エアリス編 第十一章 梅の花の能力~開花~② ハーモニック・リコンストラクション
日記に記された最後の頁が、俺の視神経を研ぎ澄ませ、魔力の深部が波打ちだした。「助けて、私を救い出して」という切実な願い。それは、世界の理から零れ落ちようとしているエアリスが、この世界に残した最後の命綱だった。
俺は最後の頁を見つめたまま、エアリスの気持ちを感じとろうと、エアリス悲痛な叫びを受け止めよと、全神経を内側へと向けた。
ルゼリアの丘を吹き抜ける風、初めて言葉を交わした時の彼女の震える肩、いじめから救った時に見せてくれた、あの頼りなげで、けれど花が綻ぶような微笑み。エアリスと友達になって過ごした楽しい時間。エアリスの様々な表情、話したことに想いをはせ、彼女の髪の匂い、少しだけ高い声の響き、俺の服の袖を掴む指先の小さな温もり。この世界で初めて出会った友達、守るべき幼馴染の輪郭を、俺は記憶の筆で鮮明に描き出していく。
「どこだ……。どこにいる、エアリス!」
心の中で強くエアリスの名前を呼ぶ。
自分の魔力が、波紋のように部屋全体へと広がっていくのを感じた。大聖堂での修行で研ぎ澄まされた俺の魔力は、空気の密度の僅かな揺らぎ、魔力の流れの不自然な滞留を逃さない。
すると、静まり返っていた部屋の片隅、古い木製のベッドが軋むような音がした。
陽光の中に、まるで陽炎のように揺らめく小さな影。すると、ベッドの片隅の方からエアリスの声がした。
「ルーメン、ここだよ」
その声は、風のささやきよりも脆く、放っておけばすぐにでも空気に溶けてしまいそうだった。
エアリスがベッドの片隅で膝を抱えて座っていた。
エアリスの姿は、以前よりもさらに透き通っていた。ベッドのシーツの模様が、彼女の身体を透過して見えている。
俺は慌てて駆け寄り、すぐにエアリスの横に座り、 エアリスが再び風の中に霧散してしまわないよう、俺自身の魔力を結界のように周囲に張り巡らせた。
「見つけた……。やっと見つけたよ、エアリス」
安堵で声が震えるのを抑えながら、俺はエアリスに今までの経緯を伝える。イーストレイクへの旅、大神官との対面、エアリスのお母さんを救うための聖水の授かり、そして、自分の中に眠る調律魔術という未知の力の発見。俺がどれだけエアリスを救うために必死だったか、五歳の身体でどれほどの不条理と戦ってきたのかを、優しくに語りかけた。
エアリスは、俺の話を静かに聞いていた。その瞳からは、透明な雫が絶え間なく溢れ、床に落ちる前に光の粉となって消えていく。
エアリスは「私とお母さんのためにありがとう、ルーメン。私辛いよ、私の変な病気治らないのかな」
その言葉は、五歳の少女が背負うにはあまりにも過酷な運命の重みを湛えていた。
「ルーメン、私のこと忘れないで、私のそばにいて」と言って俺の手を握り寄りかかってきた。
彼女の細い指が、俺の掌に触れる。その瞬間、俺は雷に打たれたような衝撃を感じた。
俺は握られた手から魔力が異常に荒れ果てた流れをしていることを感じ取った。異常までの魔力の暴走をすぐに感じ取った。
カーディナルの禁書に書かれていた「魔石魔力の暴走」という言葉が、現実の触感となって俺の感覚を襲う。エアリスの体内で、本来整然と流れるべき魔力が、鋭い棘を持った濁流となって荒れ狂っている。それは肉体という器を内側から切り刻み、存在の基盤である魂の結合を強引に引き剥がそうとしていた。
エアリスは泣いている。彼女の流す涙は、魂そのものが削り取られている痛みそのものだった。
俺は手を握ったまま、肩を抱き、より近くで魔力の流れを感じ取る。
「エアリス、大丈夫、必ず僕が治すから」
