第20話「悪徳」
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「登校は昨日だけ?」
呼び鈴を鳴らす。すぐさま開いた扉の先で、チカさんが笑っていた。揶揄するような口舌にも関わらず、その声音は優しい。何も答えない俺を室内へ誘った彼女は、本のある部屋へ行くように促した。
緘黙したまま廊下を歩む。チカさんの家に来なかったのは一日だけ。にも関わらず、懐かしさが込み上げた。見慣れた扉を開けば、本の匂いが鼻を突く。すっかり嗅ぎ慣れた紙の匂いは、俺の心を落ち着かせてくれた。
ベッドに寝転ぶとスプリングが軋む。真っ白な天井を意味もなく眺めていれば、扉の開く音が聞えた。
「寝てたの?」
「そう、ですね」
「そう。昨日は学校に行ってたんでしょ?」
「はい」
「隼君」
「はい」
「伊澄とキスしてるの見たんでしょ?」
意図しなかった質問に激しく咳き込む。慌てて身体を起こした俺は、口元に手を当て背を丸めた。伺うように彼女を見やれば、呆れたように笑っている。
「わっかりやすーい」
「しか、げほっ……! 仕方、ない、ゴホッ! ゴホッ……! じゃないですか!?」
「女の子と付き合ったことないの?」
「ないですよ!」
「今時の高校生なのに珍しいー」
扉を閉めた彼女がベッドに腰掛ける。僅かばかり身体が揺れ、人一人分の重量を示していた。
「なんで座るんですか?」
「座っちゃいけない?」
「……そんなことないですけど」
「ですけど?」
「……ッ……彼氏に怒られますよ!」
「彼氏なんていないけど?」
「え?」
目を剥いた俺が唖然とする。瞬きした彼女は噴出すると、悪戯っ子のような表情を浮かべた。
「彼は新垣伊澄っていうの。伊澄は幼馴染で……んー、昔お世話になったの。近所のお兄ちゃんみたいなもの」
「じゃあなんで……」
キス、という単語が恥ずかしくて口に出来ない。羞恥で緘黙すれば、彼女が「ああ」と告げた。
「なんでキスしてたかって?」
「恥ずかしくないんですか……」
「あれ見ておきながら私に初々しい反応を求めてんの?」
そう言われてしまうと何も言い返せない。話の続きを促せば、彼女は躊躇いなく口を開いた。
「お礼みたいなものなのよ」
「何の礼ですか」
「まぁ、色々とね。今でも定期的にココに寄っては世話を焼いてくの。そのお礼がアレ」
「チカさんは好きでもない人と、そんなことが出来るんですか?」
「体売ってるわけじゃないんだしいいじゃない。それに、そんな説教聞きたくなーい。そんなこと言う人は学校にでも行ってくださーい」
「意地の悪い人ですね」
「知ってる」
彼女は当たり前、とでも言いたげな口吻をしていたが、俺には到底理解出来ないと思った。
貞操観念というものは人それぞれなのだろう。俺は〝付き合ってもいないのに〟と思うが、彼女は、そう思わなかっただけの話だ。けれども好きな人が、そうだと些か渦巻くものがある。嫉妬心だったり、やるせなさだったり。そのどれもが無力な自分を責めるもので、俺は自身がどれだけ子供なのかを思い知った。




