第三十九話 ~四人目【周防 孝明】(前編)~
「……そこまでだ。第三戦も生徒達の勝利とする」
結末を見届けた黄泉がゆっくり宣言すると、恭介はニコッと笑って、対面にいた美乃理に右手を差し出した。
「いやぁ、やられたっすよ。でも楽しかったっす!」
「あ……、うん。こちらこそ……」
美乃理は少し戸惑った様子だったが、ゆっくりと差し出された手を握り返した。
「巡ちゃんと良子ちゃんもありがとうっす! 是非また一緒に打つっすよ! それとこの後も頑張って欲しいっす!」
恭介はそう言い残すと、そのまま対局場を出ていった。立ち去る後ろ姿を、生徒達はジッと眺めていた。
「なんていうか……気持ちのいい人だったね」
「うん、それに……すごく強かった」
良子と巡の言葉は、彼女達の率直な意見だった。対局中にそれほど余裕はなかったものの、巡達にも非常に興味深く、楽しい対局だったのである。
(結果的に勝っただけで……私もたぶん負けだった……かな)
美乃理も口には出さなかったものの、微笑を浮かべていた。勝つためだけに必死だった美乃理とは違い、恭介は結果も含めて対局を心から楽しんでいたのだ。人としての器という面では、相手が上だったことを素直に認めるべきなのだろう。
「あー! 何嬉しそうに笑ってるんすか!?」
そんな美乃理の様子を見て、大声をあげたのは、恭介の後輩である司だった。もしかすると、最終的にメンツに入れなかったことが不服だったのかもしれない。
「言っときますけど! 先輩に惚れちゃだめっすからね! 先輩は自分の……じゃない! みんなのものっすから!」
「な……!? ち、ちが……」
急に話を振られた美乃理は、思わず慌てた様子で否定してしまった。別に好意を持っているとか、そういうわけではなかったが、人間的に興味を持っていたのは事実だったからである。
「ほんとっすか? 怪しいっす……」
ジト目で覗きこむ司から、ゆっくりと美乃理は目を反らした。その様子を巡はどうしていいかわからず、良子は興味深々の目で眺めていた。
「……そろそろ話の続きをしたいのだが、構わないだろうか?」
黄泉の咳払いに、席についていた巡達は立ち上がり、司も渋々ではあるが、元の位置へと戻った。全員の視線が集まったのを確認してから、黄泉は告げる。
「現在の時刻は十一時半。一旦小休止を入れるから、十二時になったら食堂に集まるように。昼食の後は、ここまでと同様、次の相手との対局に入るから、心の準備だけはしておくように。それでは一旦解散!」
ぞろぞろと部屋を出ていく生徒達。その場から生徒達がいなくなったのを確認して、黄泉はため息をついた。
「……で? 貴様はどういうつもりだったのだ?」
黄泉が質問したのは、後方にいた傑に対してである。恐らく美乃理への助言のことを言っているのだろう。
「ん? 別にどうってことはないだろ? 元々この展開もお前の『予定通り』だっただろうし」
「そのことは別に構わん。何故美乃理に『嘘』を伝えた?」
黄泉が問題にしているのは、傑が美乃理に伝えた恭介との対戦の『テーマ』についてだった。黄泉が生徒達に気づいて欲しかったのは、別に『諦め』ではなかったのである。
「ちょっとくらい煽った方が面白いじゃねえか。どのみちこの先の対局において、美乃理の成長は必須事項みたいなもんだからな」
口ぶりから、傑は黄泉の考えを知りながら、嘘をついていたらしい。
黄泉がこの対局で生徒達に気づいて欲しかったのは、『相手の思考を読む』ことである。相手の打牌がわからないとしても、何を考えているかさえ予測出来れば、待ちを絞ることも可能だからだ。
ちなみに、対局前に佐緒里が提案した通り、運に任せて打つような姿勢を見せていたのなら、例え勝てたとしても、黄泉は認める気はなかった。
「……まあいい。確かに美乃理の成長は必須だが、それだけではまだ足りん。『アイツ』にも成長してもらわねば……な」
「巡……か」
黄泉と傑は、二人揃って渋い顔をしていた。次の相手が強敵ということも勿論あるが、巡の成長うんぬんについては、二人にも読めなかったからである。
「自分の娘ながら、あいつの今後は俺にも予測できん。なんせ理屈で上達するタイプじゃないからなぁ」
傑はため息をつきながらも、表情はニヤついていた。その真意は、純粋に楽しみといったところだろうか。
「ただまあ、キッカケを与えられそうな奴はいるがな」
「ああ……恭介だ」
