第三十二話 ~一人目【武田 仁】(前編)~
地区予選から一週間後の七月二十八日。全国大会行きに選ばれたメンバーを連れた黄泉は、千葉にある施設を訪れていた。
ここはかつて、プロを目指す者達の練習所であり、協会に顔が利く黄泉が、部員たちの強化合宿を行うために手配したのだった。
「さて、これから全国大会に向けて準備を進めていくわけだが、実際に行われるのは夏だ。まだ時間もある」
施設の一室の中央には、手摘み用の麻雀卓が置かれており、黄泉と巡達は卓を挟んで向かい合っていた。現在の時刻は午後一時。昼食後に合宿での練習内容について説明があると、生徒達は呼び出されたのである。
「今まで特に口出ししなかったが、これからは私の指示に従って対局練習を行ってもらう。目的は、純粋にお前達の『実力強化』だ」
黄泉の珍しく真剣な表情に、生徒達は黙って聞いていた。特に、普段の黄泉を知らない生徒達は、緊張した面持ちだ。
「内容はシンプルだ。生徒の中から代表三名を選び、その中に私が選出した人物を一人混ぜる。半荘勝負でお前達の中から一人でもトップを取れれば条件クリアだ。三対一の構図で対戦相手に勝利しろ」
「ちょっと待ってください。いくらなんでもそれは、私達に有利すぎませんか?」
質問したのは堺北学園の部長である遥だ。黄泉は遥の方を一瞥した後、再び口を開いた。
「状況は対局相手との実力差と捉えておけ。お前達をバカにしているわけではないが、全国大会までの期間は一ヶ月。普通に対局するだけでは成長など見込めん。この練習の目的は、その場の状況を正しく把握し、各自適切な行動を選択出来るようにすることだ。常にアガリに行くだけが正しいとは限らないからな」
黄泉の言葉に、遥は意義は唱えなかったようだ。その場から一歩下がると、そのまま言葉の続きを待っていた。
「私から提示する対局のルールは二つ。その一、メンバーの選出と対局前に作戦を練るのは自由だ。だが、『通し』(サイン)による対局中の情報のやり取りは認めない。オープンリーチも手牌の通知となるため禁止だ。まあ、通しについては、私の目を盗んで行う自信があるなら、いくらでもやってもらって構わないがな」
黄泉は薄く笑ってはいたが、それが無理であることは、この場にいる誰もが理解していた。黄泉の目を欺くことなど、例えプロの腕をもってしても不可能と思われたからだ。
「その二、積み込みすり替え等のイカサマの使用を許可する。私は何も言わないが、対局相手に止められた場合、厳重なペナルティ……具体的には、その生徒の全国大会参加を禁ずる。イカサマがバレた時点で、荷物をまとめて帰ってもらうことになる。逆にお前達が相手のイカサマを見破った場合、その時点で勝利とする」
告げられた内容に意義はなかったものの、カンの良い生徒の何人かは、この言葉の意味することを察したらしい。眉を顰めると、厳しい視線を黄泉に向けていた。
「なお、本合宿の期間はちょうど一週間だ。期間中に『五人』相手に勝利しろ。ちなみに負けた場合にペナルティは特にない。時間が許す限り、何度挑戦してもらっても構わん。とにかく味方がトップ取る方法を考えて実践しろ」
黄泉はそこで言葉を切ると、麻雀卓の傍へと歩み寄り、予め置いてあった箱を開いた。すると、卓の上に麻雀牌がぶちまけられ、ザーと大きな音を立てる。
「一つ付け加えておこう。これは全国大会に向けての実力強化の意味もあるが、私達の対局に混ざるための最低条件でもある。このくらいの課題をクリア出来ずに『奴』の相手をするのは、到底無理だからな。この練習が真剣勝負であることを、まずは理解しておけ」
黄泉が言っているのは、自身が目的としている『傑』との対局のことであろう。自身との対局の際に生徒から一人メンツを選ぶように言われた彼女にとって、生徒達を成長させることは、もはや遊びではないのだろう。
特に普段から黄泉と接している巡達は、特にその真剣さを察しているようだ。
「最初の相手はこの男だ。入ってこい」
黄泉の合図を受けて部屋に入ってきたのは、柔和な表情を浮かべた男だった。その姿を見た志信が、驚きの声をあげる。
「武田先生じゃないですか。どうしてここにいらっしゃるんですか?」
「いやぁ、ハハハ。平田先生にお前達の相手になるようにお願いされて、来てはみたものの、やっぱり少々気まずくて……特にお前には、な。谷本」
「……はぁ。確かに僕は、先生のことを良く思ってはいないですが、ここにいらっしゃる以上、何か仰ることがあるのではないのですか?」
「まずはこれまでのことを謝らせて欲しい。私もあれから色々考えて、反省したのだよ」
武田は両手を膝の上につくと、そのまま深々と頭を下げた。彼の本性を知っている志信達は、それだけで信じることは出来なかったが、意外にも武田は本当に申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
「平田先生にも謝罪に行ったら、『許してやるから、言うことを聞いて欲しい』と言われてしまってな」
「それでここに居る……というわけですね」
「まあ……そういうことだ。もし、お前達さえよければ、だが。私にも特訓の手助けをさせてもらえればと思い、恥を忍んでやってきた……というわけなんだ」