俺は覚悟を決めた。聖位の癒し魔術、リジェネレイトヒーリングでは、この崩壊した理は止められない。失われた肉体を再生させるためには、原因である魔力の暴走を何とか鎮めなければいけない。
ならば、梅の花から授かった未知なる力、世界の設計図そのものを書き換える力。
巨大水晶の鑑定で示された、あの未知の魔術、調律魔術を発動させるしかない。
俺ははエアリスの気持ちを深く考え、受け止め、祈り、エアリスの暴走した魔力の流れを感じ取る。
俺は意識を、エアリスの体内に広がる混沌の渦中の魔力へと沈めていった。
すると、暴走した魔力の流れの先に光の中に白い花びらが舞う感覚が見えた。
それは、大聖堂の巨大水晶で見た、あの満開の梅の情景だった。荒れ狂う魔力の濁流を、一枚、また一枚と舞い落ちる花びらが、静かに鎮めていくイメージ。
俺の魔力をエアリスの暴走した魔力の流れの中に流し込ませる。
俺の未知の調律魔術の力を持った魔力と、エアリスの暴走する魔力が衝突し、激しい熱を発する。五歳の俺の肉体が、許容量を超えた負荷でキシキシと鳴り響く。
すると、エアリスは光の魔力の中に包まれ、俺は最大限の魔力をエアリスの中に流し続けた。
部屋全体が、目も開けられないほどの純白の輝きに満たされる。
俺の中にはエアリスの心の痛みが流れ込んでくる、いじめ、母への不安、消えゆく恐怖、孤独。彼女が日記に書き連ねてきた、そして書けなかった絶望のすべてが、俺の精神を濁流となって呑み込もうとする。
俺はそのすべてを受け止めた。拒絶せず、否定せず、ただ「共に在る」ことを選び、エアリスの手を握る。エアリスの魔力は異常なほどに暴れていた、初めて感じる感覚、これが魔力の暴走なのか、これが魔力暴走状態なんだなと分かった。俺の魔力をエアリスに流し込み、エアリスの魔力を優しく包み込み、暴走している魔力に干渉して暴走の流れをを正すように調律していく。
俺の魔力とエアリスの暴走した魔力が調和すると、自然と囁くように声が漏れた。
「ハーモニック・リコンストラクション」
その名は、俺の意志ではなく、世界の意志が俺の唇を借りて放ったかのように響いた。
その瞬間エアリスの体は一瞬、眩しい光を放ち、光が消え、暴虐な風の音は止み、静寂が戻った。
エアリスの握られた手から伝わっていた荒れ狂うように暴走した魔力は、清流のせせらぎのように穏やかになり、魔力の流れは落ち着き安定した。
あんなに鋭く俺の掌を刺していた魔力の棘は消え、代わりに、春の日の陽だまりのような、穏やかで澄んだ魔力の拍動が伝わってきた。
透けていたエアリスの体は、いつも通りのエアリスの姿になり、光が収まった時、俺の腕の中にいたのは、透き通った幻影ではない。確かな重みを持ち、俺の肩を濡らす温かな涙の熱を感じさせる、生きた少女だった。
エアリスも体の異変の正常化に気づいて、ハッとなった。
エアリスは自分の手を見つめ、何度も握りしめ、そして僕の顔を驚愕と喜びの混じった表情で見上げた。
「ルーメン……。私、見える? 私、ここにいるの?治ったの?」
「ああ。もう大丈夫だよ、エアリス。異変は治ったみたいだよ、安心して」
エアリスは驚き戸惑いながらも、確かめるように俺に寄り添ってきた。
「本当に治ったの、ありがとう、ルーメン。本当にありがとう」
俺がこの世界に生れ落ちて、梅の花が授けてくれた力が真に開花した瞬間だった。
俺たちはまだ、この奇跡が何を意味するのか、その全貌は知らなかった。けれど、今この瞬間に感じている、過剰にかかった精神的な負荷から救いを求める声の中、魔力の暴走により不可思議で異変な状態になり、調律魔術、ハーモニック・リコンストラクションは癒し魔術では治らない人を救いだしたのだと。
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