学院2年サラサ編 第七十六章 セリナの職業試験⓻ 一時帰郷
三年生には一時帰郷が許可された。卒業前のわずかな時間、家族に報告し、区切りをつけるための期間だ。
ルゼリアの村からは馬車が用意され、イーストレイクにいる同郷の三年生たちと共に、セリナは帰路についた。
馬車の車輪が石畳を離れ、やがて土の道へ変わる。見慣れた景色が近づくにつれ、胸の奥に溜まっていた緊張が、少しずつ別の感情へと変わっていくのが分かった。試験の緊張ではない。報告の瞬間を思う、静かな高鳴りだ。
ルゼリアの家が見えたとき、父さんは外で薪を割っていた。馬車の音に顔を上げ、目を細める。そして降りてきたセリナの姿を見た瞬間、動きが止まった。
「セリナ……?」
いつも通りの娘の姿。だが、その手に握られている決定書を見て、父さんはすべてを察した。
「どうだった」
短い問いだった。だがそこには、三年間の重みが詰まっている。
セリナは一歩前に出て、まっすぐ父さんを見る。
「……受かったわ」
それだけでは足りないと、決定書を差し出した。
父さんはそれを受け取り、文字を追う。次の瞬間、目が大きく見開かれた。
「……近衛兵か!」
声が裏返る。驚愕と、信じられないという感情と、そして何より誇りが混じった声だった。
「剣術の稽古の時も、格段に強くなったと思っていたが……まさかここまでとは」
決定書を握る手が震えている。
「父さん、誇らしいよ。セリナ、おめでとう」
その言葉に、セリナはほんのわずかに視線を伏せた。強い姉だが、この瞬間ばかりは娘の顔になる。
家の中から母さんが出てきた。
「どうしたの、そんな大きな声出して……」
父さんから決定書を受け取り、目を通す。読み終える前に、涙が滲んだ。
「本当に……?」
声が震える。
「セリナが……近衛兵に?」
決定書を胸に抱きしめるようにして、母さんは泣いた。
「本当によく頑張ったわね……本当に……」
言葉が続かない。三年間、離れて暮らし、便りを待ち、怪我の報告に心を痛め、強くなる姿を想像してきた。そのすべてが報われた瞬間だった。
「立派な職業につけて……母さん、うれしくて、うれしくて……」
涙は止まらない。
セリナは、少し困ったように笑う。
「泣きすぎよ、母さん」
だがその声も、わずかに震えている。
エレナが家の奥から顔を出した。
「近衛兵ってすごいの?」
純粋な問いだった。
父さんは笑いながら言う。
「一番すごい兵隊だよ。国を守る精鋭だ」
そしてエレナの頭を撫でる。
「エレナも、お姉ちゃんみたいになれるから、頑張ろうな」
エレナは目を丸くしてセリナ姉を見る。
セリナはしゃがみ込み、エレナと目線を合わせた。
「お姉ちゃん、頑張ったんだよ」
その声には自慢よりも、伝えたい思いが込められている。
「エレナもね、自分のなりたい職業ができたら、一生懸命頑張ればなれるの。お姉ちゃんも協力するし、父さんも母さんも協力してくれる。だから、怖がらなくていい」
エレナは小さく頷いた。
「うん」
その返事に、家族全員が笑った。
その夜、食卓にはいつもより多くの料理が並んだ。父さんは何度も酒を注ぎ、母さんは何度も涙を拭き、エレナは何度も「近衛兵ってすごいの?」と聞き直した。
笑い声が絶えない。
セリナは静かに周囲を見渡していた。学院で積み上げた努力が、こうして家族の笑顔に変わる。その意味を、噛みしめるように。
この家を出て、学院へ行き、剣を振り続けた三年間。そのすべてが、今日この瞬間に繋がっている。
誇りとは、誰かに自慢するものではなく、誰かを安心させる力なのかもしれない。
セリナは、確かにその力を手に入れていた。
祝宴は、夜更けまで続いた。
父さんは何度も杯を掲げ、そのたびに同じ言葉を繰り返した。
「セリナが近衛兵だぞ」
誇らしさが、抑えきれていない。三年前、学院へ送り出すとき、父さんは何も言わなかった。ただ「行ってこい」とだけ告げた。その背中を、セリナは一度も振り返らなかった。泣かなかった。弱音も吐かなかった。
その娘が、いま国家の中枢を守る兵へと認められた。
それは父にとって、これ以上ない喜びだった。
母さんは静かにセリナを見つめていた。食卓の灯りの下で、ふと目を細める。
「大きくなったわね」
その言葉は、剣の強さではなく、人としての成長を見てのものだった。
セリナは照れくさそうに笑う。
「まだよ。これからが本番なんだから」
浮かれない。それが、今のセリナだった。近衛兵という肩書きに飲み込まれることなく、次に何をすべきかをすでに考えている目だ。
エレナは椅子の上で足をぶらぶらさせながら、何度も決定書を覗き込んだ。
「ほんとに一番すごい兵隊なの?」
「そうよ」
セリナは優しく答える。
「でもね、一番すごいのは“強いこと”じゃないの。守れることよ」
エレナは首を傾げる。
「守る?」
「うん。怖いときに立ち止まらないこと。誰かのために前に出られること。それが一番難しいの」
その言葉に、父さんは静かに頷いた。母さんはまた目元を押さえる。
セリナは続ける。
「エレナも、自分のなりたい職業ができたら、一生懸命頑張ればなれる。才能だけじゃないの。続けることが一番強いんだから」
エレナは真剣な顔でうなずいた。
「じゃあ、わたしもがんばる」
「うん。お姉ちゃんも協力するし、父さんも母さんも協力してくれる。だから一人じゃない」
その言葉は、かつて学院で孤独と向き合ったセリナだからこそ言えるものだった。
その夜、家の灯りはいつもより遅くまで消えなかった。
笑い声が途切れ、やがて静けさが戻ったあとも、セリナは一人、庭に出た。
夜空を見上げる。
剣を握り続けた日々。悔しさ。焦り。追いつけないと感じた夜。父との稽古。学院での競争。カルディとの切磋琢磨。
それらがすべて、ここに繋がっている。
「……神位、か」
父がふと漏らしたあの言葉が、胸の奥に残っている。
まだ先の話だ。だが、遠いとも思わない。
翌朝、帰郷の時間はあっという間に終わった。学院へ戻り、そして卒業。
セリナは正式に近衛兵へ入隊することになる。
制服に袖を通した姿を想像すると、胸が熱くなる。
それぞれの道が、はっきりと形を持ちはじめていた。
そして、同じ年。
ソアラもまた、自分の進む道を決めていた。
魔導具師。
職業決定により、イーストレイクの魔導具サディーラ工房へ入職が決まったという知らせが届く。
貧しい家庭環境の中で自由もなく過ごしていた少女が、自らの技で未来を掴んだ。
守る者。創る者。
形は違えど、どちらも都市を支える柱になる。
学院で共に過ごした日々は、それぞれを別の場所へ送り出す。
だが、そこで築いたものは消えない。
剣を握り、魔術を学び、支え合い、衝突し、乗り越えた三年間。
それは確かに、次の人生へと繋がっている。
セリナは近衛兵として歩き出す。
ソアラは魔導具師として道を拓く。
そして俺たちもまた、それぞれの未来へ向かう。
卒業は終わりではない。
それぞれの物語が、本当に始まる合図だった。




