番外編 裏設定
「またダメだった!! ボツ!!」
裕子がガラケー相手に叫ぶ。
『難しいねぇ。やっぱり連載となると、ハードルは高いねぇ』
スピーカーからのんびり響く声は高校時代、同じ漫画サークルに所属していた友人、彩。
「今度こそ、いけるって思ったのに…………」
裕子は二十歳。高校二年の時に人気少女漫画雑誌『ティアラ』で佳作を受賞、以後担当がついて数本の読み切りを載せてもらい、いよいよ連載の話が出ているのだが、提出したネームはボツがつづいている。
理由は割と明確で裕子の場合、絵は問題なく華やかで繊細で、いかにも少女漫画らしいキラキラした雰囲気なのだが、ストーリーが面白くないのだ。
二次創作のような、もともと存在するストーリーを自分流に解釈して別の話を作り出すのはそこそこうまいが、一から作るオリジナルとなると途端にショボくなる。なんなら、その華やかな絵柄が却ってストーリーのショボさを引き立てているくらいだ。
ページ数の少ない読み切りでは定番パターンをトレースすることで、そのショボさをどうにか誤魔化していたが、長編となるとオリジナル要素で埋めなければならない部分が大幅に増えるため、ストーリーの足りなさが露呈してしまうのである。
『前から言ってるけどさぁ、向いてないんじゃない? 今のジャンル』
「やだぁ!」
裕子は子供のように叫ぶ。
「あたしはアイドル物をやりたいの!! 美形とか美少年がいっぱい出てくる、キラキラした芸能界で活躍する漫画を描きたいのよぉ――――!!」
『だって、それでずっとボツになってるじゃん』
彩の返事は容赦なかった。
『せっかく、あんな可愛いキラキラした絵が描けるんだからさ。普通に王道の、女の子がイケメンに愛される定番ラブストーリーを描けばいいじゃん。話も変にひねろうとしないでさ。『ティアラ』の雑誌カラー自体、男主人公はウケなさそうだし?』
「そうかもしんないけど…………けど、それじゃ嫌なの! あたしはイケメンをいっぱい描きたいの! 男の子が描きたいのよ、女の子じゃないのぉ!!」
ぼすぼすと自分のベッドの上で枕を殴る裕子に、ガラケーの向こうの彩が提案する。
『一人のヒロインが次々違ったイケメンと出会って惚れられる、逆ハーレム物にすればいいじゃん。それなら男いっぱい描けるし』
「そんなん…………」
『連載とりたいんでしょ? なら、それくらいの妥協はしたら? 百パーセント描きたいように描いて売れるなんて、売れてるプロでも無理でしょ。まずは自分の絵柄を活かせるストーリーからはじめて、人気が安定したら描きたい物を描けばいいじゃん』
「それは…………」
裕子は押し黙る。
彩が、そろそろ通話を切ろうかな、と思いはじめた頃、裕子がしぶしぶと訊ねてきた。
「あたしの絵柄を活かす話って、たとえば、どんなのよ」
『んー…………、ファンタジーとか?』
「ファンタジー?」
『正確には、お姫様物とか西洋物って言われるジャンル。アンタの絵はとにかく華やかで繊細で、きらきらしたドレスやアクセサリーのセンスも良くて映えるから、お姫様系はぴったりだと思うよ? いつの時代も、女の子に一定数うけるジャンルだしね。王女とか聖女のヒロインが、複数のカッコいいヒーローと出会ってモテるストーリーにすればいいじゃん』
「お姫様…………」
『そろそろいい? さっきも言ったけど、あたし明日バイトだから、もう寝たいの』
通話が切れる。
「お姫様…………西洋物、か」
裕子は真っ白なネーム用紙の前で、頬杖を突く。
正直、自分が心惹かれるジャンルではない。
でも、このままではにっちもさっちもいかないのも事実だった。
担当編集者からも「もっと『ティアラ』の読者を意識した、少女漫画らしい話を」と言われている。
「描きたいのはアイドルなのに…………」
ガリガリとシャーペンを無造作に動かす。
「それに西洋物っていっても、どこからとっかかればいいか…………せめて参考になるような話…………あっ」
はた、と気づいた。
「夢――――」
それは昔から見る夢だった。
裕子はちょっと不思議な特性というか特徴があり、子供の頃からくりかえし、似たような夢を見つづけている。
たいていが昔のヨーロッパみたいな場所で、文字どおりお姫様や王子様のような格好をした人達が話していたり、時には戦っていたりする夢だ。魔法っぽい光景や、ファンタジーっぽい人外や異形の生き物達が出てくることもある。
子供の頃は普通の夢と思っていたが、ある程度の年齢になると、それらの夢には共通して登場する人物がおり、世界設定や出来事があり、いわば昔のヨーロッパを舞台にした映画を数本、時系列などはめちゃくちゃに、断片的に見ているらしいことに気づいた。
「そういや、あの夢って王女とか聖女みたいなのが、よく出てきたような…………ちょっと、まとめてみるか…………」
いったんネーム用紙をひっこめ、裏が白いチラシを集めて、シャーペンで思い出せるままに単語や文章を並べていく。
