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第二話

エイムが支度を済ませて高い塔の頂上へ行くと、雪が静かに降り積もる中、イーオは既に竜の姿で待っていた。特有の短い前足で白い鞘に収まったひと振りの刀を持っている。エイムはそれを受け取って背負うと、代わりに出来たての星を詰め込んだ籠をイーオに渡した。ふわりと甘い香りを発するそれに鼻をひくつかせながら、イーオが大事そうに籠を抱える。

「それは食べちゃだめよ」

わかってるよ、と言うように、長い首を伸ばしてエイムの頬に額を触れさせてきた。イーオの背に跨ってその首を撫でるとイーオはゆっくり翼を広げる。鎖で縛られ、醜く歪曲した骨を軋ませて黒い両翼で数度羽ばたき、塔の頂上から夜空へと飛び出した。

決して早く飛べるわけではなくとも、その翼はきちんと安定してエイムを乗せたまま空を翔ける。夜空高く上昇して行くと、視界の端々に過去にばら撒かれた星たちが輝いて見えた。エイムはその輝きに目を細めながら、イーオの首に掴まって頬に当たる刺さるように冷たい雪の感触を凌いだ。羽織ったローブのフードを深く被り直して冷たさから逃れる。

十分に高いところまで来ると、イーオは上昇を止める。ばさり、とゆるい羽音だけになったのでそれを察してエイムは瞬きを繰り返しながら夜空に目を細めた。

「始めましょうか」

雪の降る中、イーオの抱えた籠の中から金平糖の星を夜空に投げる。粉末にした竜の鱗を混ぜた糖蜜で作る金平糖は、夜空に放すと好き勝手に浮遊をはじめ、その星の寿命が尽きるまで夜空で淡い光を放ち続けるのだ。その輝きを見て、残された者たちは故人を偲び、悲しみを和らげる。星の寿命は約五百年。五百年後に何処かの夜空で砕けて散っていくまでキラキラと輝き、願いをかけられ、祈りを奉げられるのだ。

一つ一つ丁寧に空へ放っていき、今宵最後の星を見送ってエイムは賑やかになった夜空に白い息を吐いた。冷たく澄んだ空気の北の空は、この世界のどこよりも一等星々がよく見える。この付近にとどまる一粒もあれば、流れ星となって遠くの空へと飛んでいく一粒もあるだろう。それはもしかしたら金平糖に包まれた骨の、還りたい場所の上に広がる空を目指しているのかもしれない。

還りたい場所などと言われて、もう覚えていないほど昔から塔にいるエイムには思いつきもしないのだけれど。そういう場所があると言うのは、いったいどんな気持ちだろうか。星になっても見守りたい誰かがいるから、古の世の人々はこの星葬を思いついたのだと塔の書物で読んだ。

エイムは自分に置き換えてそれに想いを馳せる。自分だったら、どうだろうかと。エイムはきっと、ひっそりとあの塔で死ぬ。看取るものはイーオしかいないだろう。そして星になる。星になったらエイムは、塔の傍で輝こうと思うのだ。出来るだけ塔の窓から見える場所で、イーオからすぐに見つけられる場所で。エイムが見守ってやりたいと思うのはこの悠久を生きる、竜だけだ。好意を寄せて懐いているエイムがいなくなってしまったら、きっと暫くは寂しがって泣くに違いないから見えるところで瞬いてやるのだ。星でいられる間の五百年ではイーオには短い時間かもしれないが、それでも少しの慰めになればいい。竜の性質に忠実に、いつかイーオはエイムのことも過去にするはずだ。五百年もあれば、自分は彼の中で静かに過去になる。それでいい。その間少し見守ってやれればいい。それが、想いを伝えることができないエイムのイーオに対する精一杯の愛だった。

鎖の重みに触れる度に、咽喉につかえてしまう彼への秘めた恋心を星の光に代えて、いつか降り注いでやろう。眩しくて、その綺麗なエメラルド色の瞳を彼が細めるくらい。涙が、乾いて消えるくらい強く。

(赤い星が良い、きっと目立つわ)

叶わない恋の昇華方法に想いを馳せながら再び白い息を吐きだし、放った星の消えていった方向を眺めていたら、イーオが長い首を伸ばして見つめてきた。そのエメラルド色の瞳の中の案じるような淡い光に笑いかけてみせる。

「月に行こう」

その言葉だけで、イーオは黙って羽ばたきを強める。北の星の塔の、丁度真上に浮かぶ月。今は半月の形に切られたそれは、本来は大きくてまぁるい蜂蜜味のカステラだ。月は満月から七日ごとに切り分けて欠けさせるのが決まりだった。今日は丁度その周期で、半月から三日月に小さく切り分ける日。イーオの背でバランスを取りながら立ちあがったエイムが、背負った刀を白い鞘から抜いた。ふいに強い風が頬を撫で、被っていたフードが浚われて背に落ちる。すらりとした白銀の刃に星影が落ちて美しく、指で刃の側面を撫でると氷に触れているようだった。北の夜風と星の光を吸い込んで、雪の冷たさにしっとりと冷えた月からは美味しそうな蜂蜜と、バターと、バニラエッセンスの香りがする。

