13 夜空の下で
「……はあ」
日が暮れたため、野営で一晩休むことになったリンは、眠れずにこっそりとテントを抜け出し、たき火の側に腰を下ろした。
(何がなんだか……)
あまりに沢山のことが起こったせいで、頭がパンクしそうだった。つい半日前まで、レオとの別れを寂しがっていたというのに、今や聖女様と、レオとリンが婚姻を交わすための契約を持ち出されている。
(というか、別に、レオと結婚したいとか考えた事なんて……私どーせ嫁ぎ遅れだし……そもそもレオの好みから外れてるもん)
はあ、ともう1度溜息をついて、リンは夜空を見上げた。きらきらと星が輝くのをぼんやりと眺めていたリンは、のんびりとした声に我に返る。
「随分安全になったっつっても、夜は獣や夜盗もいる。ふらふらしねーほうがいいぞ」
顔を戻すと、レオがラフな格好で男性用のテントから出て来た。女性陣が強烈すぎて影は薄いが、馬車に乗り合わせていたウィリスと、外で馬を操っていた男性がもう1人、旅の供としているらしい。あれほど大量にいた騎士達や役人達は、別経路で向かっていると説明を受けていた。
「……ちょっと、衝撃の事実を整理したくて」
「うん、それはすげー分かる。でも、1人はやめとけよ。村じゃないんだからさ」
口では注意をしながらも、レオはリンの隣にすとんと腰を下ろす。リンに倣うように星を見上げて、小さく息をついた。リンはその横顔を見て、するりと本音がこぼれ落ちた。
「私、ついていって良いの?」
「リン?」
「私、何の取り柄もない村娘だし、勇者様と肩を並べられるものなんて、何も持ってないよ」
「……おれだって、この聖剣がなきゃただのガキさ」
軽く柄を叩く仕草が堂に入っていて、リンは顔を顰めた。
「うそばっかり」
「え?」
「聖剣だけで、戦えるわけないじゃない。レオが、頑張ったんでしょ」
「……」
魔物とはいえ、生き物を切り裂くだなんて、リンは食べる為以外ではやりたくない。例え聖剣がレオに奇跡の力を授けてくれても、実際にその力を使って戦うのは、レオ自身なのだ。
「レオが、父さんと母さんの仇を討ってくれたんでしょ。私が生きていられる世界を、救ってくれたんでしょ」
──ありがとう、助けてくれて。
「祝福」の時も捧げた感謝を、リン自身の言葉で告げる。火が爆ぜる音が、やけに響いた。
「……こっちこそ」
やがて、レオがぽつりと言った。
「ありがとう。……「祝福」の時も、嬉しかった」
リンに目を向けたレオは、困ったように眉を下げながら、嬉しそうに笑っていた。
「役人や騎士相手に、堂々と胸張って立ってたリンが、すっげー格好良くて、嬉しかった。……リンは、おれを勇者じゃなくて、レオだと忘れないでいてくれたんだ、ってさ」
「当たり前でしょ」
(良かった。ちゃんと、通じてた)
つんと顔を背けて素っ気なく言いながら、リンはそっと胸を撫で下ろした。それだけは、例えこの先会えなくなっても、ちゃんと伝えたかったのだ。
「リン」
「何?」
「……おれは、リンを巻き込むつもり、なかったんだ。リンには、あの平和な村で、穏やかに過ごして欲しかったから」
「……うん」
それは、分かっていた。「祝福」の時の言葉や、見送りの時に一言もかけてこなかった様子から、レオの意思表示は受けとっていた。
「でも、……欲が出た」
「え?」
レオの口から聞き慣れない言葉が出て来て、リンは首を傾げる。きょとんとした顔のリンを見るレオの目には、リンの知らない色の炎がちらついていた。
「フェリが、無茶苦茶言ってリンを連れてきちゃったから。……今から、帰れって言えない」
「……ばーか」
