第十一話 ~戦い終わって~
「……すごい。何が何だかわからないうちに、あっさり勝っちゃった」
青ざめた顔で肩を落とす武田を見て、巡は呆然としていた。
あまりにも自分の麻雀と違いすぎて、理解不能状態だったのである。
黄泉が席を立った時の音に、驚いた武田が顔を上げた。
「そ、そんなバカな。こんなことが……」
「やれやれ、私もまだ青いな。この程度の相手に少しでも、本気になってしまうとは」
黄泉は腕を組んだまま、ふんぞり返っていた。不遜な態度は変わらなかったものの、完膚なきまで叩き伏せられた武田に、言い返す力は残っていなかった。
「お前は、いや、あんたは一体……何者なんだ? こ、この異質な感覚、プロの世界でも、私は味わったことがないぞ……」
「プロか。お前が言うプロの世界とは、今にして思えば、随分と退屈な世界だった。少なくとも、私を楽しませてくれるような打ち手は、見当たらなかった」
黄泉は頭上を仰いだまま、息を吐いた。ゆっくりと元の状態に戻ると、スッと目を細めた。
「そう。プロの世界には……な」
「プロが退屈……? では、あなたもプロなのか?」
そこで武田が何かに気づいたらしい。驚いたような表情を浮かべた後、震える唇で、ようやく言葉を吐き出す。
「ま、待てよ? 確か三年ほど前、最強と言われ、トッププロに君臨していた打ち手がいた。まるで牌を透かしてみるような読みに、大胆かつ、華麗な牌捌きは、見るもの全てを魅了したという……」
「大げさな奴だな。別に私が特異なわけではない。単に周りが弱すぎただけだ」
「じゃあやっぱり、あんたがあの『女帝』なのか」
「その名は呼んでくれるな。私はあまり好きではないんだ。とにかく決着は着いたな。どうする? 納得がいかないというなら、いくらでも相手にはなるが?」
「じょ、冗談じゃない。これ以上……恥の上塗りはゴメンだ」
武田は慌ててその場から立ち上がり、部屋から出て行こうとした。だが、途中で立ち止まると、大きくため息をついて振り返った。
「潔く負けを……認めよう。だが、恥を承知で聞きたい。あなたは私のガンを読んでいたのか……?」
武田のそれは、自白と同義だった。本来であれば、例え負けようと認めるつもりはなかったのだが、どうしても黄泉の口から答えを聞きたかったのだ。
「いや、全然?」
黄泉のあまりにあっさりとした答えに、武田は開いた口が塞がらなかった。唖然とした様子の武田だったが、黄泉は下から見上げるように顔を近づけていく。
「だから言っただろう。『目に見えるものだけに頼りすぎていると、普段見えるものまで、見えなくなってしまう』とな」
「で、では、あなたは一体何を……見ていたと、いうんだ……?」
「全て、だ」
黄泉はいともあっさりと答えたが、全く笑ってはいなかった。どうやら冗談ではなく、本気で言っているらしい。
「麻雀を打つ時に入ってくる情報の全て。牌の流れ、打つものの動作と性格、自分の手牌と場にある捨て牌……。言葉に出来るだけでも、これだけの情報があるではないか」
黄泉の発言を、武田は呆然としたまま聞いていた。同じく黄泉の言葉を聞いていた遥が、身体をブルッと震わせる。
(これは、この人の力は……ガン牌などといった、単純なものじゃない。仮に全てを見ていたとしても、それを頭で処理することは、不可能と言っていい……。明らかに私達の打つ麻雀とは、次元が違う……)
遥はかろうじて理解は出来たものの、実践は無理だと感じていた。黄泉が見せた麻雀は、自分がこれまで考えてきたものとは、全く異質だったのである。
「少なくとも私は、お前がガン牌をしていることは知っていた。その上で序盤は自由に泳がし、情報収集に努めた。お前は点棒上はリードを広げていただろうが、オーラス時点でお前の癖、牌勢、牌の並べ方すら私には筒抜けだった。状況としては、ガラス牌で打っていたのと大して変わらんな」
黄泉は平然と言ったが、それはもはや神業と言ってもよかった。
黄泉は目から入った情報を頭で処理せず、全て感性に委ねるのである。ありえないことだがそれこそが、黄泉の持つ絶対的な『力』であり、誰も立ち入ることが出来ない領域だった。
黄泉を知るものはこの能力を、尊敬と畏怖を込めて『神眼』と呼んでいた。
