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護る為に退場しなくてはいけない。

世の受験生と同じように、学校に塾にと忙しい桐生敦が、それでも何とか数時間の空きを生み出して行う、休日の楽しみというものが、たった一つだけあった。

絶対に直接会う訳にはいかない、大切な家族と会話を楽しむこと。近況を伝え合ったり、母からの体の心配や、姉や妹からの下世話な話、弟には苦手だという科目を教えてあげるという、普通の家族でもあるような

、至って普通な会話。それが、お互いの家のどちらからかに集まって直接するのではなく、スカイプごしに行っていることを除けば、ではあるが。


桐生敦は、警察からも重視される規模を持ったやくざの、親分の息子だった。

借金の方に愛人となることを強要され、やくざの子供を四人も産んでしまった女の、真ん中の子。

もちろん、やくざの家に生まれたという正妻が居る以上、嫌々愛人にされたような女がでしゃばるなど出来ることではなく、借金の代わりにと決めていた年月を過ぎれば母親はあっさりと関係を切って、誰とも関係のない土地へと逃げたのだ。やくざとの間に嫌々作った子供など置いていけばいいものを、しっかりと四人の子供を連れて。

そこで敦の人生は、普通になるのだとばかり思っていた。

でも、この世界はそんなにも優しくはなかった。


敦が高校受験の準備を始めていた頃、父親が敦を引き取ると言い出したのだ。

原因は、どれだけ待っても正妻に子供が出来なかったこと。

どうしても跡継ぎが欲しいと、父親は正妻の同意を得て、名門の進学校に推薦で入れる程度には成績が優秀だった敦を引き取る話を作ってきた。


それは、お願いではなかった。

頼む、と口にしながらも、来なければ大変なことになると告げていた。


だから敦は、再婚して幸せそうに笑う母親の為に、恋人が出来たと喜んでいた姉の為に、まだまだ将来の長い弟妹の為に、敦はやくざの息子になることを同意した。


学生生活の間は困るだろう。やくざと縁の深く協力を承諾した、とある中小企業の社長の息子ということにして、敦は今通っている学校に入学した。進学校だし、名門だし、何より将来の為に顔を売るには丁度いい学園だった。

にこやかな笑いの下に、本心を隠す。

それでも品行方正で成績優秀という姿を作りながら、影ではやくざの片鱗のようなものを見せ付ける。そうしなければ、父親は敦を切り捨て、今度は弟を巻き込もうとするかも知れないと思ったからだ。

やくざを継ぐ者らしい一面を知らしめ、跡継ぎは俺以外にいないと、身を挺して主張しておく。愛情ではなく、長く続いた家を終わらせまいとする義務感だけが、父親の目に敦を映させているのだ。その義務を果たせないとなれば、敦など早々に見切りをつけられる。


そんな生活の中、敦は思いもよらない再会をした。


一つだけしか年の違わない、兄を兄とも思っていない生意気な妹と一番仲の良かった親友。

敦も、何度も何度も遊びや遠出に付き合わされ、妹同然だった少女。

大人しめで、おっとりとした感じの市原美咲、あの子が妹の親友だとは今でも信じられない。それくらい、妹は真逆の性格をしている子だった。

その子が、一つ下の学年に在籍しているなど、一年間同じ学校内に居たのだと、この春まで気づくことが無かった。それだけ、周りとはあまり深く付き合おうとはせず、学校内での繋がりを作ろうとはしなかったということだと、自分でも冷静過ぎると思う程度に考察した。

