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ブッ殺す。
突如町中に轟いた怒声。
ただの冗談や軽い喧嘩ではない、明確な憎しみ……端的にいえば殺意を持った怒声だった。
怒声が聞こえた瞬間、エイリーが俺の前に立ちはだかり、周囲を見渡して警戒を始める。
だけど俺の目にもエイリーの目にも、怒声の発信源は明確に見えていた。
「オイ! 早く酒持ってこいよ!」
とある店先のテーブル。
ガタイのいい大きな男が、巨大な木製のコップをガンガンとテーブルに打ち付けながら、店主と思しき初老の男性を威嚇していた。
「早くしろよおい! こっちは客だぞ!」
「い、いや、ですけどお客様、お金を——」
「——払うっつってんだろ! ふざけんな! 早くしろ!」
心臓が竦み上がる。
怖い。
子どもになったせいなのか、本当に泣きそう。
「そう言って、昨日も一昨日も、払ってないじゃないですか! きょ、今日は先にお代をい、いただきます!」
震えながら少し強気に言い切った店主を、
「あ?」
大男は睨む。
「つまんねーことグダグダ言ってねーで早く出せ——っつってんだろ!」
——ばん、と。
猛烈な爆風が、大男を中心に吹き抜けていく。
それからワンテンポ遅れて、何かが爆発したような勢いで、男の蹴ったテーブルが大砲のように吹き飛んでいった。
がしゃんと酷い音が響く。
木製のテーブルは隣の建物に直撃し、文字通り木端微塵になった。
爆風の余波で、木片がぱらぱらと足元を駆けていく。
「おら、早く持ってこねぇと次はお前が粉々になんぞ!」
ガハハ、と下品に笑いながら、新たなテーブルに移動して、大木のような両脚をどかんと乗せる。
——怖い。
大人の怒声が怖い。
これは、子どもになってしまったことの弊害だ。
考えてみれば俺、コルトゥーラで盗賊に襲われた時はわりと冷静だったのに、何で今はこんな怖いんだろう……。
もしかして、怒鳴り声が怖いんだろうか。
盗賊達は余裕綽々、って感じで怒鳴ってはなかったしな……。
「姫、ここにいてください」
「え?」
エイリーは俺の肩に手を置くと、大男の方へ静かに歩いていく。
遠巻きに見ているギャラリーの中、小さな少女が近付いていく姿は嫌でも目立った。
そして、泥酔している大男の目にも、エイリーの姿が入る。
「どうしたァ? お嬢ちゃん。一緒に酒でも飲むかァ?」
近付いていったエイリーは、
「飲みません」
と、ぴしゃりと言い切った。
静まり返った町に、エイリーの声がよく通る。
「じゃあ何だ? 文句言いにきたのか?」
明らかに不機嫌そうに睨み付ける大男に、エイリーはまるで怯まない。
「いえ、文句ではありません。然るべき料金を支払った上で、暴動を起こした件を詫びていただきたいのです」
酔っ払いにド正論をぶつけても、届かないと思うんだけども……。
「ふーん……お前、やけに自分に自信がありそうじゃねぇか。どこの何様だ?」
ところが大男は、意外と冷静にエイリーに訪ねた。
「これは失礼致しました」
と、そんな必要ないのに、こんなやつにまで恭しく丁寧に頭を下げる。
そして大きく息を吸った。
「コルトゥーラ王国より参りました。コルトゥーラ王宮で、家政婦長、兼、政治補佐役をしておりました、エイリーと申します。現在は、アルジェント・パーチェ姫殿下の使用人、兼ボディーガードをしております」
実に慣れた流暢な口調で言い切った後、
「暴動を起こした件を詫び、然るべき料金を支払っていただけますか?」
と己の主張をもう一度繰り返した。
こういう愚直に正論をぶつけるタイプって、酔っ払いとすごく相性が悪いと思うんだけど——
「——ハァッ!」
突如、大男はエイリーに拳を向ける。
その拳が生んだ強烈な風圧が、エイリーに真っ直ぐ向かっていく。
ちり、と。
エイリーの髪の先が少しだけ散る。
その直後、エイリーの前に巨大な歯車が展開した。
そして、爆風の大砲を真っ二つに叩き割る。
一瞬遅れて、その余波が俺の髪をふわりと浮かせた。
いよいよ戦闘になってしまった、という緊張が、ギャラリーを包む。