恭介の麻雀は、少なからず巡に何らかのキッカケをもたらすだろう。黄泉はそのために恭介の参加を促したのだが、現状の感触では、まずまずというところだろうか。
「少なくとも恭介の麻雀に何かしら感じることはあったろうし、これからだな」
黄泉はそう漏らし、ため息をつくのだった。
★
それから三十分後、巡は同室の美乃理と共に食堂を訪れていた。窓の外を見た巡が、慌てた様子で美乃理に告げる。
「ごめん、美乃理ちゃん。先にご飯食べてて! 私ちょっと行ってくる!」
「行ってくる……って。どこに?」
巡は美乃理の返事を聞く前に走り出していた。その様子をみた美乃理はため息をついたのだが、仕方ないと思ったのか、そのまま食堂へと向かうのだった。
「恭介さん! 待ってください!!」
合宿所の正門のところで、巡は叫んでいた。その先には恭介の姿があり、呼び止められたことに気づいたのか、彼はゆっくりと振り返った。
「おお、巡ちゃんじゃないっすか。どうかしたんすか?」
恭介は用事が終わったので、帰ろうとしていたところだった。巡は食堂の窓から恭介の姿を確認し、慌てて追いかけてきたのである。
「すみません。ちょっと聞きたいことがあって……」
「自分に? なんすか?」
恭介は自分を指さしながらキョトンとしていた。巡は少し迷っている様子だったが、やがて口を開いた。
「恭介さんって麻雀のときに、何を考えて打っているんですか?」
「……なんも考えてないっすよ?」
あまりとアッサリとした恭介の返答に、巡は一瞬ポカーンとしてしまった。
「で、でも! すごい駆け引きだったじゃないですか! さっきの対局といい! だからものすごく色々考えて打ってるのかなって……」
巡の言葉に、恭介は深くため息をつくと、門の隣にある柱にもたれかかった。そしてそのまま空を見上げる。
「自分、バカっすからねー。孝明さんや黄泉さんみたいに、色々考えて打つことが出来ないんすよ」
恭介の言葉に、巡は何も言うことが出来なかった。彼が意外にも悲しそうな顔をしていたからである。
「ちょっと昔話してもいいっすか? 自分が黄泉さんに会った時のことっす」
「あ……はい。勿論」
巡は勿論、恭介の提案を了承した。黄泉との馴れ初めについては、彼女も興味を持っていたからである。
巡が頷いたのを確認した恭介はゆっくりと話し始めた。
「自分、友達に誘われたのをキッカケに、中学から麻雀始めたんすよ。最初ルールとか全然わからなくて、すげえつまらなかったんすよね」
恭介が麻雀を始めた頃、かろうじて揃え方や勝ち負けのは理解できたものの、打ち方や、理屈的な部分をどうしても理解することが出来なかった。
「しょうがないから、適当に打つようにしたら……これが勝てちゃうんすよ。それから麻雀は面白くはなったんすけど、友達はつまんねえのか、口々に不満を漏らすんすよね。で、『もうお前とは打たねえ』って言われたんすよ」
巡は黙って恭介の話を聞いていた。真面目な話だからということもあるが、巡には恭介の気持ちが『理解できた』のである。
「打ってくれる相手がいなくなっちゃ、しょうがないっすよね。そんな時偶然あった黄泉さんに声かけられて一緒に打ったんすけど……」
どこから噂を聞きつけたのか、黄泉は恭介の元を訪れ、卓を囲むように促した。初めて対局した黄泉は恭介の麻雀を見て驚いたのだが、恭介にとっての驚きはそれ以上だった。
「黄泉さんマジで強かったすね。まともにやってボコボコにされたのって、初めてだったっすから。んで、黄泉さんが自分に言ったんすよ」
★
「……貴様、それだけの腕を持っていて、何故麻雀を打たない?」
「え? だって一緒に打ってくれる相手がいないっすから……」
恭介は麻雀自体は好きだったが、打つ相手がいない以上、やめるしかないと思っていた。そんな彼の心境を察したのか、黄泉が告げる。
「ならばお前、これからは私と打て。私ならば、お前にもっと麻雀の面白さを教えてやることが出来るからな」
黄泉の言葉に、恭介はため息をついてから答えた。
「気持ちは嬉しいっすけど、自分はダメっすよ。揃え方とか、麻雀の理屈が全く理解できないんす……から!?」
恭介が言い終わる前に、黄泉は顔を眼前へと突き出していた。とてつもなく不満そうな黄泉の表情を見て、恭介は思わず後ずさりしてしまう。
「バカか貴様は。それだけの感性を持っているなら技術などいらん! 短所など見るな! 長所を伸ばせ! それだけでお前は天下を取れる!」
