#12 斉明
異常に気づいたのは、地下に踏み込んでからの事だった。
何かが燃えたり、破壊される音が、斉明に異常を知らせていた。
――大爺様……ッ!
夕食が終わってから、富之が地下に入ったと知った斉明は、富之が誰かに襲撃されているとすぐに察しがついた。
上にはまだ、全員いたはずだ。となると残る可能性は一つしかない。洋一郎だ。
「なんて往生際の悪い……!」
斉明は一度引き返そうとする。斉明自身は、何の戦力にもなれないからだ。すぐに雅を呼んでこようと考え直したところで――音が止まった。
僕を誘う罠か――いや、そんな事はありえない。斉明は混乱しそうな状況で、勤めて冷静でいようとした――だが結局、すぐに確認したいという欲求には勝てなかった。
音を立てないように、忍び足で廊下を進んでいく。
「うっ……」
酷い臭いがした。何かを焼いたような臭い。淀んだ空気は乾燥しつつも脂っぽく、吸い込む事に抵抗感を抱かせる。
嫌な予感がしたが、それと同時に可能性を模索した。富之の杖には『火成り』の解創がある。あまり考えたくはないが、洋一郎が何かしらの抵抗をして、仕方なく富之が洋一郎を……という事も、十分に考えられる。
曲がり角を曲がり、一歩一歩踏みしめるたびに、心拍数が上がっていく気がした。何度か曲がり角を曲がった先に、それはあった。
濛々とした煙が立ち込めていて何も見えなかった。斉明は慎重に周囲の対流で『風起こし』の解創を為して、煙を取り払った――取り払ってしまった。
「なっ……」
それは斉明の許容を、軽く超える光景だった。
そこには、二つの肉の塊。人の色をした物と、黒く燻ぶっている物と。
人の色の方には、脇腹に杖が突き刺さっている――荒い傷跡は『研削』の解創によるものだ。男の死体、顔はあるが、白目を剥いて完全に事切れている。片足が吹き飛んでいて、桶か何かをひっくり返したような赤色が、床と壁にぶちまけられていた。
黒い何かは――大きさと輪郭から、それは明らかに誰かの亡骸、片方が洋一郎である事から、消去法で誰かは導き出せる。
「大爺様……」
口に出した単語と、目の前にある物体が同一だと、まったく実感が湧かなかった。だが頭は理解出来ていて、どうしていいのか分からなかった。
二人の人間が壮絶な最期を遂げている世界で、緊張に痙攣する眼球が、何か情報は無いかと観察する――視線が捉えたのは、黒く燻ぶる物体の足元に、焼け爛れて歪んだ骨組み。レンズは溶けて変形しているが、紛れもなくそれは、富之が常日頃から首に下げている老眼鏡だった。
「…………」
確証が得られると、妙に納得がいった。丸っこい頭蓋に余計な繊維が無いのも、薬缶頭の富之なら納得がいく。いくら脂肪と肉が焼けているとはいえ身体が細く小さいのも、年寄り特有の矮躯だと考えれば筋は通る。毎年会うたびに、やさしく頭を撫でてくれた手や指も、今は黒い煤の棒と化している。いつも来ていた羽織は黒い肉か骨か分からない物体にこびりついて、燃えるその瞬間にも着ていたのだと分かる……。
立ち眩みがして、斉明はその場に崩れ落ちた。
人は安らかに死んだら、まだ生きているように見える。だが所詮、死んだ身体は物体でしかなく、どのようにでも扱える、その辺にある壁や床と大差ない。踏まれても燃やされても何も抵抗せず、ただ変わり果てる。死ねば、いかようにも加工して、人だった原型を留めないように出来るという現実は、まだ幼い斉明には、受け入れがたい事だった。
自分も、この臭い物体になりえるのだと理解して、心の方が耐えられなかった。嘔吐感こそ湧かなかったが、視界が白くじらじらと灼けて、何も見えなくなった。頭痛がして、頭が重くなる感覚がして、その場にうずくまった。何も出来ないまま時間が過ぎていく。
混濁した意識の中で、大人たちが騒いでいるのが分かった。起こされて、軽く頬を叩かれる感覚もあったが、どうやって返すのか、よく分からなかった。
誰かに抱えられて運ばれるのを感覚した――遠くで、少女の泣く声が聞こえる――誰だったかと思い出そうとして、深く白い闇に囚われる感覚の後、鈍く頭が痛んで、考えるのを止めた。
布団か何かに寝かされて、安堵に浸った。変な臭いはせず、網膜に張り付いた数々の映像も、夢か仮想のような気がして、そのまま眠りにつけた。
少しずつ覚醒していくのが分かった。頭の血管が脈打つリズムが子守唄のようだが、その旋律に酔いそうになって、意識がはっきりしてくる。起きなくちゃいけない――なぜか、そう考えた。
起きると、部屋は明るかった。昼間ではないが、灯りが点いている。人の気配がして、左に視線を向けると、見知った女性がいた。
「雅姉さん……?」
雅は、斉明の傍で座っていた。微笑んでいたが、その微笑はぎこちなく、生唾を飲む喉の動きが、動揺を物語る。
やはりアレは現実だったのだと、実感が湧いた。だが確証は持てず――持ちたくなかった。
こんな顔をする雅を困らせたくなかったが、嘘を言えるほど、気丈に振舞える状態ではなった。
「おはよう……気分はどう?」
「あんまり……」
「そう……水か何か持ってこようか?」
言われると、急に喉の渇きを覚えた。
「はい……お願いします」
雅が立ち上がって、部屋を出て行く。急に空気が閑散とした気がした。
上半身を起こして、頭を手にやる。額に、じっとりと汗をかいていた。最悪なまどろみの中、唸っていたような気がする。相当うなされていたようだ。
少し、頭が冷静になっている。詳しい話は雅に聞いてみなければ分からないが、何が起こったのかは分かっていた。
洋一郎と富之の死亡――これは大変な惨事だ。
しかし斉明には、妙に引っかかることがあった。