時に横線を引いて消しながらも、三十分も経つと、複数のストーリーが浮かびあがった。
「うわあ…………こんなにあったんだ」
裕子は目をみはる。
かなり曖昧な夢もあったので断定はできないが、どうも十年以上かけて五、六本の夢を見てきたようだ。
「ええ…………なんだろう、この夢。いつもすごくリアルだったし、なんか意味ある? でもリアルのヨーロッパとは違いそうなんだよね、国の名前とか、検索しても出てこないし…………魔法がある時もあったりして、ゲームの異世界みたいな…………あ! ひょっとして、あたしの前世とか!? あたしって、前世では異世界の王女とか聖女だったのかも!! あ、でも、こんなにたくさん…………いや! 異世界で何度も聖女に生まれ変わってきた、選ばれし聖女の中の聖女とかかも!!」
二十歳の女子大生が人前でこれを口にすれば即、正気を疑われるだろう。
裕子だって他人の台詞なら「何言ってんの?」で終わったに違いない。
だが我が事となると別だった。
数十分間、真剣に思案するが、検証の術がない現実に思い至って、本題へと切り替える。
「よし! 思いきって、これを使っちゃおう!」
一からオリジナルのストーリーを作るのは、裕子にはハードルが高い。
が、既存の話をアレンジする二次創作なら、それなりに自信がある。
幸運なことに、裕子が見てきたこれらの夢は、聖女みたいな立場の少女が大勢に守られながら活躍するという、そのままでも漫画の題材にできそうな話ばかりだ。
これらの夢を少女漫画らしいテイストにアレンジすれば、イケるかもしれない。
「私の夢なら、元ネタがどうのと言われる心配もないし。さ、どれを使おっか?」
裕子は複数枚の裏紙とにらめっこする。
数日後。
担当編集者から連絡があった。
『山村さん? ネーム三本、拝見しました。すごいです!』
スピーカーごしの声はとても明るい。
『これです! 私が山村さんに求めていたのは!! すごく頑張ってくださったんですね! このネームに山村さんの絵がついたところ、めちゃくちゃ見たいです!!』
「本当ですか!?」
『編集長も、この路線でいこう、と。二本目の、祈りの乙女と悪役女王の話でいきましょう!』
「えーと、フェリシアとリーデルの話ですね?」
『はい。大筋はこれでいいので、細部についていくつかご相談したいので、あらためてお時間いただけますか?』
「はい!!」
裕子はガラケーを左手に、ボールペンを右手に持ち、スケジュール帳に打ち合わせの時間を記す。『ところで』と担当が話題を変えてきた。
『ペンネームですが、この「花宮愛歌」のままで大丈夫ですか?』
「はい! え、なにか問題ありますか?」
『問題というほどではないんですが…………あまり凝った名前にすると、あとから「もっとシンプルで良かった」と後悔される漫画家さんもいらっしゃるので』
「後悔しません!」
裕子は叫んでいた。
「ぶっちゃけ、あたし、自分の名前が嫌いで。『山村裕子』なんて、いかにも平凡で田舎っぽいし。『花宮愛歌』は、漫画家になれたら絶対に使おうって、何年もかけて考えた名前だから、絶対にこのペンネームがいいです!」
「そういうことでしたら」と、担当はやや勢いに呑まれた様子で了解し、通話を終える。
二年後。
『花宮さん、『聖なる乙女の祈りの伝説』の連載終了、ご苦労様です。それで、次も連載を前提のネームでお願いしたいんですが』
「同じ路線ですか?」
『そうですね。やっぱり、花宮さんの強みを活かせるジャンルだと思うので。以前いただいたネームに歌姫ヒロインがありましたが、あれは今いけますか? 聖なる花をよみがえらせるとか、少女漫画っぽい設定でいいと思うんですが』
「ローズマリーとシリウスの話ですか?」
数年後。
『花宮さん、新連載のネーム、ありがとうございました。それでですね。ネームは良かったんですが、編集長とも話し合った結果、やっぱり主人公を入れ替えよう、という話になって』
「どういうこと?」
『最近は「悪役令嬢」がブームですから。花宮さんにも是非、悪役令嬢を描いてもらいたい、という話になりまして』
「悪役令嬢…………」
『基本は今までの花宮さんの得意な、愛されヒロインで大丈夫です。ただ、今回も「平民の女の子が聖なる力に目覚めて~」という展開だと、前作のローズマリーやフェリシアとかぶりますし…………今回いただいたネームには、ちょうど王太子の婚約者の公爵令嬢がいますよね? 彼女を主人公にできないか、ご相談させていただきたいんです』
「セレスティナですか? 彼女は脇役ですけど?」
『問題ないです、花宮さんなら彼女を魅力的に描けると信じていますので』
スピーカーの向こうから気楽な笑い声が響く。
その夜。
「簡単に言ってくれて…………」
花宮愛歌こと山村裕子は先日、担当に送ったネームのコピーと、真新しいネーム用紙の両方を机にひろげてトントンとシャープペンの先で紙を叩く。
