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第十話 始まりの稽古

威厳を放つ男――フレッドは、訓練場のざわめきの中を静かに歩み寄った。高身長のその影が伸びると、ニャンピンガは自然と見上げる。風が彼のマントを揺らし、周囲の空気が一瞬引き締まった。


「何事だ」


フレッドの声は低く、命令にも似ていた。団員の一人が慌てて指をさし、言葉を続ける。

「フレッド様……!こ、こいつが急に殴りかかってきて……!」


ニャンピンガは俯き、顔をしかめる。言葉は出ない。胸の奥でまだ熱が燃えているが、外へ出す言葉はなかった。フレッドは静かに訊ねる。


「それは誠か?」


ニャンピンガは拳をぎゅっと握りしめ、ゆっくりと顔を上げた。瞳は揺るがない。

「ああ……本当だ」


フレッドは短く頷き、冷静に命じた。

「気絶している者を白魔道院まで連れて行け。君はここに残りなさい」


「はい……!」


団員は気絶した仲間を背負い、慌ただしく去って行った。訓練場に残されたのは、汗と緊張と、少しの後味の悪さだけだった。ニャンピンガは静かに佇む。背中を見送ったフレッドが、ゆっくりとこちらを向き直る。


「着いて来なさい」


ニャンピンガは一瞬、訝しげに目を細めたが、従って歩き出した。歩みは短く、無言のまま二人は訓練場の端へ向かう。すると、空気がひんやりと変わり、視界が揺れた。


「……!?」


気づくと、二人は木々に囲まれた森の中に立っていた。葉の匂い、湿った土の匂い、遠くで小鳥が鳴く。訓練場の喧騒は消え、ここだけが別世界のように静かだった。


「ここは森か……?」

ニャンピンガが呟くと、低い声が答えた。


「そうだ」


フレッドはゆっくりと姿を現す。ニャンピンガは身構え、問い返す。

「オレをどうするつもりだ……」


フレッドは魔法で剣を出現させた。刃は使い古されているが、手入れが行き届き、柄には小さな刻印が刻まれている。フレッドはその剣を軽く投げ、ニャンピンガは反射で受け取った。刃の冷たさが掌に伝わる。


「さあ、構えよ。剣技を学びたいのだろう?」


ニャンピンガは驚きで声を上げる。

「何でそれを……!」


フレッドは静かに言った。

「お前の目を見れば分かる。行くぞ」


その一言で、稽古が始まった。


―――


「はぁ……はぁ……」


気づけばニャンピンガは地面に倒れていた。胸は激しく上下し、全身が痛む。先ほどの出来事を反芻する。


―――


最初の一撃は、あまりにも速かった。フレッドの動きは無駄がなく、距離の詰め方、角度の変化、重心の移し方――すべてが教科書のように正確だ。ニャンピンガは剣を構え、必死に受け止めようとするが、フレッドの一振りで背中を地面に叩きつけられた。痛みが全身に走る。


(何が起こった……?)


立ち上がる間もなく、フレッドは既に次の間合いにいる。ニャンピンガが剣を振ると、フレッドは一瞬で姿を消し、別の角度から刃を受け止める。幻のように見えるその速さに、ニャンピンガは何度も地面に叩きつけられた。木の根に膝を打ち、土の匂いが鼻を突く。息は荒く、胸は焼けるように痛む。


「その程度では魔法騎士団に入るには程遠いぞ!君はその程度の覚悟で魔法騎士を目指しているのか!」


フレッドの声が森に響く。ニャンピンガは一瞬怯むが、すぐに顔を上げる。怒りと悲しみが混ざった声で叫んだ。


「違ぇ!オレの覚悟はこんなもんじゃねぇ!」


フレッドは短く笑ったように見せ、しかしすぐに真剣な表情に戻る。二人の間に流れるのは、師と弟子のような、あるいは試金石と試される者のような緊張だった。フレッドは時折、ニャンピンガの動きを崩すために角度を変え、間合いを狂わせる。ニャンピンガはそのたびに体を打ち付けられ、しかし立ち上がる。


――「いや……まだだ……!」

――「まだ……やれる……!」

――「もう一度やらせてください……!」


声は次第に震え、足はふらつく。フレッドは受け止め、時折厳しい言葉を投げる。だが、その言葉の裏には冷徹な評価と、どこかしらの期待が混じっているようにも感じられた。ニャンピンガは家族の顔を思い出し、仲間の笑い声を反芻し、拳を握りしめるたびにもう一度立ち上がった。


何度目かの衝撃で、ニャンピンガはついに膝をつき、倒れ込んだ。


―――


そして今に至る。

全身が痺れ、視界が滲む。木漏れ日が揺れ、世界がゆっくりと回る。フレッドは剣を収め、静かに言った。


「今日はここまでだ。その剣はお前に預ける。明日も来い」


その言葉は命令であり、約束でもあった。フレッドは魔法でニャンピンガを訓練場へと戻す。


―――


訓練場の地面に横たわるニャンピンガは、夕焼けに染まる空をぼんやりと見上げた。体の痛みと、心の高揚が混ざり合う。筋肉は悲鳴を上げ、呼吸は荒いが、胸の中には確かな手応えが残っている。


