#06 斉明
スミマセン予約掲載を失敗してました。
上宮邸の箱庭は、息を呑むほど壮麗である。
山の小川から水を引いた人工の滝では、小ぶりな水車が軽やかに回る。下流には薄桃色の睡蓮が浮かび、青い葉とのコントラストがよく映える。緑の葉が生い茂る細い木々を見れば、秋には赤い葉を付けるのが容易に想像できる。
青と橙のカワセミや、鮮血の如く赤いショウジョウトンボまで、実にさまざまな生き物たちが、美しき庭に誘われ集まってくる。
だがその正体は――四方を囲まれた鳥籠、虫篭。
一度入れば、たちまち虜になって出て行けないこの監獄は、庭園を眺めるだけでは見つからないが、実は多くの生き物たちが、ひっそりと息を潜めている。
口の字型の上宮邸。その中央の空白こそ、この籠の庭園。これは向かいの軒の視界を遮る壁であると同時に、それぞれを監視する目であり耳だ。
籠に入りし虫や鳥たちが、知らぬ間に園の主の目と耳になる。
美しき中でも、人知れず小さな王国の安寧を守る為に従事する。
上宮富之の解創『庭園の眼』。
最初は遊び心で作った庭園だが、いつの間にか、あくまで副産物として、追求者から正体を隠匿した監視システムを構築していた――優れた作り手としての素質と、白寿にもなって失われない童心を併せ持つ、上宮富之ならではの解創だった。
流石に上宮の作り手たち。庭園に違和感こそ持つが、その正体にまでは迫れない――ただ一人、最年少の作り手を除いて。
上宮斉明は、この庭園を眺めつつ、ぐるりと一周しただけで、たちまちこの解創を看破した。
上宮きっての逸材、上宮の神童たる斉明を相手に、いくら当主の富之であっても、誤魔化せる筈が無かった。
――すごい、流石は大爺様。これだけ見ないと分からない解創なんて……。
それは嫌味や傲慢などではなく、純粋な賛辞と敬意からくる感想だった。
斉明の眼に掛かれば、偽装としての解創は、まるで意味を持たない。創造と作成に長けた斉明は、その発想力に劣らない、ずば抜けた観察眼を併せ持つ。
普通の作り手の、追求者に対抗するための解創……真意を悟らせないように作った道具なら、斉明はたちどころに正体を見破れる。だがこの庭園は違った。正体を知る為に、ぐるりと一周、注意深く観察することを要求された。それは何故か?
何かに偽装する解創の場合、たとえば刀に対して『火成り』のような、火を生じさせる解創を為すとする。一見して斉明は刀が解創の力を持つと見抜く。だが刀が本来持つ『人を切る』という願い……用途には、それらしき力が伺えない。その時点で、刀の形はダミーだと気づき、他の違いや雰囲気などから、追求者が施した解創を見抜ける。
富之の庭園には、そういう手抜きがない。庭園本来の意図『美しい作品』としての意図がある。庭園が、偽装としての庭園ではない。庭園そのものが、芸術的価値を持ち、富之自身の美術的センスが含まれた、独自の創造物として成り立っている。故に解創によるものと分かっても、庭園本来の『美しい作品』としての願いがあるため、そちらに気をとられてしまう。
それでも斉明は、特殊な邸宅と庭園の形と、向こう側が見えないという点、さらに、感じられる解創の力と、見える『美しい作品』としての解創の力の差異から、ようやく別の解創が潜むことを悟り、そしてそれが何なのか理解したのだった。
「どうかした?」
隣を歩いていた雅が尋ねる。斉明は悟られまいと、適当に誤魔化す事にした。
「いえ。庭園が凄い綺麗だなって……ところで雅姉さんは、僕の護衛に就いて下さるんですよね? 部屋はどうされるんですか?」
斉明が話を逸らすが、雅は特に気にした風も無く、淡々と答える。
「そうね。たぶん隣の部屋とかになると思うわ。あとで大爺様に訊いてみましょう」
そうですね、と相槌を打ちつつ、斉明は己の目的の為に必要な手段を思索する。
富之の目的は重々承知している。犯人探しは任せてもいい……が、斉明自身、それは我慢ならなかった。自分に危害を加えられたという事実は、不愉快極まりない。それに、ここで自分が死ねば、追求者としての本分を――創造と作成を果たせなくなる。それは絶対にあってはならない。故に自分はリスクとなる暗殺者を排除し、自身を防衛する義務がある。
だが、相手にこちらの意図を察される事態は避けた方がいい。相手を油断させた方が、真実に繋がるヒントを落としやすくなるだろう……。
逡巡し、必要なのは、情報取得と防衛の手段と結論付ける。そのための道具――解創を為す上で必要な材料が、いくつか有る。雅や富之に知られていい防衛手段の材料と、情報取得の知られてはいけないものの二種類が。
「雅姉さん。僕の部屋に戻る前に、ちょっと寄り道したいんですけど、いいですか?」
「ええ、いいけど」
斉明の申し出を、雅は快く承諾した。
「すみません。ちょっと暇つぶしが欲しくて……」
斉明は地下の自分の部屋に行く前に、一階の、ある部屋に入る。
他の部屋と比べれば雑然としているが、物置というほど埃っぽくも無い。斉明のイメージでは、学校の工作準備室が一番近い感覚だった。ここには工具や文房具などが一通り揃っているので、何かしらの道具を作るのに、道具が無くて困るという事は無い。
斉明はここに、道具とは別に、未使用のノートの買いだめや、他にも色々な消耗品があることを、各部屋を探検するついでに知っていた。
