前とは違う女の子
「良かったら、私と鬼ごっこしてみませんか。昌晃さんが鬼で私が逃げる役って事で」
「僕と君の二人だけでやるって事?」
「そうですよ。私とお兄さんはちょっと前に鬼ごっこみたいなことをして私が逃げ切ったんですよ。璃々とは体力的には私に勝てないから勝負にならないし、お兄さんよりも強そうな昌晃さんとやってみたいなって思ったんですけど、どうですか?」
「別に僕は構わないけどさ、将浩君たちはそれでいいの?」
「ああ、残念ながら俺も璃々も美桜ちゃんから逃げ続けることも捕まえることも出来そうにないんだよ。でも、昌晃君ならチャンスがあるんじゃないかなって思うんだけど、やってみるかい?」
「そうだね。場所によっては僕にもチャンスがあるかもしれないね。かくれんぼじゃなくて鬼ごっこで良いんだよね?」
「私はかくれんぼでもいいですけど、鬼ごっこの方が楽しいかなって思うんですよ。ほら、隠れて待つよりも追いかけられた方が楽しいじゃないですか」
「そうだね。そうかもしれないね。それじゃ、簡単に捕まらないようにちゃんと逃げてね」
いくら広い部屋だからと言って俺の部屋で鬼ごっこをするわけにもいかず、噴水がある中庭で鬼ごっこを行うことになった。噂を聞きつけた伸一さんとメイドのみんなも見に来ているのだけれど、綾乃は昼寝をしているという事で中庭にはやってこなかったのだ。
「今日も楽しそうな事をしているね。聞いた話によると、将浩君はあの女の子を捕まえることが出来なかったみたいだね。気味で捕まえられないんだったら僕でも無理なんだろうけど、昌晃君はどうなんだろうね。彼って二年生が攻めてきたって時にみんなを守るために盾になったって聞いたし、少しは期待出来るのかもね」
「どうでしょうね。ただ、俺よりはいい線行くと思いますよ」
俺には捕まえることが出来なかった美桜ちゃんではあるが、昌晃君なら何とかしてくれるような予感があった。あの時とは違って胸を直接見るとかそういうご褒美はないのだけれど、昌晃君ならやってくれるのではないかという期待を抱かせる何かがあるのだった。
「将浩さんと違って昌晃さんはこういった場面になれているような気がしますよ。あの時も感じたのですが、昌晃さんは自分からというよりも相手に合わせて動きを変えて対応するタイプだと思います。フランソワーズみたいに自分から局面を打開するのではなく、私のように相手と状況に合わせて動きを変える感じだと思いますよ。もしかしたら、この勝負はあっという間についちゃうかもしれないですね」
急に解説してきたジェニファーさんに驚きはしたものの、二人が噴水を挟んで対面して鬼ごっこが始まろうとしていた。ルールはいたって簡単で、制限時間五分の間に美桜ちゃんを捕まえることが出来れば昌晃君の勝ちで逃げ切れば美桜ちゃんの勝ちというものだ。俺は美桜ちゃんの人間離れした素早さを知っているので昌晃君に勝ち目はないと思っているのだが、それは他のみんなも同じように思っていた。ただ、ジェニファーさんだけは昌晃君が勝つと信じているようだった。
「なんでジェニファーさんは昌晃君が勝つと思うんですか?」
「なんでって言われましても。逆に、なんで皆さんは昌晃さんが負けると思ってるんですか?」
「だって、俺は美桜ちゃんのすばしっこさを知ってるから。早いだけじゃなくて相手の動きも読んで常に死角に入り続ける姿を知ってるから」
「そう言うもんなんですかね。他の皆さんも大体同じ意見みたいですけど、その考えを改めた方が良いって今からわかるかも。見ててくださいよ、ただ単純に最短距離で近づいているようにしか見えない昌晃さんですが、あと四歩動いたら美桜さんが追い込まれますよ。最初の段階でミスをしていなければもう少しもったのかもしれませんが、もう終わりですね」
確かに、美桜ちゃんはじりじりと壁際に追い込まれてはいるのだけれど、あのとんでもない速さでいくらでも切り抜けられるはずなのだ。だが、一向にその速さを披露する様子が見受けられない。
