#15 斉明
明日香に腕を引っ張られて、少し離れたところに行くと、シーグラスが多くある場所に辿り着いた。他の場所にあるものと違い、群青色の物が目立つ。なぜ、この一角にだけ固まっているのかは分からないが、砂に埋もれているところを見るに、最近、誰かが意図的に集めた、というワケではないようだ。
「綺麗でしょ、ほら」
ついていた砂を海水で洗い流して、明日香はシーグラスを斉明に見せる。色が濃いからか、薄い色の物より重厚感がある。
「ホントだ」
雅や美智、健や美咲くらい年上だと敬語で話すのだが、瞬や誠、明日香や萌などは、あまり年上といった感じがせず、本人達から「なんかヘン」と言われた事もあるので、友達に対するのと同じ感覚で話していた。
「斉明には、これあげる。大切にしなよ」
明日香は、大きな物を選んで、斉明に渡した。
「うん……」
いくら親戚……鳩子同士とはいえ、ずいぶん馴れ馴れしいと思う。決して不愉快なわけではないし、否定的な感情もないが、心境は複雑だった。
明日香は、斉明の中では、微妙な位置にいた。
ミステリアスな雰囲気を持つこの少女は、眞一を親に持ち、卓造の孫にあたる。容貌から性格まで、親戚の中ではズバ抜けて胡散臭い人物の孫ということもあり、それだけ見れば、接触は最低限にしておきたいのが、斉明の本音だった。
しかし明日香は、妙に斉明を気に入っている節がある。どういう事かと訝り、彼女がたびたび、美咲や瞬を見ているのに気付き、斉明はやっと得心がいった。
明日香は一人っ子なので、弟と仲よくしている美咲を羨ましく思っているのだろう。そう考えると辻褄が合う。斉明を『子分』と呼ぶのも、弟のような感覚だからに違いない。
別に不満は無い。正直なところを言えば、どうせ姉なら雅がいいが、誰に促されたわけでなく、彼女自身の意思で、自分の事を考えてくれるのは、素直にうれしかった。
「お母さんとお父さんが亡くなったって話、聞いた」
ずけずけと言う。悪意は無いのだろう。大人と違い、変に言葉を濁さないのはハッキリとしていて好きだが、今は別だった。両親が死んだ現実を直視させられ、動揺した。
「そうなんだ……」
「大丈夫?」
心配してくれる事に感謝しつつ、斉明は首肯した。
「うん。大爺様も、心配してくれたし」
明日香は、ちょっと不機嫌な顔をして、首を振った。
「あのハゲ頭は、斉明の事、ちゃんと見てない」
皆が畏敬を注ぐ大爺様を、随分と無礼な呼び方をするものだ。本来なら、尊敬されている人間を貶されて怒るところだろうが、なぜか斉明は、不快にならなかった。邪気が無いからかもしれない。
「私は、斉明の事、ちゃんと見てやるよ」
細い腕を、斉明の後ろ頭の上の方に回り込ませて、ぽんぽんと叩く。
「っ……! えっと……」
上ずった声が出る。昨日の夜の雅との出来事を思い出して、感傷的になっているのを自覚する。
「泣きそうなの? 声がヘン」
なんとも言い返せず、斉明は、その場にしゃがみ込んで逃げる。明日香も同じようにしゃがみ込む。顔を下に向けても、明日香は、じっと顔を覗きこんでくる。視線を外すと、足先に波が届きそうなのが見えた。
「斉明は、いろいろ考えすぎ」
覗きこむのを止めてから、明日香は、ぽつりと言った。
「そうかな?」
あまり自覚が無かった。
「うん。ハゲ頭から言われたんでしょ? 次期当主になれって」
「うん」
「それで、なんか悩んでるんでしょ」
どうしてそんな事が分かるのか、斉明には不思議でならなかった。確かに、悩んでいる。自分が継ぐべきなのかどうか。当主は、富之のように、作ることのみ考える作り手としてではなく、孝治のように、委員会に飲まれぬよう渡り合う、一つの家の守り手として勤めるべきではないか――そして、もし後者が求められるのであれば、自分は、当主にふさわしくないと。
「斉明は、作るのは凄いけど、道具とか使うの下手なんでしょ? けど斉明なら、なんとかなるよ」
明日香の言葉を聞いて、斉明は、どうして彼女が気に掛けてくるのか分かった。
――ああ。僕に使う才能が無いから、当主になれるか心配してるって勘違いしてるのか。
だが部分的には当たっている。別々の問題ではあるが、使う素質がない事と、上宮の当主になるべきかという事は、どちらも斉明にとって重要事項である。
「なんとかなるって……」
根拠も無いデタラメと同じだ。気休めにもなりはしない。だがまっすぐ見つめてくる少女が、適当を言っているようにも見えなかった。
「それはお守りにしなよ」
明日香は、斉明の持っているシーグラスを指差した。
「お守り?」
「そう。願えば叶うんでしょ? 解創って」
確かに、必ず手を加えなければいけないわけではない。たとえば解創者という、自分自身に解創を宿した者たちは、意図して自分に解創を宿すわけではない。同じ理屈で言えば、追求者が作成を意図せずとも、道具に祈り、願えば、解創が宿る可能性はある。
しかし追求者としての作成をすれば……願い、それに従って手を加え、作る事によって、解創はより早く確実に、なにより深く為される。
「斉明が願えば、叶うかもしれないよ……子供は、なにか足りないまま大人になるけど、あとから足せるように、ちょっとずつ頑張っとけばいいよ」
願えば叶う……そうかもしれない。心が軽くなるのを感じた。願い、思うことで自身に刻みつけ、人は努力するのだから。
そしてまだ――斉明は、この言葉の真の意味を悟れていなかった。
砂を踏みしめる音がして、そちらを見ると、亮平がいた。
「仲良くしてるところ悪いんだけど、そろそろ帰ろうってさ」
地平線の向こうに浮かぶ陽を見ると、橙色に近づきつつあった。
「いくよ、斉明」
明日香が斉明の手首を握る。されるがままに、斉明は砂浜を歩き出した。
このとき、まだ斉明は知らない。
大広間の卓の上に出しっぱなしにしていたノートを見た人物が、二人もいた事を。