無言で睨み合うエイリーと大男。
沈黙を破ったのは大男の方だった。
「チッ、ナインかよ。めんどくせぇな……」
苦々しく呟いて、大男は本当に小さく、目線を一度だけ右、左、と動かした。
次の瞬間、鋭く動かした指先から風が出て——
「え、うわっ!」
店主の足元の地面がえぐれ、老いた彼はたまらず体勢を崩す。
そのまま地面に倒れる直前に、今度は大男の足元の地面がえぐれた。
彼自身が巨大な大砲になって店主に襲いかかり、胴回りに抱き付くようにタックルをかます。
ざっ、と片足で急ブレーキをかけた大男の右肩には、意識を失った店主がだらりと力なくぶら下がっていた。
大男の指先が動いたのを見てから今まで、まばたきをする間もないくらい一瞬の出来事だった。
「おい、やべぇんじゃねぇかこれ……」
隣の観光客が口を開く。
それが皮切りとなって、ざわつきが広がっていく。
「誰か呼ばなくていいの?」
「まぁ、その内誰かくるでしょ」
「お前あいつ倒してこいよ」
「あのウィンドのやつ、あれ霊獣級だろ? 俺、妖精級だし無理無理」
「うわぁ、こえぇ」
「あなたエレキでしょ。相性いいんだから行きなさいよ」
「えぇー? ぼくパワータイプは苦手なんだよぉ」
「まぁ、あのナインの子が何とかすんだろ」
「だな。あれだけ大口叩いて倒せなかったらダサすぎるしな」
「コルトゥーラのメイド長なんだろ? じゃあそれなりに——」
「お前、コルトゥーラだぞ? あのド田舎でまともな教育受けてるわけないだろ」
「確かに」
「でもあの子可愛いな」
「そう? ちょっとガキ過ぎねぇか?」
「大人になったら美人になりそうねぇ」
誹謗中傷のようなものもすべて聞こえているはずなのに、エイリーは顔色一つ変えない。
「人質を取るとは……ナインの能力がお嫌いですか?」
エイリーは真っ直ぐ大男を睨み、いつでも攻撃できるように体に緊張を走らせつつ、
「犬には、」
と口を開いた。
「犬にはよく吠えるものと吠えないものがいます」
「あ……?」
「小さな犬はよく吠え、大きな犬はあまり吠えません。言い換えれば、弱い犬はよく吠え、強い犬はあまり吠えません」
「……何が言いたいんだ?」
大男の声に、静かな怒気が込められる。
「弱い犬は、自分が不利になるとなりふり構わず暴れます」
「それが俺だって言いてぇのか? あぁ⁉︎」
大男から、ぶわっと風が吹き出す。
「いえ、そうとはまだ、言いません。ただ、あまり吠えない強い犬よりも、いざと言う時には大声で吠えることのできる強い犬が——私は好きなんです」
——ねぇ? グル。
エイリーがすっと手を挙げた瞬間、大男の頭上に魔方陣が展開する。
魔方陣が白と金の色調の中で白熱していく。
そして、光を振り払うようにひときわ激しく白熱して——
どどう、と。
雷鳴が轟くような強烈な咆哮が、心臓を固く揺らす。
「なっ、何っ——」
大男の頭上から降り注いだグルは、唸り声をあげながら大男に襲いかかる。
大男が怯んだ一瞬の隙を突いて、エイリーは歯車を投げる。
エイリーの投げた歯車が、大男の腹に直撃する。
よろめいた大男が店主を地面に落とした瞬間、グルが大男を地面へ押しつぶした。
「グル!」
エイリーが叫ぶ。
グルは店主の首根っこを噛み、流れるような動きでエイリーの足下へ静かに横たわらせた。
魔法陣を展開してから、ほんの一瞬で——
「ありがとう。これが終わったら、またメンテナンスしましょうね」
エイリーは優しく微笑みながら、グルのあごを撫でる。
「おぉ……! あの子すげぇぞ!」
わっ、と観客が沸き立つ。
調子のいいことを言いながら拍手をする観客の声を聞きながら、大男は立ち上がる。
その顔を見て、
「……!」
ぎょっとした。
大男の口から、血が流れていた。
漫画やアニメじゃよく見る光景だ。
でも、実際に見ると怖い。
峰打ちなんかじゃなく、確実に、身体を害するために放った一撃だったということが分かる。
俺も盗賊相手にめちゃくちゃやりまくったけど、あの時は色々とぶっ飛んでいたからあまり覚えてない。