「セレスティナが悪役令嬢…………となると、本来のヒロインのアリシアは…………わかりやすく、ヒドインにしちゃうか? あー、可愛い良い子なのになー! 可哀想なアリシア! 彼女があたしの前世って言われたら、なんか納得できちゃうくらいなのに。えっと」
裕子はネーム用紙をどけ、チラシの白い裏に書き出していく。
「悪役令嬢ものなら、まず乙女ゲーム世界の中、という設定よね。で、単純に考えればセレスティナはレオポルドに婚約破棄されて、レオポルドはアリシアに心変わり…………夢では、セレスティナをとり戻すために皇国に攻め込むレベルの溺愛っぷりだったのになぁ。となると、セレスティナを助けるヒーローは、あとで駆け落ちする皇国の第三皇子か。んー、どっちもイケメンだけど…………皇子のほうが好みだから、こっちにしよう! よし。まずは悪役令嬢物らしく、レオポルドがセレスティナに『お前との婚約は破棄する!』と宣言するシーンからスタートして、レオポルドの隣にはアリシアがいて…………」
忙しくシャーペンを紙の上に走らせる。
「で、破棄されたあとは、アリシアの聖魔法をセレスティナが継ぐ、だっけ?」
これは担当編集者のアイディアだった。
セレスティナが、そのままだと主人公としてはインパクトに欠ける、という理由からだ。
「アリシアが『セレスティナに苛められた!』と濡れ衣を着せて、最終的にはセレスティナを殺そうとして、それで神様に聖魔法をとりあげられて、逆にセレスティナが心の気高さを認められて聖魔法を継いで…………あーごめんね、アリシア。夢では、貴族も平民も敵も味方も区別なく癒す、優しい聖女だったのにっ」
はあ、と肩を落とすが致し方ない。
プロともなれば、時にはプロットの大きな変更を余儀なくされることもあるのだ。
「セレスティナを助けて、溺愛する第三皇子…………うーん、モテが少ないな。最終的に結ばれるのが第三皇子としても、あと最低二人は主人公に惚れるイケメンがほしい。そうよ、セレスティナだって駆け落ちさえなければ、美人で賢くて気品も教養もある、気高い理想的な貴族のお姫様なんだし。第三皇子以外にも好きになる人がいたって…………あ、そうだ、教皇!!」
裕子のシャーペンがすらすら動く。
「レオポルドとアリシアによる暗殺計画がばれて断罪されたあと、セレスティナは聖魔法を継いで、皇子と一緒に皇国へ行って…………このあとは、夢のアリシアの行動をトレースすればいいか。隣国との戦争展開を入れて、セレスティナが敵味方の区別なく癒しの魔法を使ってあげて…………で、セレスティナの心清らかさ、気高さが評判となって聖女位を授与することになり、教皇と出会って、教皇がセレスティナに一目惚れ。そっから、教皇と第三皇子との三角関係!! よし、いける! 少女漫画っぽい!! あともう一人のイケメンは…………」
夜は更けていくが、シャーペンの動きはなかなか止まらない。
やがてあらすじが整い、シャーペンを置くと、裕子は伸びをしながら愚痴った。
「あー、これがヒットしたら、次こそアイドル物やりたい! てか絶対、描く! ずっとキャラ設定とか、使いたいエピソードとか描きためてきたんだから!! 今度こそ、イケメンによるアイドル物をやらせてもらう!!」
ガッツポーズを作ると、ふいに疑問がよぎった。
それにしてもこれらの夢は本当に、なんなのだろう。
最近はほとんど見なくなったが、ただの夢にしてはリアルで筋道が通っていて、どこかに実在する本物の異世界の光景と説明されても、信じてしまうだけの説得力がある。
(ひょっとして、あたし…………本当に異世界の、何度も聖女をやった選ばれし魂…………?)
どきどきしたが、仮にそうだとしても、今世はしがない中堅漫画家である。
目の前の仕事を片付けなければ、明日の食事が手に入らない。
裕子は新しく淹れたコーヒー片手に、仕上がったばかりの悪役令嬢物プロットを見直した。
思いつき、ネーム用紙の端にメモする。
『タイトル(仮) 婚約破棄されたけど、私は皇子に溺愛されている悪役令嬢です!』
このさらに数年後。
「構想十年!」のキャッチコピーと共に、花宮愛歌のアイドル物漫画の連載がはじまる。
裕子はアリシアの転生や前世ではありません。
実は裕子は、次元を越えるレベルの超強力な透視能力者で、子供の頃から夢という形で、いくつかの異世界を透視していました(本人は完全に無自覚)。
つまりこの話でいうと、アリシアが聖女になり、セレスティナが駆け落ちする展開こそが、この世界における正史であり、漫画のほうが改変されているのです。
この話に限らず、オレンジ方解石の書く異世界転生話は、だいたいこの「漫画(もしくは小説、ゲーム)のほうが間違っているよ!」精神で進んでいると考えれば、大丈夫です。
本当は最初の異世界転生話を書いた時点で作っていた設定ですが、書く機会がなく、今後もあるかわからないため、ここで使ってしまうことにしました。
なお、裕子は性格に少し癖のある人間です