「おーい、ニャンピンガくーん!」


ネモの明るい声が響き、駆け寄ってくる。彼女は訓練場に寝転ぶニャンピンガを見つけ、心配そうに呼びかけた。

「ニャンピンガ君!起きて!そろそろ帰らないと!」


「ああ……」


ニャンピンガは精一杯の力で起き上がる。ネモは彼の疲労した顔を見て、驚きと称賛が混じった声を上げた。

「すごく疲れてるね……この一日で本当に頑張ったんだね」


ニャンピンガは気だるげに答える。

「何かさ……魔法騎士団の……多分だけど……偉い人に、すっっっげぇジゴかれたんだわ。この剣もその人からもらった」


ネモは飛び跳ねる。

「ええ……!すごいよ……!偉い人ってことはすごく強い人なんだよ……!しかもその剣、手入れが行き届いてる……」


「はあ……!?だからすんげぇシゴかれたんだってばっ……!」

ニャンピンガは反抗するが、ネモは微笑んで言う。


「きっとニャンピンガ君を応援してくれている人なんだよ」


ネモの明るく優しい声に、ニャンピンガは小さく呟いた。

「そうだな……」


ニャンピンガは剣の柄を撫でる。刃の縁に残る擦り傷が、今日の稽古の証のように見えた。疲労の中に、誇りが混じる。


―――


帰り道、二人はゆっくりと養護施設へ向かって歩いた。夕暮れの空が二人を包む。ネモがぽつりと切り出す。


「ニャンピンガ君……」


「何だ?」


「ニャンピンガ君の家族と仲間のことなんだけど……」


ニャンピンガは足を止め、顔を上げる。胸の奥がざわつく。

「……!?」


ネモは少し間を置いて続けた。声は優しく、しかし確かな情報を伝える口調だった。

「リーベ団長が、君の家族と仲間の遺体を回収してくれたんだって。保存魔法をかけてあるから、腐ることはないって。安心していいって言ってたよ」


その言葉が、ニャンピンガの体から力を抜いた。膝から崩れ落ち、地面に座り込む。


「ニャンピンガ君……!?」

ネモは驚いて駆け寄る。


ニャンピンガは胸の中で固く結ばれていた不安がほどけ、涙が頬を伝う。震える声で呟いた。


「よかった……みんな……よかった……」


ネモはそっとしゃがみ込み、微笑んだ。

「お墓を作ってくれるらしいから、今度一緒に行こうね……」


夕焼けが二人を柔らかく照らした。ニャンピンガは剣を膝に抱え、静かに空を見上げる。疲労と安堵と、これからの決意が混ざり合っていた。


―――


その夜、魔法騎士団本部の一室。

魔法騎士団員フレッド・トラディメントはソファに腰掛け、向かいに座る人物と話していた。部屋は重厚な調度で満たされ、窓の外には城の灯りが瞬いている。フレッドの表情は普段の冷徹さを保ちながらも、どこか思案めいた色を帯びている。


「君に頼まれた通り、あの少年に稽古を付けたぞ」


「― ―――」

向かいの人物は静かに問いかける。


フレッドは眉を寄せる。

「いつまで私が彼の稽古を付ければいいのだ?」


「―――」

相手の声は冷静だ。


フレッドは反応する。

「何……『魔法騎士になるまで』だと?」


フレッドの視線が鋭くなる。

「君も分かっているだろう?聖騎士パラディンは多忙を極める身だ」


「―― ―――」


だが、相手の言葉には国王カウワードの意向が含まれているらしい。相手はさらに言葉を重ねる。フレッドは一瞬黙り、やがて吐き捨てるように言った。


「彼の力は計り知れなかった。殴打した団員の一人は“頬骨骨折(きょうこつこっせつ)”、もう一人は“上顎(じょうがく)下顎骨折(かがくこっせつ)”、“頸椎骨折”だ」


「それに―私が与えた“剣に適応してみせた”。驚くべきことだ」


「――――――――」

相手は続ける。


フレッドは短く笑い、立ち上がる。

「フッ……確かに、私なら彼を魔法騎士にすることなど造作もない。よかろう。彼を一ヶ月で入団試験に合格させてやろう」


フレッドは部屋を出る直前、窓の外を一瞥した。城の灯りが遠くに揺れる。彼の口元に、わずかに含みのある言葉が漏れた。

「それが王の命だと言うのなら……」


廊下に出たフレッドの背中は、どこか重責を帯びていた。彼は既に計画を練り始めている。ニャンピンガの未来を、そしてその先にある試練を、冷徹に見据えていた。

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