「三日月に切るのが一番難しいのよね」

落とさないでねと言いながら鱗を撫でると、イーオは承知したと尾を揺らすので安心して気合を入れ、エイムは刀を構える。トン、と軽やかにイーオの背を蹴って、月の方へと飛び出した。まるで舞いでも舞うかのように真っ白な衣を揺らしてエイムが閃かせた刃の太刀筋は、正確で美しい弧を描いてカステラの月を切り分ける。浮力を失って堕ちていくかけらは、旋回したイーオが見事にキャッチした。そして、かけらと同じように落下していくエイムも、もちろんその背で受け止める。

「あぁ、ほら、ちょっとずれた」

仰向けに寝転がるようにイーオの背に落ちたエイムが、三日月の切り口を見て気に入らない様子で舌打ちする。イーオが獣がそうするように、ぐるぐると咽喉を鳴らしている音が聞こえた。その短い前足に、金平糖を入れていた籠に入った月のかけらを大切そうに持っていた。

塔に戻った一人と一匹は、すぐに暖炉に火をくべて冷えた身体を温めた。暖炉の前に座ったエイムの、少女の華奢すぎる身体を後ろから抱きしめるように毛布を被ったイーオが囲う。エイムはイーオの体温を感じながら入れたばかりのミルクティーを飲みながら、さらに小さく切り分けた月のかけらを齧っていた。

「エイム、さっき寂しそうな顔してた」

イーオが静かに、話し始めたのにエイムはそうだった?ととぼけた。情けない顔をしていたのを見られていたようだ、とエイムは内心で苦笑する。視線を泳がせると、広い窓から星の瞬きが見えた。イーオはそうだったよ、と言いながら頬擦りをするようにエイムの頭に体重をかけてきた。

「エイムは、寂しいのか」

尋ねていると言うよりは独りごとの様なつぶやきを落としてくるイーオに、エイムは少しだけ何も答えずに沈黙した。寂しいのだろうか自分はと自問してみる。叶わない恋に、寂しいと嘆いていたのだろうか確かにそうかもしれない、告げられずに死んでいくしかない、星になって見守ることに救いを見いだす自分の未来を思えば正直少しだけ寂しい。けれど今イーオの体温を傍で感じて、届かなくとも想うことは許されている現状に、寂しさはない。

「寂しくは、ないよ」

ゆっくりと窓から手の中のカップに入った優しい色のミルクティに視線を落とした。暖炉の炎と、イーオの体温と。それから舌に残った月のかけらの甘みで引き結んでいたはずの口が緩くなっているのを感じる。

「あなたがいるから、寂しくはない」

これくらいなら許されるだろうかと意を決して告げると、ピクリとエイムを抱きしめるイーオの肩が揺れた。そう言う反応はすぐにわかる。纏う鎖が微かな動きにも揺れて音を立てるからだ。イーオは何も言わない。だからエイムは、言葉を続けられた。

「たまに星が遠くに飛ぶでしょ?あぁ、行きたい場所があるんだな、と思う。星になっても少しは自由に動けるんだなって」

安心する。好きな場所で輝けるなら、自分も星になった時に塔の傍を陣取ることが可能だろうと、そんな風に。そこまでをイーオに伝えてもいいものか、どこまでが明かしていい想いなのか。口は緩くなっていたが理性的な思考は働いていた。それに悩んで言葉を切っていると、ふいに擦り寄ったイーオの体温が少しだけ離れたのを感じた。

「……エイムは」

「なに?」

消え入りそうな声で呼ばれて、首を捻ってイーオの顔を見た。

「星になりたい?」

眉を下げた彼の、その顔の頼りなさに驚く。

「いつかは、私も星になるよ?」

イーオの問いへの答えではなかったが真実を告げると、彼はますます眉を下げて閉じ込めるような腕の力が緩んでしまう。

「ならないで」

「無茶言わないで、私だって何時か死ぬ」

「だめだ」

「どうにもならないことよ」

「なる」

イーオの人の姿になると少しだけ色の落ち着くエメラルド色の瞳が、暖炉の炎を映して仄暗く揺らいだ。

「なるよ、エイム。お前は星にはなれない」

竜は嘘をつけない生き物だ。その生き物がここまで断言をするものだから、エイムは自分の方が嘘を言っている様な気持になった。イーオの瞳はどこか仄暗かったが、真っ直ぐだ。逸らされないその視線に不安になる。エイムは人だ。人だからいつか死ぬのは当たり前だ。いつか必ず、この身は星になる。何故そんな当たり前な真実を否定されなければならないのだろうか。

「なんで、そんなことあなたが言うの」

じ、と見つめると、イーオは静かにエイムの手の中からミルクティーの入ったカップを奪って、飲みほした。

「俺が」

空になったカップを床に置いてから、重たい鎖を揺らしながら両掌でエイムの頬を包んで鼻先を擦り合わせてくる。為すがままのエイムが、まるで口づけをするような距離にまで近づいたイーオを見つめて言葉の続きを待った。心臓が、ときめきとは別の高鳴りを見せる。

「俺がエイムの時間を止めたいから」


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