
――となると……斉明は私の方で引き取った方がいいな……。
自分ならば、たとえ息子たち三人が結託していても斉明を守り通せる自信がある。自分は、父のように無様な失敗はしない――孝治には、彼なりに上宮を存続させたいという意思と、現状最年長の上宮の作り手としてのプライドがあった。
「かと言うて、斉明を裁定委員会に渡したくもないでしょう」
見透かしたように卓造が言った。
「いくら作るだけしか能のないガキとはいえ、上宮の存続には必須、当主を時代に合った思想を持つ者に変えるのも必要ですが、作り手がいなければ上宮が存続できないのは、また事実ですからなぁ……また『三家交配』みたいなことします?」
ふん、と孝治は鼻を鳴らして否定した。他家に関わると碌な事がない――それが富之や孝治をはじめとした、作り手候補たちの総意だった。
「やめておこう……裁定委員会さえ納得させられれば、斉明は引き止められる」
「悪いこと考えますなぁ」
にやりと卓造は笑ってみせる。
「それに、洋一郎が寝込みを襲ったとすれば、いくらお父様でも対応に遅れたかもしれない。そうだろう?」
「そうですなぁ」
あっけからんと卓造は言う。
「卓造……どこかに洋一郎の遺書があると思うんだ。『斉明暗殺に失敗し、それが富之にバレそうになったから富之と斉明を殺して自分も死ぬ』というような内容だ。内容どおりにはいかず、富之と相打ったというわけだ。探しておいてくれるか? もちろん、手段は問わない」
あからさまな偽装の指示に、卓造は頷いて承諾の意を示した。
「ほぉ……ええですよ。せいぜい頑張って探しますわ。明日の昼まで時間をもらえます?」
「分かった」
犯人死亡で決着がつけば、委員会が斉明を引き取る理由は消滅する。そして富之が消えた以上は、次期当主は成り行きで自分が継げるだろうし、最悪、委員会が介入して前当主……富之の言うとおりにしろということならば、後見人の座を手に入れられる。
――洋一郎、君がどうして、そのような蛮行に及んだのかは知らない。だがそれも、上宮を思っての事だろう。私が君の遺志を継ぎ、責任を持って上宮を存続させてもらう。
それは、富之が私物化した上宮を開放した洋一郎に対する、孝治なりの最大級の賛辞だった。
「まずは片付けだ。このまま放っておくわけにもいくまい」
警察などに介入させるつもりはない。その辺は裁定委員会に貸しを作る事になるが、下手な事をして警察に探られてしまうより、プロである彼らに任せた方が確実だ。
とりあえず、物置からフィルム式のカメラと、眞一が持ってきていたデジタルカメラで、現場を撮影する。
「全員で、互いの動きを監視し合おう」
この場に犯人がいれば、証拠となり得るものを処分する可能性もある。孝治は、眞一と良正に木製の棺を作るよう指示を飛ばす。その間に残った五人で、死体を地下牢に移動させた。
棺が完成するまでの間に、孝治は腐食を止める算段をつけた。富之の物置にあった分銅式の掛け時計だ。解創の道具らしき形跡はないので、細工を施し『停滞』の解創を作成する。
棺が完成すると、その中に二つの死体を入れる。そして孝治が作成した『停滞』の解創で、地下牢と棺ごと、二つの死体の腐食を遅延させる。
現場の方は臭いがひどいので、周りの部屋を移動させて四方を囲む。
これでいいだろう。孝治は新たな指示を飛ばす。
「正和、和良。お前たちは裁定委員会と連絡をつけろ。すぐに書面を考えてくれ。出来次第、いったん私が目を通す」
「分かりました」
「現当主死亡と、以前の上宮当主候補殺害未遂の犯人が見つかり、その犯人も死亡した。上宮斉明の後見人選抜の依頼は、見送らせて欲しいという内容でよろしいですか?」
長男の了承と次男の確認に、孝治は頷きつつ「あとで他にも言う事があるかもしれないから、また言う」と言う。
「良正は……」
「こっちで借りてええですかな?」
既に孝治の考えを読んでいた卓造が、孝治に言われるまでもなく進言する。
「ああ」
「じゃあ良正くんは、証拠集めをしよか。遺書はワシが探すにしても、委員会と……それに斉明は、それじゃ納得せんじゃろうからの。もう一押しが必要じゃ。洋一郎の不意打ちが成功した理由……解創じゃな。ワシと同じように探しといてくれるかの?」
そう――問題は偽装した真実を真実としてまかり通す事が出来るか、だ。
「眞一は斉明くんのお目付け役や。現場引っかき回れたらかなわんし、あの子にこれ以上、負担をかけるわけにはいかんしの」
気遣いの言葉は、これ以上ないほどに白々としていた。孝治は続ける形で眞一に言った。
「それから……お父様はいなくなったが、委員会が介入してくる可能性はある。卓造が前に話した件、覚えてるか?」
「斉明くんが雅ちゃんを好いてる、って話ですか?」
「そうだ。今のうちに雅に、こっち寄りになるよう、揺さぶりを掛けておけ」
「分かりました」
二人は頷いて引き下がる。良正は自室に戻って解創作り、眞一は斉明の元へそれぞれ行く。
息子たちへの指示が終わっても、孝治と卓造の二人は現場を離れなかった。
卓造はどういう考えなのか――孝治は少し、探りを入れてみる事にした。
「斉明くんの後見人の件だが……私がやってもいいかな?」
次期当主云々は置いても、彼を引き取る者は必要だ。了承にせよ、苦言を呈すにせよ、どういう建前で応じてくるのかがで、卓造の考えも分かってくる。
「……まぁ、ええですわ。こっちは手を引きます。斉明はそっちに任せますよ」
案外あっさりと手を引いた。なるほど卓造からしてみれば、孝治の下で斉明が死ねば、孝治を犯人に仕立て上げられる。自分が率先して後見人になり守らなければいけないよりも、よっぽど都合がいいのだろう。
「それと、米の婆さんの口止め、どうします?」
「ああ……」
富之の妻にして、孝治たちの母親である米だ。作り手の勤めについて、何か知っているわけではない。上宮家当主の伴侶という立場ゆえ、妻というより女中に近い。だが富之の身の回りの事は誰よりも知っている。下手な事を委員会に言われると厄介だ。
「それは私の方からお願いするよ」
「それで? 孝治さんは今から何されるおつもりなんです? まさか婆さんと仲よく談笑するだけと違いますやろ?」
「私かい? 私はこれから、他の可能性がないかを、念のため探しておくよ。万が一、問題があってはいけないからね」
真犯人に繋がる手がかりがあれば良し、そうでなくとも、なにかしら手がかりを得られるかもしれない。それに万が一、裁定委員会による実況検分があった際、『真実』に状況と矛盾が生じていると面倒になる。今のうちに、念入りにチェックしておかなくてはいけない。
「そっちはお任せしますわ……じゃあワシはこれで」
そう言って、卓造は踵を返す。孝治もまた、同じように現場を後にした。