ビシッと突き出した人差し指は、恭介の眼前で止まった。あまりに真剣な黄泉の表情に、何も言うことが出来なくなっていた。
「まあ、騙されたと思ってやってみろ。どうせ打つ相手がいないのだろう? 格下とやるより、強い相手と打った方が楽しいに決まっているからな」
★
「いやぁ、嬉しかったっすねぇ。自分の麻雀を認めてくれたのは、黄泉さんが初めてだったっすから。それから景色が変わったとでもいうんすかね? 霧が晴れたみたいで、すげえ気分よかったんすよ」
恭介は子供のような表情で、ケラケラと笑っていた。巡はしばらくそんな恭介を眺めていたのだが、思い切って聞いてみることにした。
「じゃあ恭介さんは、カンだけを頼りに打ってるんですか? リーチする時の判断とかも?」
「そっすよ。巡ちゃんも感じたことないっすか? 『声が聞こえる』ような、『背中を押される』ような……そんな感じっす」
恭介の発言に、巡は驚かされていた。何故ならその感覚を、彼女も「知っていた」からである。
「そ、その! 声を聞いたりするには……どうすればいいんでしょう?」
「その様子だと巡ちゃんも、体験したことあるみたいっすね?」
恭介の質問に、巡は恐る恐る頷いた。その様子を見た恭介の表情がパァッと明るくなる。
「やっぱり! 巡ちゃんはきっと自分と同じだと思ってたんすよ! だったら話は簡単っす! コツは『何も考えないこと』っすよ!」
「で、でも、何も考えないと、判断もできないと思うんですが……」
巡の心配所はそこだった。最低限狙う役くらい決めなければ、まともに打つことすら出来ないのではないだろうか。
「自分らみたいなバカは、考えちゃうと裏目引くんすよ! ほらよく言うじゃないっすか! 休んで考えると下手になる……だったっすけ?」
恭介の言葉に巡は笑うしかなかった。言ってることは理解できたので、とりあえず何も言わないでいると、恭介が巡の肩を強く叩いた。
「場の雰囲気を読むことに集中するんすよ! 巡ちゃんなら絶対『声を聞ける』はずっす!」
真剣な表情の恭介は巡に、もっとも重要と思われる『あること』を伝えたのだった。
★
皆が昼食を終えて対局場に戻ってくると、既に黄泉はその場に立っていた。少し遅れて巡も対局場へと姿を現す。
「……うむ。これで全員揃ったようだな。では早速次の対戦相手を紹介するとしよう」
黄泉が振り返ると、後方から一人の男性が姿を現した。その姿を見た佐緒里が、驚きの声をあげた。
「も、もしかして……周防孝明『名人』ではないですか!?」
その場に現れたのは、以前巡が打ったこともある、孝明だった。佐緒里の質問を受けた彼は、自嘲じみた笑みを浮かべる。
「俺はただの雀荘のマスターだよ。麻雀好きでもあるが……ね」
佐緒里の言う通り、孝明は『日本プロ麻雀連盟』が認める名人の一人だった。過去最年少で名人の称号を得た彼ではあったが、その後スパッとプロであることを止め、自店の経営に専念することにしたのだ。
プロ雀士に憧れのあった佐緒里は、彼の引退をひどく悲しんだのである。
「次の相手が俺が請け負う。申し訳ないとは思うのだが、大事なことを確認しておかねばならんのでな」
「大事なこと……ですか?」
佐緒里の質問に、孝明はゆっくりと頷く。
「黄泉の奴を含め、真に一流と呼ばれるもの達と相対する上で、最低限必要なこと……だ」
孝明は腕を組むと、それ以上は何も言わなかった。
「それで……今回はどのようにしますか?」
遥の質問に、当然のごとく佐緒里が反応した。
「申し訳ございませんが、今回は私に行かせてはいただけないでしょうか?」
佐緒里は、自分が敵う相手と思ってはいないが、憧れの相手と打ってみたいというのも本音だった。その答えを半ば予想していた遥が頷く。
「どのみち誰かが様子を見なければなりません。佐緒里さん、他のメンツの指名はありますか?」
「そうですね……それでは、遥さんと志信さん、お付き合い願えますでしょうか?」
指名された遥と志信は、同時に頷いた。そして佐緒里は後ろにいた美乃理に告げる。
「今の私達の頼りはあなたです。これから行われる対局を、しっかりと見ておいてください」
佐緒里はあえて、「対策を考えろ」とは言わなかった。作戦でどうにかなるような相手ではないことがわかっているからである。
佐緒里の言葉に美乃理が頷くと、佐緒里は卓の方へと振り返る。
「それでは……参りましょう」
こうして特別練習の第四戦目が開始されたのだった。