1話『聖女の奇跡が、王太子にだけ届かなかった』
聖女の治癒魔法が、王太子にだけ効かなかった。
「……そんな」
王太子エネラルの胸に手を当て、祈りを捧げても。
黄金色の光は静かに消え、傷一つ癒えない。
その瞬間――
玉座の間が凍りついた。
「聖女様の奇跡が……失敗した?」
誰かが震える声で呟く。
生まれて初めてだった。
どんな重傷も治してきた聖女リシェルの奇跡が、届かなかったのは――
次代の王となる王太子エネラル、ただ一人だった。
◇
魔物討伐からの帰還。
王城の鐘が鳴る。
「王太子殿下がお戻りです!」
しかし歓声ではない。
騎士たちは血まみれ。
担架には瀕死のエネラル。
胸を魔物の爪で深く裂かれ、
呼吸も弱い。
医師が叫ぶ。
「もう聖女リシェル様しか助けられません!」
誰もが助かると信じていた。
私もそう信じていた。
女神様から与えられた奇跡――私は幼い頃から、その光で何百人もの命を救ってきた。
エネラルも必ず救える。
いや、絶対に救いたい。
(昔から好きだった人だから……)
私は彼の胸へ手を重ねて――祈った。
黄金色の光が広がり始める。
いつもなら、傷はみるみる塞がる。
誰もが息を呑んで見守っていた。
しかし。
光は弱まり、消えた。
傷はそのまま。
血も止まらない。
「……え?」
医師が驚きの声を上げる。
「そんな馬鹿な……」
近衛騎士団長が膝をついた。
私自身も何が起きたのか理解できなかった。
人生で初めて――
奇跡は、届かなかった。
「どうして……どうして……!」
私は泣きながら、何度も何度も治癒魔法を試みるが、エネラルの傷が癒えることはなかった。
「……泣くな」
エネラルは瀕死状態にもかかわらず、最後の力で私の手を握る。
「俺は大丈夫だ……だから、そんな顔をするな」
最後にそう言い残して、エネラルは意識を失った。
◇
医師たちの治療により一命は取り留めたが、エネラルの状態は予断を許さなかった。
私はエネラルの隣で祈りを捧げ続けている。
「この世界で一番救いたい人だけ、救えないなんて……」
聖女にあるまじき考えだとは思ったが、この世で一番愛している人を助けられない悔しさが、どうしても滲み出てしまう。
「――あれ?」
一瞬。
エネラルの胸元に、黒い紋章が浮かび上がった。
黒く脈打つ、禍々しい紋章だった。
しかし、すぐに消えた。
周囲は誰も気づいていない。
……私だけが見えた?
(今のは――何?)
エネラルは苦しそうに小さく私の名前を呼んだ。
「……リシェル」
その声に、私は胸が締め付けられた。
「原因は、必ずあります」
突如、ダズエル神官長が現れた。
紋章が消えた場所を見て、一瞬だけ顔色を変える。
だが、すぐに笑顔に戻った。
――落ち着き過ぎている。
まるで、最初から知っていたかのように。
私は違和感を覚えた。
ダズエルは静かに近づき、耳元で囁く。
「ただし、禁書庫には近づいてはいけませんよ」
なぜ?
私には調べろと言っているようにしか聞こえなかった。
◇
夜になっても私は眠れなかった。
このままでは王太子はあと数日で命を落としてしまう。
黒い紋章。
治癒魔法の失敗。
神官長の忠告。
何かがおかしい。
窓から月を見ながら――
私は心の中で決意した。
「誰が止めても、私は真実を見つけます」
私は静かに禁書庫の鍵を握り締めた。
その夜――聖女リシェルは、誰にも告げることなく禁書庫の扉を開いた。