彼女の存在に気づいた理由は、彼女の周りに学園内でも目立つ男達が関わるようになり、甲高い声で醜い一面を隠そうともせずに囀る女生徒達の言葉を耳にしたからだった。


あの生意気な女。

庶民のくせに。市原なんて家、聞いたこともない。

なんで、先輩が『美咲』なんて呼んでいるの?下の名前で呼ぶなんて、そんなの…。


聞き覚えのある名前に、敦は耳を疑った。

そして、妹にメールをして聞きだした。

その名前が、確かに彼女なのだと知った。

してはいけない。そう分かっていても、一目顔が見たくて彼女がよく居るという場所に顔を覗かせたのは駄目だった。

彼女に見つかり、嬉しそうに笑いかけられ、"敦お兄ちゃん"なんて昔のままに呼びかけられれば、笑顔を見せて返事をせずにはいられない。


人の目があるところで俺の名前を呼んではいけない。知り合いだと知られてもいけない。


そう言い聞かせ、秘かに人目の無いところでだけ会うことにした。

それは敦の弱さだった。

彼女とは何の関係もない、と貫き通さなくてはいけなかったのだ。


誰にも知られていない筈だった。

細心の注意を張り巡らせ、誰にも知られていない逢瀬だった。

なのに…。


「もしも、貴方がこれ以上、私の平穏な学生生活を脅かすというのなら、私はこれら全てを一括りにして提訴します。証拠はまだ集めきれていませんから、皆さんが腕の良い弁護士を雇うのならばどうなるかは分かりません。でも私には勝とうが負けようが、どちらでもいいのですよ。マスコミは喰いつくでしょうね。昨今の流行の、イジメ問題。しかも、舞台はお金持ちが多数所属する名門校。」

敦に忠告に来たのだ、と彼女、前橋彰子は綺麗に整った笑いを浮かべてみせた。

それは、前橋彰子がよく居るという図書室でのこと。

人気のないそこは、敦にとっても絶好の休息の場所だった。

それを言葉にしてみれば、それまでかち合うことが無かった、ということが不思議な程だったが、敦は前橋彰子と図書室で遭遇したことは無かった。


だが、今まさに敦が行っているある謀には丁度いい、と敦はわざと近くも遠くもない距離を保って席についた。


敦が罠に嵌めようとしていたのだが、罠に嵌まったのは敦の方だった。

前橋彰子は敦を待っていたのだ。

彼がしている事をしっかりと知っていた前橋彰子は、敦に釘を差しにきた。

だが、彼女の話すその内容は、敦にとって何の痛手にもならないものだった。敦が直接、彼女に危害を加えたことはない。

だから、敦は鼻で笑ってみせた。

「悪いけど、僕は何もしていないよ。何かを勘違いしているのなら…」

「最近は動画サイトを通じて海外セレブの令息達が、馬鹿げた事件を起こしていますから。なんでしたっけ、"金持ちの罪"でしたっけ?全てはお金持ちに生まれてしまったからこそ起こしてしまった罪なのだと、裁判所が判決を出したんですって。そんな中で、日本の有名処の令息、令嬢が通う学園での話題とあらば

マスコミは根掘り葉掘り、学園の内情をアリクイのように舌を伸ばして探るでしょう。そして、気づくかも知れませんね。有名な裏の御方の御子息が、身分を隠して通っていらっしゃる、と。」

前橋彰子は敦の、取り繕った苦笑から放つ言葉を遮り、美しく作りあげた笑顔を真っ直ぐに敦へと向けた。

声を失い、ただ彼女の言葉の続きを待つしか、敦には出来なかった。


「このご時勢です。裏との繋がりなんて、導火線に火のついている爆弾でしかありません。学園は糾弾されるでしょう。そんな輩を受け入れているのか、と。自分達から目を逸らさせる為に、それを知っていて御子息達を通わせる親御さん達は、こぞって"どういうことだ"と学園を糾弾する姿勢を見せると思いません?騒ぎは大きくなり、マスコミは執念のように裏の御方の御子息の写真を得る。未成年ですもの、目にはしっかりとモザイクを入れてくれるとは思いますが、分かる人には分かること。彼が護る為に隠している繋がりも見つけ出し、悲しい思いをすることになるでしょうね、お母様にお姉さま、妹様、弟様が。」


「てめぇ」


目つきを変え、声も低め、父親の下に引き取られてからは見慣れた裏の顔というものを作って、凄む。

だが、前橋彰子は何処吹く風と、平然のそれを受け止めて笑っていた。

「再婚相手はご理解のある方のようですが、そのご親族、会社の方々、ご近所の方々はどうでしょう。お姉様は大学で多くの御友人に囲まれ、恋人も居て、幸せな生活を過ごしておいでですね。そうそう、教職も取っているとか。妹様も弟様も、素晴らしい進路希望なようで…。」