武田の言葉を受けて、志信はため息をつくしかなかった。だが、黄泉が対戦相手としてこの場に連れてきた以上、戦わないわけにもいかないのだろう。
「……ふぅ。何だか釈然としない部分もありますが、手伝っていただけるという以上、無碍にも出来ないでしょう」
「すまないな、谷本。感謝する。ただ、平田先生には、思い切りやるよう言われているのでな。やるからには全力で行かせてもらうぞ」
「ええ、それは勿論構いません。よろしく……お願いします」
相談のため、一度その場を離れた生徒達は、全員で向かい合った状態で立っていた。志信は遥に向かってそっと囁きかける。
「随分極端なルールだけど……遥はどう思う?」
「一見私達が有利に思えますが、とんでもありません。『イカサマ使用OK』と公言されたことで、逆に釘を刺されたとも言えます。更に言えば、『相手のイカサマを見破れなければ話にならない』ということです。この条件下で私達がイカサマを使用するのは、恐らく無理でしょう。失敗した時のリスクが高すぎます」
「同感だね。しかも相手は武田先生だ。得意のガンパイをフル活用されたら、三対一でも勝つことは難しいだろう。さて、誰をメンバーに選ぶ?」
悩む志信と遥に対し、東征学園の部長である佐緒里が歩み寄り、進言した。
「この対局は『何度負けてもよい』と言われています。ならば最初の一局は情報収集に当てるべきではないでしょうか?」
佐緒里の言葉に、遥は志信と顔を見合わせて頷いた。彼女の言う通り、まずは相手の出方を伺うのも手だろう。遥は佐緒里の方に向き直ると、口を開く。
「それであれば、まずは武田先生の打ち筋をよく知っている、私と志信が参りましょう。後一人は東征学園から選出してくださいますか?」
「わかりました。では初回は私が参ります。美乃理や他の者達は、私達の対局を見て、勝つための手段を考えておいてください」
佐緒里は傍にいた美乃理、里香、絵美の三人にそう告げた。その奥には美緒、衿、司の三名もおり、特に不満はない様子だ。
「作戦は決まったか? ではそろそろ始めるぞ」
話がまとまった様子を察したのか、黄泉が生徒達に声をかける。生徒達は一斉に頷いた後、代表者となった三名が卓へと座る。そこには既に武田の姿があり、両手で頬杖をついた状態で対局開始を待っていた。
★
そうして始まったVS武田の第一回戦。イカサマやガンパイを警戒していた遥と志信だったが、対局は意外にも平凡な内容を見せていた。
武田は特に派手な打ち回しは見せずに、ダマを中心にロンアガリを狙ってきた。地味ではあるが、待ち牌を絞れない遥達は、武田のアガリ牌を止めることが出来ず、放銃してしまう。
逆に遥達が攻勢に転じようとすると、さすがに元プロというべきか。安手や鳴きを利用して巧みに場を流してきた。
その結果、第一回戦は武田のトップで終了となった。
「参ったね。肩透かしを受けた気分だよ。ガンパイを仕込んでいる様子もないし……。しかも結果は普通に打っての実力負け、か」
「武田先生も、私達が警戒しているのがわかっているのです。当然簡単には仕掛けてこないでしょう。これはかなりの駆け引きが要求されますね」
「何を悩んでんだか知らねえけどよ。あんなおっさん、苦戦するほどの相手じゃねえって」
悩んでいる様子の志信達に声かけてきたのは美緒だった。不適な笑みを浮かべた様子で、志信の傍までやってくる。
「美緒。何か作戦でもあるのかい?」
「作戦ってほどでもねーけどな。とりあえず次の半荘アタシも混ぜろ。蛇の道は蛇ってことだ。まあ任せとけって」
「あなたは確か……佐々木美緒さんでしたか」
「そういうおっさんは去年の堺北の顧問だっけか? あんたがいる時の堺北はショボくて助かってたのによ。なんだって今年は出てこなかったんだ?」
「恥ずかしながら、一身上の都合という奴です。しかしあなたが出てくるということは、何か企んでいる……そういうことですかな?」
会話を交わす美緒と武田は共に笑顔だった。まずは美緒が挑発し、武田がそれを受け流した形だ。少しはムキになると思っていた美緒にとって意外ではあったが、彼女は平然とした様子で話を続ける。
「さーて、それはどうかな? おっさんこそ、聞いてた話と随分違うじゃねえか。てっきりセコイ裏技でも仕掛けてくると思ってたのによ」
「平田先生との対局で、私も学ばせていただきましたから。イカサマは知っておく必要はあっても、『頼ってはいけない』ということです。そうしなければ、心と打ち筋に隙が生じてしまいますからね」
どうやら武田の言葉は本心のようだ。言葉通り、彼は黄泉との一局で精神的に成長したらしい。元々腕は確かなので、こうなってくると、かき回すのは難しいと言わざるを得なかった。
「へっ、わかってんじゃねえか。けどよ、学んだのがあんただけだと思うなよ?」
「中々面白いことを仰る。まあ言葉の駆け引きはこのくらいにして、そろそろ始めましょうか」
武田の発言を受けて、美緒はゆっくりと椅子へと座った。少し遅れて遥と志信の両名が席に着く。
こうして、元教え子を交えた捻くれ者同士の対局が始まったのだった。