「私は高岡と牧村に、特定の部分のみ絞って情報を集めさせた。素人がなまじ手牌を見ると、周りの状況が見えなくなるからな。感性が強い巡には『流れ』を、注意力が高い良子は『動作』に注目させた。まあ、単純な実力勝負にならないための工夫だな」
「ああ、それで……」
巡と良子は、そこで初めて黄泉の言葉がわかったらしい。ポンと手を打つと、納得いった様子で頷く。
「答えは以上だ。他に何か聞きたいことはあるか?」
「いや……ない。私はこれで失礼させてもらうとしよう……」
武田はガックリと肩を落とすと、トボトボと歩いていった。その様子を巡は呆然と眺める。
「武田先生、出て行っちゃいましたけど、いいんですか?」
「大方、プライドを傷つけられたというところだろう。放っておけばよい」
黄泉は大きく息を吐き出すと、ガッチリと腕を組んだ。
「ともかく、これで決着はついた。我々、新生麻雀部の勝利だ」
「えっと、そのことなんですが……」
会心の笑みを浮かべる黄泉に対し、巡の表情は晴れなかった。水を差されたと思ったのか、黄泉は表情を曇らせる。
「どうした巡。勝ったというのに、浮かない顔だな」
「なんと言うか、私達が勝ったということは、その……私達が正式な麻雀部になる……ということですよね?」
「ああ、そうなるな」
「それって、今の麻雀部の人達は、どうなっちゃうんでしょうか……?」
巡は恐る恐る、遥の方を見た。巡の視線に気づいた遥は、ゆっくりと首を振る。
「……そんなに、気を遣っていただかなくても結構です。理由はどうあれ、私達は敗れたのです。こうなることは、初めから覚悟の上です」
「で、でも! 私達の勝負に、部の存続はかかっていなかったんでしょう!? だったら……」
「高岡さん。私は先ほどの戦いにて、あなた達に可能性を感じました。そして、平田先生ならば、あなた達の実力を存分に引き出してくれるでしょう。麻雀部を……よろしくお願いします」
遥は黄泉に一礼すると、そのまま出口に向かって歩いていった。しかし黄泉の横までやってくると、その場で足を止めた。
「平田先生。一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「何だ? 言ってみろ」
「武田先生は、本当にガン牌していたのですか?」
武田本人が認めたのだ。それは間違いないのだろう。しかし日頃彼に世話になっていた遥は、確認せずにはいられなかったのである。
「ああ。奴がガン牌を行っていたのは事実だ。他にも先ほどの対局中、ちょくちょく牌のすり替えも行っていたな。気づかなかったか?」
黄泉の言葉を受けて、遥はギュッと唇を噛んだ。認めたくはないが、認めるしかない。そんな感じだろうか。
「……すり替えには、気づいていました」
「ほう? なら何故、意義を唱えなかったのだ?」
「……武田先生は、私達を守りたいと、仰っていました。私はイカサマは嫌いですが、武田先生の気持ちを考えると……何も、言えなかったのです」
遥はあくまで武田は自分達のために動いてくれていると思っていた。例え間違った手段であろうと……それだけは信じたかったのだ。
「奴のことなら心配しなくてもいい。あの男が心配していたのはお前達のことではない。自分の保身のことだけだったからな」
「平田先生! 武田先生のことを悪く言うのは……」
遥は咄嗟に言い返そうとしたが、途中で口を噤んでしまった。黄泉があまりに真剣な表情で見ていたからである。
「事実だから、仕方がない」
「それにそんなこと……何か証拠でもあるのですか?」
思わず遥は、黄泉から視線をそらしてしまった。遥の質問は疑うというよりは、認めたくないという意味合いが強いだろう。
「今手元にはない。だが、よく考えてみろ。部員ですら気づかなかったガン牌の秘密を、何故部外者である私が知っていた? そして突然告げられた、顧問交代令……タイミングが良すぎるとは思わないか?」
「それは……」
「答えは簡単。密告した生徒がいたからだ」
黄泉が告げた衝撃的事実に、遥は固まってしまった。
「武田は特殊な塗料を牌に塗り、専用のメガネをかけることで、ガン牌を行っていた。そいつは偶然、その現場を見てしまったのだ。幸いそのことを、武田は知らなかったようだがな」