それは敦も恐れていたことだった。

だから、敦は直接家族に会うような真似はしなかった。

なのに、どうしてこの女は知っているのか。

「ご安心下さい。貴方が手を尽くされて隠されたのは、とても完璧でした。前橋が懇意にしている調査会社でも、辿り着くことが出来なかった。でも、私は知っているんです。」


もしも、敦が前橋彰子の心の内を知ることが出来たのなら、その秘密を暴くことは出来ただろう。

敦の完璧に隠した家族を何故知っているのか。

それは彰子にとっては簡単なことだった。

ゲームの攻略上で敦の秘密は、市原美咲というヒロインによって全て暴かれてしまうのだから。

攻略サイトを見てまで全てのスチルを回収し、ルートを回収した記憶のある彰子には敦の秘密で知らないことはなかった。

ただ、それだけのことだ。


「それで、お前は俺に何をさせるつもりだ?」

敦の秘密を握り、微笑んでみせている前橋彰子が何をさせようと考え、こうして脅してくるのか。

敦は固唾を呑んだ。

「何も?」

「はっ?」

「あぁ、私が貴方を脅しているとか、そんな事を思っていらっしゃるのですか?そんな事、怖くて出来ませんよ。脅迫罪なんて、学生が背負うには重い罪です。私が口にしたのは一般論。こうだったなら、こうなるなだろうなぁという仮説みたいなものです。ですから、独り言を捨て置いて下さって構いませんよ?」

敦は彰子を睨みつけた。

先ほどは効かなかったそれだったが、今度のは少しは効果があったようだった。

前橋彰子は溜息を一つ吐いて、敦の疑問に答えた。


「だから、何もしないで下さい。貴方が、私に絡んでくる杜朋翠子や柚貴による騒動を利用して、市原美咲に集まっていた不穏な視線を逸らしてしまおうと考えているのは知っています。ですから、それを止めて下さい。市原美咲に関してはどうしろなんて私には言うことは出来ませんが、私に矛先を向けるよう仕向けるのを止めて下されば、私は何もしない、口も開きません。そう、お約束いたしましょう。」


敦は、自分が女生徒から熱い視線を向けられる人間だと知っている。

そうなるように仕向けてもいた。

だから、それを利用していたのだ。美咲に関わろうとする、人目を集める部類に入る生徒達。その状況を許すことが出来ず、醜さを露にする女生徒達。そんな彼女達に近づき、言葉巧みにその矛先を、もう一人の女生徒達の負の感情を帯びた注目を集める女生徒、杜朋翠子に向け、そして翠子が起こした騒動の中心で飄々とした顔でいた彰子へと流した。

面白いことに、敦の思惑通りに美咲への被害は減った。予想以上だったのは、学園中が前橋彰子を敵視するようになったことだった。

それについては、申し訳なくは思っていた。


だが、そんな風に申し訳なく思ったことも後悔する程に、目の前に座って笑っている前橋彰子は冷たい目をして、敦の答えを待っていた。

その目を、敦は見た事があった。

父親の部下の仕事に、見学してこいを連れて行かされた時のこと。

それは闇金に手を出し首が回らなくなった男の家だった。

その家の、泣きも笑いもしない不気味な程に大人しい子供が、同じ様な熱のない目をしていたな、と思い出した。底の知れない冷たく、不気味な目。

前橋という名の知れた家へ、噂によれば同じ名家である杜朋家から養子に入ったのだという娘が、するような目ではない。

調べてみるか、と弱みを握り返してやろうかと思いもしたが、そんな目をするような奴を家の内情を使って脅してみても効果は薄いということも、敦は知っていた。死ぬ事も恐れていない、虚無を抱えた人間を脅す材料など、まだ人生経験の薄い敦には思いつきもしなかった。


「分かった。手は引く。その代わり、家族のこと、美咲のことを口外にすれば、俺は一番苦しむような方法でお前を殺す。」

「まぁ、怖い。そうならないよう、お互い気をつけましょうね?」


でも、そんな事を軽々しく言ってはいけないわ。

貴方は大切な家族を"加害者の家族"にしたいの?


精一杯の脅し文句でさえ、彼女には効果は無かった。



せめて嫌味くらいは、と図書室で顔を合わせる度にわざと近くの席に座り、言葉の応酬をする。

その全てが彼女には一切の効果ももたらすことが出来ないが。

何となく、その応酬が最近楽しいような気がしてきたのは、勘違いと捨て去った方がいいものなのか、どうなのか。迷うところだった。


前橋彰子は、学園で起こる全ての騒動を『舞台』と言う時がある。

そして、自分に危害をもたらした者に引導を渡す際には、『退場』という言葉を使う。

その言葉を使わせてもらうのならば、俺はもう『舞台から退場した』存在となった。



世間の目から家族を護る為に、桐生敦は舞台から退場した。

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