少しずつ後ろに下がりながらも一定の距離を保っている美桜ちゃんではあったが、ついに壁に背を付けるまでに追い込まれてしまったのだ。俺の時とはまるで違う動きをしている美桜ちゃんに疑問を抱きつつあるのだが、特別体調が悪いとか調子が悪いという感じもせず、どう見ても元気そうなのにあの素早さが全く見られないのだ。
「美桜ちゃん、昌晃さんの右も左もがら空きだよ。早く逃げないと捕まっちゃうよ」
誰もがわかってはいる事だが、昌晃君の右も左も普通に走って逃げても捕まらないくらいスペースが空いているのだ。何だったら、残り時間を全部は知って逃げ回っても捕まらないくらい体力がありそうな美桜ちゃんが昌晃君と向かい合ったままじりじりと後退しかしていないというのは明らかに変だ。だが、なぜあの時のように速い動きをしないのか、それは見ているだけではわからない事だった。
「ねえ、璃々の気のせいかもしれないけどさ、美桜ちゃんって昌晃さんに壁ドンされようとしてわざと壁際に逃げてるんじゃない?」
「そんなことは無いと思うけど。でも、そう考えるとあの速い動きを使わない理由がわからないよな。璃々の言う通りで、壁ドンをしてもらって捕まえに来たタイミングで逃げようとしているのかもな。もしそうだったとしたら、俺はちょっと悲しいかも」
「別にお兄ちゃんは悲しむ必要はないと思うけどな。だって、あの時は美桜ちゃんが見られたら負けだったんだよ。今回は見られても捕まらなければ負けじゃないんだし、楽しんでるのかもしれないね」
「果たしてそうですかね。璃々さんのいう事もハズレではないと思うのですが、あの美桜さんの表情を見る限りでは、逃げ出すことが出来ないという焦りが出ているように見えるんですよね。先程から何度も右に行ったり左に行ったりしているんですけど、それを全て昌晃さんに封じられているってのも驚きですよね。あの教室の時と別人みたいな動きですよ。もしかしたら、相手の人数が一人か複数人かで昌晃さんのスタイルって変わるのかもしれませんよ。今の昌晃さんって、美桜さんを絶対に逃がさないって表情してますもん」
俺には全く分からないのだが、美桜ちゃんは今までも何度か逃げ出そうといつもより早い動きで切り抜けようとしていたようだ。だが、そんなチャレンジもむなしく昌晃君はその動きを読み切って逃げ道を塞いでいるとのことだ。ハイレベルすぎて俺にはわからないのだが、わからないのは俺だけではなく璃々と伸一さんも一緒のようだ。
「ジェニファーが解説をしてくれなかったら何が起こっているのかさっぱりわからないところだったね。僕も将浩君も今何が起こっているのか完全に理解はしていないんだけれど、それ以上に璃々さんは混乱しているみたいだよ。制限時間までまだ余裕はあるけれど、今の状況で昌晃君が美桜さんを捕まえることなんて出来るんだろうかね。逃げ道を塞いだところで捕まえられなくては意味が無いからね。こうしている間にも時間は刻々と過ぎていっているし、ジェニファーの言っていたように美桜さんが捕まるって展開はないのかもね」
しかし、勝負というものは一瞬で決まるものらしい。先程よりも距離を詰めていった昌晃君は向かって右に逃げようとしていた璃々さんの逃げ道を塞ぐと、自然と壁ドンの体勢になっていたのだ。意図したものなのかしていないものなのかは不明だが、昌晃君はその体勢のまま左手も顔の横を通って壁に手をついていた。両手で逃げ場を無くすように壁ドンをしていた昌晃君だったが、その手をゆっくりと動かして美桜ちゃんの両肩をしっかりと掴んでいた。
この時点で美桜ちゃんは負けてしまったのだが、なぜか負けた事に納得のいかない美桜ちゃんは再戦を申し出ていたのだ。昌晃君はそれに対して何の条件も加えることも無く普通にその再戦を受け入れていたのだ。
「ほら、私の言った通り昌晃さんが勝ちましたよ。次も昌晃さんが勝つんでしょうけどね」
またもや昌晃君の勝ちを予想するジェニファーさんではあったが、次回は昌晃君の負けを予想する人の方が少ないのではないかと思ってしまったのだった。




