エアリス編 第十一章 梅の花の能力~開花~③ エアリスの救済
静寂が戻ったエアリスの部屋。窓から差し込む陽光は、もはや彼女の身体を透過することなく、その柔らかな髪の毛一本一本に確かな影を落としていた。
「エアリス、エアリスの体の異変治ったよ」、と伝えると、彼女は自分の小さな掌を何度も握り締め、信じられないといった様子で、自分の腕を、肩を、何度も触れて確かめていた。
「ほんとだ、変な感じが無くなっている、ルーメンありがとう」
その直後だった。僕の首に、細く、けれど力強い腕が回された。
抱きつかれて泣かれた。
彼女の体温、肌の柔らかさ、そして僕の胸を濡らす涙の熱。それらはすべて、数分前まで「風」のようだった彼女が、再び「人間」としてこの世界に繋ぎ止められたという、何よりの証明だった。
僕は、魔力を使い果たして震える自分の腕に力を込め、彼女の背中を支えた。
優しく頭を撫で安堵に包まれる。
前世の僕には、誰かの運命を劇的に変えるような力はなかった。けれど今、五歳のこの小さな掌の中に、親友の「存在」そのものを取り戻したという、震えるほどの充足感がある。
「さあ、行こう。お母さんが待っているよ」
僕はエアリスの手を引き、部屋の扉を開けた。廊下を進む彼女の足音は、以前の幽かな響きではなく、しっかりと板張りの床を鳴らす確かなものになっていた。
居間で祈るように座り込んでいた母親が、僕たちの足音に気づいて顔を上げる。
さっそく、エアリスのお母さんのもとに連れていく。
お母さんは、立ち上がろうとして、その場に釘付けになったように硬直した。彼女の瞳には、かつてのように透き通った幻影ではなく、陽光をしっかりと受けてそこに立つ、愛娘の姿が映っていた。
エアリスのお母さんは「エアリス、エアリスじゃない、姿が見えるわ、治ったの?本当に良かったわ」と言いながら、震える足で一歩、また一歩と娘へと歩み寄った。
「お母さん……!」
エアリスの声が、居間の空気に鮮やかに響く。
エアリスに駆け寄り、抱きしめ、2人とも泣いていた。
それは、言葉では言い表せないほど美しい光景だった。聖水によって病を克服した母と、調律再構成によって存在を修復された娘。崩壊の危機に瀕していた小さな家族が、今、不条理な世界の歪みを乗り越えて、再び一つの輪に戻ったのだ。
互いの背中をさすり、名前を呼び合い、嗚咽を漏らす二人。その光景を眺めながら、僕は背後の壁に寄りかかった。魔力を絞り出した反動で、視界がチカチカと点滅していたけれど、胸の奥を満たしているのは、かつてないほど清澄な喜びだった。
その後、知らせを聞いて駆けつけたエアリスのお父さんも加わり、家の中は歓喜と安堵の声に包まれた。お父さんは、かつての自警団仲間である僕の父さんのように、僕の肩を抱き寄せ、「ありがとう、ルーメン君。君は我が家の救世主だ」と、何度も何度も声を詰まらせて感謝を伝えてくれた。
夕刻、僕はエアリスの家を辞し、一人でルゼリアの道を歩いていた。
空は燃えるような茜色に染まり、遠くの森からは夜を告げる鳥の声が聞こえてくる。
僕の右手。そこにはまだ、エアリスを救った「ハーモニック・リコンストラクション」の余韻が、かすかな微熱のように残っていた。
(……助けられたんだ。僕の力が、本当に、彼女を救ったんだ)
聖都イーストレイクで、大神官ですら「治せない」と断じた病を、僕は治してみせた。それは僕が転生者として持っている特別な魂の力なのか、あるいは、あの「梅の花の主」が託してくれた世界の調律という使命ゆえなのか。
その答えはまだ出ない。けれど、五歳の少年の瞳には、これまで以上に強固な意志が宿っていた。
ルゼリアの坂道を登り切り、自宅の屋敷が見えてくる。窓からは、母さんが準備している夕食の灯りが漏れていた。
僕は自分の歩みを止め、一度だけ振り返ってエアリスの家の方を見た。
もう、あの日記に書かれた「助けて」という声は聞こえない。代わりに、そこには新しく紡がれていく、希望に満ちた日常の足音が響いているはずだ。
僕は静かに、けれど誇らしく胸を張り、家族が待つ家へと向かった。
五歳の聖者。調律の魔術師。
ルーメン・プラム・ブロッサムの物語は、この小さな村の奇跡を経て、さらなる広大な世界へと繋がっていく予感を孕んでいた。
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