だけどさっきのエイリーは、冷静に、恐らく最終的には殺すつもりで、能力を使用した。
死んでしまっても仕方がない、という気持ちで能力主義を使用した。
いざという時は、相手を殺すお覚悟を——
ドルヴィの家に行く前に言われた言葉だ。
あの時は、霊獣が出たら殺される前にちゃんと殺そう、ぐらいのことしか考えてなかった。
だけど言ってしまえば、相手は霊獣だった。
人間じゃない。
でも今、目の前で行われているこれは、明確に、一人の人間の人生を終わらせようとしている行為だ。
「お嬢ちゃん、やるなぁ……」
口から血を流しながら、大男は続ける。
「せっかくの酔いが醒めちまったよ。お前、ナインのサモンだな。ランクは、俺と同じ……霊獣級だろ」
「申し訳ありません。ただでさえ正体の分かりやすい能力ですので、あまり人前で詳細を喋らないようにしているんです」
「そうかよ。まぁ、お前がどんな能力を持ってようと、こっちは倒すだけだ」
「えぇ。こちらも同意見です」
ばん、と大男の足下が爆発する。猛烈な爆風に乗って、大砲のように飛んでくる。
「戦法がっ——」
大男の突進を歯車のシールドを展開して防ぎ、
「——ワンパターンですよ!」
振り払うようにして弾き飛ばした。
「ワンパターンでいいんだよ! 俺は今までこうやって勝ってきたんでなァ!」
「ん……?」
ほんの些細な違和感——
世界中の空気の流れが止まったような感覚。
だけどそれも一瞬のことで、街路樹がざわめきだす。
魔力があふれ出す。
近くにあった花瓶やイス、テーブルが、突如現れた竜巻にゆっくりと巻き上げられる。
その中には巨大な酒樽もあって——
「——俺は、お前みたいな温室育ちとは違うんだよ!」
魔力の気配が消える。
それと同時に竜巻も消えると——
「危ない!」
誰かが叫ぶ。
空中で支えるものがなくなった膨大な数のもの達。
それらが、俺やエイリー野次馬目がけて降り注ぎ——
「グル! あのテーブルを!」
エイリーの指差した空には、大きなテーブルがあった。
重力に従ってゆっくりと下降を始めている。
グルは空中を飛ぶように軽やかに動きながら、降り注ぐ物達を壊しつつ、最後に鋼鉄の尻尾でテーブルを一撃で破壊した。
グルの壊し漏らしを、エイリーが歯車を飛ばして破壊する。
竜巻で巻き上げられたほぼすべての物が、粉々になった。
「うわ、危ねぇ!」
野次馬達はそれぞれ炎やら電気やらを展開して、降り注いできた破片から身を守る。
そして今度こそ危ないと思ったのか、四方八方へと逃げていった。
「これほど盛大に壊したら、然るべき料金を支払う、では許されな——」
突然、エイリーの言葉が、詰まる。
「——本当に、ワンパターンですね……戦い方が……!」
「だから言っただろ? 俺はこうやって勝ってきた。それに、冷静だったお嬢ちゃんの顔を歪ませられるぐらいには、効果的だろ? コレ」
コレ、と言いながら、大男は巨大な足で蹴りを入れる。
いつの間にか、エイリーの足下から再び奪われてしまった店主の脇腹に——
エイリーは苛立たしげに短くため息を吐いて、目を閉じる。
きっとこれは、大男に対しての苛立ちよりも、自らの失敗への苛立ちだ。
大男のさっきの竜巻は、目眩ましに過ぎなかった。
派手なことをして、その隙に人質を奪い返すことに意味があったのだ。
竜巻で巨大な木のテーブルを持ち上げられる能力者だ。やろうと思えば——殺ろうと、思えば、そのまま野次馬を持ち上げて落として殺すことだってできたはずだ。
それをしなかったということは、コイツは最初から人質にするために店主を奪い返すつもりで動いていたということだ。
恐らくは、エイリーの自信を喪失させるために——
「——おじいちゃんを返して!」
いきなり聞こえた幼い女の子の声を、俺の全ロリコン細胞が受け止めて感知した。
声のした方を見ると、人質になっている店主の店から、女の子が出てきた。
見ているこっちが辛くなるぐらい、顔を歪めて泣いている。
「何だぁ? 今日は。メスガキばっか寄ってくるなぁ、おい。あと二十年ぐらいしたらまたきな」
ゲラゲラと大男は笑う。
二十年?
