第22話「悪癖」
「言い返さないんだ?」
「……そんなこと言われたら言い返せませんよ。俺は結局何も出来なかったんですから。多分これからも……」
「変わらない状況ってものはないのよ。楽になるか、辛くなるか。状況に差はあれど、人は人で在る限り必ず変わっていくんだから」
「でも俺は……」
「隼君を変えたものは何?」
「え?」
「この胸に根を下ろした罪悪感を増幅させて苦しませた原因ってものがあるでしょ?」
俺の胸に手を当てた彼女が篤実さを垣間見せる。花唇に微笑を携えるものだから、下手な言葉より圧し掛かるものがあった。
答えていいのだろうか。答えるべきなのだろうか。鼓動を早める心臓に彼女の熱が溶けていく。暫し絡む視線は俺の体温を上昇させた。
「何が俺をそうさせたか、チカさんは分かってるんですか?」
血潮が逆流しているような錯覚を覚える。呼吸が浅くなり、焦心が俺を占拠し始めていた。
「さぁ?」
挑むような眼差しが気に食わない。胸元に在る手を握るだけなのに俺の右手が震えていた。
逃げそうになる小鳥を捕まえるかのように、彼女の手を包み込む。振り払う素振りも見せないチカさんは、紛れも無い〝大人の女性〟だった。
「チカさんですよ。俺を変えたのはチカさんだ。貴女の正義感は俺の罪悪感を刺激するんですよ……!」
「ほら、変わらない状況なんてないでしょ?」
息を呑む。俺を解ったように語る彼女は、相変わらず正義感の塊だった。
「そう、ですね……」
「変われるよ。変わりたいって気持ちは、ずっと在ったんだから。ココでもう少し考えて、踏み出せる時に踏み出したらいいんだよ」
幼子に言い聞かせるような口振りが煩わしい。あからさまな〝子供扱い〟に俺の胸はざわついた。
恋心が疼くのは、俺という存在が彼女の中で何でもない存在だと分かってしまったからだ。哀しみよりも、やるせなさが勝る。口惜しさに唇を噛むも、彼女は俺の想いなど理解してくれなかった。
柔らかく俺の手を振り解いたかと思えば頭を撫でられる。彼女にとって、やはり己は諭すべき子供でしかないようだ。
そもそも彼女が、俺に優しくする意図が分からない。けれど、それでも良かった。今は、そんなことよりも彼女の傍に居られる資格が欲しい。
チカさんの傍に居る為ならば、現状を維持すればいいだけだ。意気地なしの俺のまま、ここに通い続ければいい。
しかし、それが正しいことでは無い限り、俺はずっと罪悪に苛まれたままなのだろう。自己嫌悪の末に好きな人と居たところで〝男〟として見て貰えるわけがない。
俺には新垣さんに勝てるような魅力はないのだ。彼に落ちなかった彼女の心を傾けるのは至難の業に思えた。
ならば、どうすればいいのだろう。今迄、恋をしたことのない俺は感情を持て余すだけで、いい案すら浮かばない。恋人になろう、などと思っていなかった筈なのに、身体が近くに在るだけで手を伸ばしてしまいたくなった。
激しいまでの情欲が肢体を占拠する。俺のものではないような四肢が彼女を襲ってしまいたいと叫んでいた。それを去なすのは僅かばかりの理性である。彼女に嫌われたくないと哭く心が、俺を、この場に引き止めていた。
――なんだ、簡単じゃん。
不意に浮かんだ思惟に、ほくそ笑む。彼女に見られないよう、それを胸裏に隠した俺は今迄と同じように笑った。
「そうですね。頑張ります」
「そう」
――チカさんの願いを叶えればいいんだ。
動機は不純だが俺は彼女に認められ、相田さんは助かる。愛の為なら何でも出来る気がした。
きっとこれは運命なのだ。偶然の出逢いは俺に一目惚れを齎し、人生を変えた。
チカさんのような清澄な人間になりたい。彼女のように正しさのまま行動したい。恐らく、それにはあらゆる困難を伴うものなのだろう。けれど、それをやり遂げれば認めて貰えるかもしれない。
そう思えば、怖いものはないような気がした。例えイジメられたとしても〝正義〟は俺だ。ずっと主張し続けていれば誰かの心を動かせるかもしれない。だって、チカさんは俺を動かしたのだから。




