エアリス編 第九章 能力の発見~梅の花の力~② 大神官の見解
深い闇の底から、ゆっくりと意識が浮上していく。
俺の脳裏を支配していた梅の残消え、代わりにイレンティア大聖堂の救護室の祈りと癒しの神聖な魔力だった。
指先を動かすと、重苦しい倦怠感が全身を支配しているのがわかる。魔力回路が空っぽになり、魂の器がキシキシと軋むような感覚。けれど、その不快感さえも、自分が生きているという確かな証拠に思えた。
重い瞼を押し上げると、そこには見慣れない白い天井があった。
救護室で目を覚ました俺は傍にいたリリィ先生に「どうだったんですか?」と尋ねる。
俺の声は枯れ、掠れていた。リリィ先生は、俺が目覚めたことに気づくと、椅子から身を乗り出して、安堵と、それ以上に言い知れぬ複雑な熱を帯びた瞳で俺を見つめた。彼女の手には、先程まで握りしめていたであろう、俺の鑑定結果を記した羊皮紙が握られている。
「ルーメン君……。よかった、意識が戻って」
先生の声は震えていた。それは、教え子の無事を喜ぶ師の顔であると同時に、未知の深淵を覗き込んでしまった探究者の顔でもあった。
リリィ先生は一度深呼吸をして、言葉を選びながら、俺に告げた。
「ルーメン君には、この世に存在していない、調律魔術、ハーモニック・リコンストラクションという魔術が内在しているようです」
その単語が唇からこぼれるたび、部屋の空気が張り詰める。調律魔術、ハーモニック・リコンストラクション。それは、この世界のどの魔導書にも記されていない、未知の響きを持っていた。
「これは世紀の大発見になるかも知れません。ルーメン君このことは知っていましたか?」
リリィ先生の瞳が、俺の魂の奥底まで射抜かんとする。
俺はその視線を真正面から受け止めることができず、わずかに目を伏せた。
ああ、梅の花にもらった特殊能力の事だな、とは思ったが、あの不思議な夢のような庭園で、淡く輝く梅の花から授かった力。それが「調律魔術」という形を持ってこの世界に発現したのだと、俺は確信していた。けれど、それをそのまま正直に語ることはできない。
調律魔術の発動方法、詠唱、どういった効果をもたらす魔術かは知らされていないため、俺自身も、その力の「名」を知らされただけで、具体的な「使い方」まではまだ掴めていないのだ。
俺は、五歳の子供としての無垢な戸惑いを最大限に演出しながら、慎重に言葉を紡いだ。
「リリィ先生に光魔術の他に何かある、と言われていましたが、僕にもこのことは全く分かりませんでした、分からないので、どうやって、調律魔術というの使えるのかもわかりません」
それは嘘であり、同時に真実でもあった。俺は「梅の花」という象徴については知っているが、この世界における調律魔術の魔術的な定義については、先生と同じく、あるいはそれ以上に無知なのだ。
リリィ先生は、そうですか、と言い考え込んでいる表情をしている。
リリィ先生の鋭い知性は、俺の言葉を一つずつ吟味しているようだった。リリィ先生ほどの魔術師なら、俺が何かを隠していることに気づくかもしれない。けれど、五歳の子供が、「未知の魔術」を使いこなしているという可能性よりも、「本人も無自覚な才能が秘められている」という仮説の方が、まだ理性的には受け入れやすいはずだ。
しばらくの沈黙。部屋の外からは、大聖堂の鐘の音が遠く響いてきた。
リリィ先生は、俺の頭に優しく手を置いた。その掌は温かく、同時にこれからの厳しい道のりを予感させるような重みがあった。
「大神官様が言っていたのですが、数日祈りを捧げて、大神官様の指導を受けると良いかもしれないとの事です」
指導。それは神位の癒し魔術を施せる、権威である大神官様から直々に、俺の内に眠る未知の力を引き出す手解きを受けることを意味する。
「私は明日、ルゼリアにまた向かいますが、事情はご両親にお話しておきます。大聖堂に寝泊まりして、修練を受けた方がいいと思います、ルーメン君、どうしたいですか?」
リリィ先生の問いは、俺の意思を尊重するものだった。
ルゼリアへ帰り、家族の温もりに包まれて、今まで通りの平穏な日々を送ることもできるだろう。けれど、俺の脳裏をよぎったのは、リリィ先生の研究室で見た膨大な本と、そして、大神官が語った「現在の魔術では治せない」という残酷な宣告だった。
このままルゼリアに戻ったところで、俺はエアリスが消えていくのをただ見守ることしかできない。
けれど、この「調律魔術:ハーモニック・リコンストラクション」という力が、世界の歪みを正すものであるならば。俺はエアリスを助けたい、だから頼れるものは何でも頼る、小さな身体が、決意に震えた。俺はリリィ先生の瞳を真っ直ぐに見つめ返し、はっきりとした口調で答えた。
「はい、分かりました、大神官様に修練をお願いしたいと思います。両親にはリリィ先生から話しておいてください」
リリィ先生は、俺の決意を汲み取ったように、静かに、けれど力強く頷いた。
「分かりました。けれど、ルーメン君はまだ小さいのです。無理なことはできませんとはっきり言ってくださいね」
そして、二人で大神官に修練のお願いをする、大神官様は快く了承してくれた。
こうして、俺のイーストレイクでの滞在は、単なる「治療の相談」から「未知の調律魔術の開拓」へと姿を変えた。
エアリスを救うために。そして、俺自身の魂がこの世界に呼び寄せられた意味を知るために。白亜の塔での、孤独で、けれど希望に満ちた修行の日々が幕を開けようとしていた。
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