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琴乃(1)

 ――ぴちゃん。

 涼しげな水音が琴乃の耳朶を打つ。だけど琴乃は顔を膝の間に埋めたまま。その様はとても痛ましげだった。

 生贄に捧げられて、だけど生き残ってしまったあの日の翌日。琴乃はずっと落ち込んだままで、ずっとずっと座り込んでいた。

 そんな琴乃の様子に神も呆れたのか、神もつい先ほど琴乃から離れていった。そのことに、琴乃は少しだけほっとする。一人きりに、なりたかった。色々と整理したかった。

 だけど一人になると、それはそれで深く考え込んでしまう。春仁に会いたい、という気持ちが溢れてきてしまう。

 ポロポロと涙が零れ落ちる。会いたい。会いたくてたまらない。彼に抱きしめられたい。私だって、死ぬのは怖くて……。


 そのとき、くい、と白衣はくえの袖が引かれま。琴乃が何も反応しないでいると、今度は反対側からも引かれる。それでも、琴乃は顔をあげない。多分、神が何かやってるんだろう、と思ったから。

 だけど。


「あれ? おかしいね」

「おかしいねー。なんでー?」

「何でかな?」

「ねー?」


 子供特有の甲高い声だった。可愛らしい少女の声と、どこか間延びした少年の声。そのことに意外だと思いながら、琴乃はのろのろと視線を背後へ向けた。

 そこには、二人の少年少女がいた。どちらも八歳ほどで、とても可愛らしい。


 少女の方は紺色の髪に、水色の瞳。髪は肩よりも少し下の位置でバッサリと切られていた。そして、見慣れない、神が着ていたのと似たような衣装を纏っている。

 対する少年の方は同じ髪と瞳の色を持っていて、衣装も同じだったけど、髪型は違う。二つに結ってあって、大きな輪っかが耳の下にできていた。

 そんな同じ色を持つ二人は、どことなく対照的な印象を琴乃に抱かせる。少女の方はしっかりとした、少年の方はほんわかとした印象を。


「……あなた、たちは?」


 琴乃がそう尋ねると、二人は顔を見合わせ、そして満面の笑みを浮かべて琴乃を見た。


「あたし? あたしはつばき(・・・)!」

「ぼく? ぼくはみずき(・・・)ー」


 そう言って、二人は同時に琴乃の腕に絡まる。そして琴乃の体を起こすと、きゃっきゃと楽しそうに琴乃の腕を引き始めた。


「神様が言ってた! 元気づけてあげてって!」

「だからねー、連れてくのー」

「あたしたちの大好きな場所!」

「素敵な場所ー」


 二人はとても楽しそうに喋りながら進む。身長差があるため何度もつまづきそうになりながらも、琴乃は二人について行った。

 すると、何かの影が見えてきた。琴乃が訝しげに目を細めていると、それは次第に大きな家の形をかたどる。

 琴乃が見たことないような大きさの家だった。島で一番大きな村長の家が、優に三つは入ることだろう。わぁ、と思わず感嘆の声を漏らした。

 すると、二人は家の前で止まる。ここが目的地なのかな? と琴乃が首を傾げていると、再び二人が同時に家を指差した。


「ここはお屋敷!」

「神様の住む場所ー」

「ここは後!」

「素敵なのは違う場所ー」


 きゃっきゃと騒ぎながら、二人は再び歩き出した。お屋敷の傍を通り抜け、その先へ。

 ある程度進むと、琴乃は後ろを振り返った。お屋敷は随分と小さくなっている。一体どこまで進むのだろう? とても不安だった。


「あのね!」

「あのねー」


 突然、二人が話し出す。


「神様、嫌わないでほしいの!」

「全部、想定外ー」

「だからね、神様も分からないの!」

「どうすればいいのかー」


 二人は歩きながら、琴乃を見上げた。同じ色合いだけれど、全く異なる印象を与えた水色の瞳。だけど今は、その瞳は同じように揺らいでいた。

 この子供たちはあの神を慕っているのだろう。だからあの神を庇うような行動を取る。

 そのことに、チクリ、と琴乃の胸が痛んだ。私は神様に「帰して!」と言った。八つ当たりをした。……そのことが、今更ながら、とても申し訳なかった。


「……そう。分かったわ」


 そう琴乃がつげると、二人はぱぁ、と顔を輝かせる。そしてきゃっきゃと騒ぐと、一気に駆け出した。


「え、」

「やったね、みずき(・・・)!」

「やったねー、つばき(・・・)ー」


 とても嬉しそうに走る二人に、琴乃も僅かに口元を綻ばせた。……とても愛らしい子供たちだ。

 そして三人はしばらく進んだ。すると、再び奥の方に何かが見えてくる。それ……いや、それらは動き回っているようだった。大小様々で、大きくなったり、小さくなったりしている。

 琴乃はそれらが一体何なのか最初は解らなかったが、近づくにつれ、輪郭がはっきりとしてきて、ようやっと分かる。


 魚だ。

 魚が空を泳いでいる。

 ……いや、空じゃない。あれは海だ。


 そのことに気づいて、琴乃は呆然と目の前の光景を見つめていた。ゆらゆらと揺れる海藻に、踊るように泳ぐ大小様々な魚たち。有り得ないことに、それらが琴乃の目の前にあった。


(ということは……)


 この空間は、異界は、海の底にあるのだろう。海の底にあるから、こんなふうに魚が泳いでいる。決して見ることのできない、海の底の光景を見ることができる。

 琴乃がそのことをゆっくり噛み砕いていると、再び声がかかった。


「ここじゃないの!」

「ここじゃないのー」

「あと少し!」

「あとちょっとー」


 その言葉と共に、さらに二人の歩みが速まる。琴乃はつまづかないよう、注意しながら二人について行った。

 徐々に近づいていく魚たち。すると、ある場所で二人が止まった。


「ここから先は、だめ!」

「人間は死んじゃうー」

「こっち!」

「こっちー」

(死……)


 琴乃の瞳に危うい光が灯る。よく分からないけれど、この子供たちによれば、ここから一歩踏み出せば人間は死ぬとのこと。死ぬことができる。それは、琴乃にとって極上の蜜のような誘惑だった。

 小さく唾を飲んだ。楽になりたい。彼と共になれない苦しみから逃れたい。だけど――

 そのとき、ぐい、とさらに強い力で引かれた。そちらを見ると、子供二人が心配そうに琴乃を見つめている。


「ね、行こ!」

「行こー」

「……うん、そうね」


 琴乃は二人に笑いかけ、一歩足を踏み出した。そのことに二人は顔を輝かせると、すぐに走り出す。琴乃も二人について行った。

 だけど走ってる最中、後ろを振り返る。その表情には、どこか迷いがあった。

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