「まさか! その生徒とは……」
遥にはその生徒が誰なのか、どうやら心当たりがあったようだ。しかし遥の前に突き出された掌によって遮られる。
「名は一旦伏せておこう。そのことが発端で、そいつは武田に、疑惑を抱くようになった。結果、今回の件に至った。そういうわけだ」
「そんな……知りませんでした」
「まだ納得はいかない、か?」
遥は武田と同様肩を落とすと、黄泉に対して呟いた。
「いえ、どのみち私達は勝負に負けたわけですから。あとは……よろしくお願い致します」
「待て、渡瀬」
遥が扉の前に移動したところで、今度は黄泉が呼び止める。少し驚いた様子ではあったが、遥は再び黄泉の方へと振り返った。
「まだ何か……御用でしょうか?」
「こちらからも一つ問おう。今回の巡達との戦いで、お前は何を感じた?」
「そうです……ね」
遥は巡達との対局を思い出していた。打ち方はまるっきり素人のものだったが、自分とは違った方向から、麻雀にアプローチをかけている……遥はそう感じていた。
「私は、麻雀とは、理論で打つものだと思っていました。効率よく、最短を突っ走ったものが、最終的に勝利を得ると……。ですが今回の戦いで、それだけでは勝てないことを思い知らされました」
「ほう?」
「牌効率を求めて、勝率を高めるというのも一つの方法ですが、運そのものを味方につけるというやり方も……存在するのですね」
「その通りだ」
遥の発言に、満足した様子の黄泉は頷いた。蛇足ではあるが、黄泉はそれを知らせたかったが故に、ワザと麻雀部を二つに分け、ケンカをふっかけたのだ。
「牌効率を追うことは確かに重要だ。しかし長期戦ならいざ知らず、トーナメントなどの一発勝負では、決してそれだけでは勝てはしない。そしてそれこそが、今までのお前に欠けていた、最も重要なポイントと言えよう」
「はい、仰る通り……です」
悔しそうな表情で、遥は唇を噛みしめていた。その様子は、何故こんなことに気づけなかったのかと、悔しがっているようだ。
「悔やむことはない。単に指導者の武田が無能だっただけだ。だがお前は今、そのことに気づいた。そして、気づきさえすれば、お前の実力は更に伸びる。その力は、我々麻雀部が勝ち抜くために、欠かせないものになるだろう」
「先生……じゃあ!」
黄泉の言葉を受けて、巡が表情を輝かせる。黄泉は腕を組んだまま、ニッと笑った。
「当然、辞めてもらっては困る。だいいち、お前がいなくなれば、誰が巡達に麻雀を教えるのだ?」
「そうですよ! 私なんて役、リーチくらいしかわかんないですし!」
「渡瀬先輩! 私達にもっと麻雀のこと、教えてください!!」
戸惑う遥の元に、巡と良子の二人が勢いよく駆け寄った。本当に嬉しそうにする二人を見た遥は、ふぅと息を吐いた。
「仕方ありません……ね」
「やったぁ! よろしくお願いします!!」
「よかったね、巡!」
こうして今回の一件は、幕を閉じた。黄泉がなんだかんだ皆のことを考えてくれていたことも、巡を喜ばせる要因の一つだったようだ。
★
その日、家に帰った巡は夕食中、父の傑に学校で起こったことを話していた。
「ほう、今日学校で、そんなことが……」
「うん。本当、その先生がメチャクチャでね。でも、黄泉さんの麻雀、凄かったな」
「しかしお前が麻雀を、な。まあ、自分で決めたことならば、俺は文句は言わんがな」
傑は味噌汁のお椀を持つと、口元に付けて中身をズズッとすすっていた。巡はふと思ったことを聞いてみることにした。
「そういえば父さん、麻雀打てるんだって? 黄泉さん言ってたよ。『あいつの娘が麻雀を打てないわけがない』って」
お椀を口元から離した傑は、首を傾げて疑問符を浮かべていた。浮かべる表情は、まるで心当たりがないと言わんばかりだった。
「……俺は知らんぞ? 麻雀も、その黄泉って女のことも」
「……え、そうなの? 黄泉さん以前うちに来て、父さんと麻雀打つんだって言ってたけど……」
「そんな約束はしていない。大方その人が、勘違いしてるんじゃないか?」
傑の意外な発言に、今度は巡が首を傾げる番だった。
「おかしいなぁ。とてもそんな風には思えなかったんだけど……」
こうして巡の脳裏には新たな疑問が生まれ、その日の夜は更けていったのだった。