低い声でそんな事を言われて、思わずリンは笑った。虚を突かれたような顔をしたレオに、顰め面を作って指を突き付ける。
「言ったでしょ。あんたは、私が村に連れ帰るの」
「……」
「私は、言ったことはやるわよ」
アナスタシアが可能性を示した瞬間から、リンは心に決めていた。
レオを、村に帰してやる。両親の元へ戻して、そこからレオの人生を歩ませる。
それが出来るのだと、あの聖女様は大きなエサを、リンにぶら下げたのだ。だから、リンは逃げない。
「そっか」
レオが目を細めて笑う。リンはわざとらしく腕を組んで見せた。
「そうよ」
「リンらしい」
それきり、黙り込んだレオを、リンは暫く見つめていた。迷って、言いかけて、口を噤んで。それでも結局、不安は黙っていてくれなかった。
「……ねえ」
「ん?」
「……大丈夫、かな」
「……リン?」
リンの顔を覗き込もうとするレオの視線から逃れるようにして、リンは揃えた膝の間に顔を埋めた。
「私……母さん達みたいに、死んじゃわないかな」
「……」
「あはは……織物、売る時になんども旅をしたのにね……魔物が、怖いの」
あんまりにも突然に奪われた、肉親の命。亡骸を葬ったのは、リンの手で。だからこそ、魔物がどんな風に人間を傷付けるのか、リンは知っている。
「私、ただの村娘だから、魔物に見つかったら、あっという間に死んじゃうし。……あんたについていって、足手纏いじゃないかな、って」
それが分かっていたから、見送ったのだ。素っ頓狂な人達だったけれど、レオの側にいた彼女達は、誰もが自分の足で生きていくだけの、力と逞しさを持っていたから。
「だから。レオを連れ帰るって決めたけど……ちょっとだけ、不安もある」
それでも、あんまりレオに情けない顔を見せたくなくて、リンはあははっと笑って見せた。
「……以上、泣き言おわり! もう寝る、レオもそろそろ寝なさいよ」
レオがリンに付き合ってくれていたのは分かっているから、自分から切り出す。あまり遅くなっては、明日の旅に支障が出るだろう。
そう思って勢いを付けて立ち上がったリンは、ぐいと手を引っ張られて尻餅をついた。
「いたっ。ちょ、なにすんのよ──」
「大丈夫だ」
リンの言葉を遮る、低い声。聞き慣れないその響きに、リンは驚いて顔を上げた。
思ったよりも近くにあったレオの顔が、真剣な表情を浮かべている。
「大丈夫だよ、リン」
「は──」
「おれが、守る」
小さく笑って、レオはリンの頬をそっと撫でた。
「絶対に、守るよ。……おれ、リンが思うよりずっとずっと、強いんだ」
「れ、レオ?」
「リンが足引っ張るヒマなんてねーくらい、完璧に守ってやるから。安心しろって」
低く、言い聞かせるような声に、リンは体温が上がるのを感じた。硬直しているのを良いことに、レオがゆっくりと頬に触れる手を滑らせて、──リンの髪を、そっと掬い上げ、耳に掛ける。露わになった耳に、レオの声は良く聞こえた。
「……約束する」
囁くようにそう言われて──リンは、限界点を迎えた。
「い、いきなりなに言い出すのよ、馬鹿!」
「いてっ!?」
ポケットに入っていたものをべしっと顔に叩き付けて、リンは脱兎の如くその場を逃げ出した。テントに飛び込み、寝袋に潜り込む。
(馬鹿……レオのばか!!)
知らない。あんな、怖いのに綺麗な炎を宿した瞳も、熱を帯びた声も、頬に触れた硬い指の感触も。どれも、リンの知るレオとは、まるで別人だ。
自分が今、どんな顔をしているのかも分からないまま、リンはますます寝袋に潜り込んで、小声で吐きだした。
「これだから……!」
リンは、勇者がだいきらいだ。
だって勇者は、たった5年で、リンの知る幼馴染みを、別人に変えてしまったから。