おい、コイツ正気か。
せっかくの少女だというのに、あの子たぶん六歳ぐらいだから、二十年後っていったら二十六歳だろ?
子どもだからいいんだろうが。
「早く返して!」
幼い怒鳴り声に意識を戻すと、女の子の手がばちばちと白熱していた。
それを徐々に大きくしながら大男に向かって走っていく。
「えぇーい!」
ばばば、と周囲を低い音と閃光が覆い——
「エレキが相手だろうと、それが妖精級の雑魚なら意味ねぇだろ!」
——暴風をまとった巨大な拳が、女の子に降り下ろされる。
「危ない!」
エイリーが女の子に駆け寄る。
大男の視線だけが、小さくエイリーを捉える。
その瞬間、巨大な拳が急旋回するように、風のブーストを受けて——
「——ぐっ……!」
どぼん、と。
エイリーのお腹に、大砲のような一撃を入れた。
土嚢を殴り付けたような嫌な音が空気を震わす。
地面に向かって垂直に降り下ろされた拳は、エイリーを二回、固い地面でバウンドさせた。
「——エイリー!」
倒れたエイリーは、苦しそうに顔を歪めている。
「も、もうやめ——」
倒れたエイリーを見ながら女の子が叫ぶ。
だけどその言葉は、容赦なく彼女の顔面に入れられたローキックによってぶった切られた。
小さな女の子が、ボールみたいな勢いで吹っ飛んでいく。
「どいつもコイツも、うっとうしいなぁ! オイ!」
大男が癇癪を起こしたように叫ぶ。
大人の大声が怖い。
大男は、エイリーと女の子の髪を雑に掴んで持ち上げる。
女の子が暴力を振るわれている。
怖い。
泣きそうだ。
でも女の子が危ない。
女の子が。
女の子が危ない。
怖い。逃げたい。
今までの人生みたいに逃げたい。
女の子が。
酷い。
許せない。
怖い。
怖い、けど——それが何だ。
——ロリコンだろうが、俺は!
「おら、二人揃ってぶっ飛びやがれ——」
「——ぶっ飛ぶのはお前だよ」
気付けば目の前にあった大男の腹が、瞬きをした次の瞬間、青い空に高く打ち上がった。
両足がガチャガチャと獰猛に音をたてる。
「……よし。『操獣機巧【着】』、今日もバッチリだ」
まだいける。
もっとやれる。
この力が——エイリーの力がくれるのは、筋力だけじゃない。
何よりも俺に、勇気をくれる。
大男に対して、一歩前に出る勇気を——
「……っぐはっ!」
どさっ、と大きな音をたてて落ちてきた大男の背中に、静かに吐き捨てる。
「コルトゥーラ王国、コルトゥーラ王宮の姫、アルジェント・パーチェ——同盟国セーレットを脅かす悪を、排除します」
続く