部屋の後ろの棚の引き出し。右から三列目、下から三つ目。開けると、中にはビニールで包まれた正方形の紙のセットが、ぎっしりと入っていた。色も豊富で、赤青黄の三原色から、金や銀まで多種多様だ。
「あら、折り紙ね。斉明くんは紙飛行機とか好き?」
「ええ。まぁ、作るのは好きですよ」
折り紙。二枚もあれば十分だったが、多いに越した事は無い。五十枚入りのものを一つ取る。一枚、雅には内緒で使うが、いちいち枚数を数えたりしないだろう。折り紙を持っていることは、雅に知られてかまわない。マズいのは、何を作るのかを知られることだ。
あとは、防衛の策だ。
確かに折り紙でも、それなりのものであれば防衛の道具は作れる。解創による超常は、純粋な物理的影響ならば、ある程度防ぎうる。しかし相手は作り手だ。いくら斉明が才能で勝っても、相手は経験と場数を踏んだ手練である。油断できる相手ではない。
ならばこちらも、全力を出さなければ太刀打ちできない。
これについては、雅に明かさずに作る事は不可能だと割り切った。下手に隠して中途半端な物を作るよりも、雅を懐柔して協力してもらった方が、より良い物が作れるからだ。斉明が現状、守護に最適と思っている材料を手に入れるには、斉明自身の欠点を考慮すると、それを補う雅がいなければ成立しない。
だが、これはかなり難度が高い。理由は二つ。
一つは材料について。折り紙ではなく、防衛に向く道具のための材料は、既に決まっている。しかしそれを取るのは、少々まずい。単刀直入に切り出せば、雅の返答は否だろう。
二つ目は、協力してもらっても、取ってくるのに時間が掛かる点である。その材料は既に防御のための解創が施されているので、材料として使うためには一部を破壊する必要があり、さらに破壊の痕跡をごまかすために、材料が失われた事を誤魔化す必要がある。だが、富之を誤魔化すのは至難だ。
……とにかく、成功を前提として動くしかない。斉明は工具のある区画に進む。工具箱を開ける……目当ての物は、揃っているようだ。
「これ、何に使うの?」
折り紙とは無縁の工具を前にして、雅が疑問を口にした。斉明は包み隠さず答える。
「これは後で説明します。雅姉さんに手伝って欲しい事があるので……」
斉明は、懐から手提げ巾着を取り出した。金鋸、ヤスリ、ドリル状の下穴錐などの工具やワイヤー、それにカッターナイフや色鉛筆、セロハンテープなどの文房具も入れていく。そのままでは使えない道具もあるので、あとで解創によって手を加え、機能を改造する必要がある。
すっかり膨らんだ巾着袋を手に提げて、二人は部屋から出た。
斉明は頃合を見計らって言った。
「ちょっとトイレに行かせて下さい」
「場所は大丈夫?」
「はい。すぐに戻ります」
斉明はそそくさと廊下を突き進み、手洗いに向かう。
スリッパを履いて個室に入り、戸を閉める。完全な密室だ。音が多少心配だが、雅の位置からならば、庭園の小川の流れる音が掻き消してくれるはずだ。
巾着袋に入っている折り紙の束から、一枚取り出す。
即席の解創には十分だ。数分と経たぬうちに、正方形だった紙片は、複雑怪奇な形状になっている。――まるで人の耳のように。
壁に耳あり、障子に目ありと言ったところか。『聞き覚え』の解創。富之のように、知性の低い動物を道具とするのではなく、無機物を自分の思い通りに運用する。一度設置した場所から動かないが、動かないので気取られにくいというメリットもある。なにより簡易だ。
――問題は、これを設置すること……か。
耳があっても、相手がその傍で情報を喋ってくれなければ意味が無いが、それについては問題ない。至極当たり前な場所ではあるが、設置場所に見当はついている。
ついでに用を足して流し、手を洗って出る。雅と合流し、地下にある自室を目指す。雅に話したい事があるが、地上には庭園がある。いくら相手が富之とはいえ、知られたくない事もある。
地下に入ると、重たい廊下の空気が出迎えた。
富之の意図は分かっているが、歩くのに体力を使うこの仕組みには辟易する。少々ずるいが、斉明は作り手の才能に物を言わせた。自分の周囲にある大気を材料にしてトンネルを作ると、中の空気を減らした。それは即席の解創だった。
追求者は全ての願いを叶えられるわけではないが、自分の意図を押し付けて現実を変えるという性質上、現実の、とりわけ他人の意図が介在しない、純粋に物理的現象を歪ませる事に関しては、めっぽう強い傾向にある。
この地下は、地上よりも空気の密度が高くなっているようだ。そのため斉明は、周囲の大気で即席の解創を為した。『風穴』の解創。最小限の空間だけ密度を減らし、歩く際の面倒な抵抗を減少させた。富之の意には反するが、このくらいは大目に見てくれるだろう。
即席で解創を作るという行為は、いくらその影響力が小さい解創といっても、早々出来る事ではない。それをまるで、ちょっとした工夫程度の要領でやれてしまう才能こそ、斉明が富之に認められた理由でもある。
「あれ……斉明くん、なにかした?」
雅はすぐに異変に気づいたようだった。
「はい、ちょっと……雅姉さん、大爺様に雅姉さんの部屋を訊く前に、とりあえず僕の部屋に来てもらっていいですか? 話したい事があるので」
「ええ、いいけど……」
とにかく、雅を攻略して防衛の解創のための材料を手に入れなければならない。斉明は自分の部屋に戻るまでの間、どうやって雅を説得するかを考えた。