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エアリス編 第六章 ルーメンの初討伐③ リリィの解説

 馬車が再び動き出しても、僕の指先は微かに震え続けていた。

 膝の上に置いた自分の掌をじっと見つめる。そこには、先程まで真っ赤な火球を放ち、二匹のゴブリンの生命を直接的に断ち切った感触が、拭い去れない熱を持って残っているような気がした。

(……僕は、殺したんだ。あんなに醜くて、僕たちを襲おうとしていた怪物だったけれど……。それでも、さっきまで確かに動いていた命を、僕が消したんだ)

 前世の記憶が、倫理観という名の重石となって僕の心にのしかかる。平和な日本では、生命を奪うという行為はニュースの向こう側の出来事でしかなかった。けれど、このルシアークという世界において、それは生き残るための「通過儀礼」に過ぎない。

 五歳の瑞々しい感受性と、前世の成熟した理性が、僕の内で激しく衝突していた。

 命中率二分の一以下。その不甲斐なさへの悔しさよりも先に、命を奪うことへの根源的な恐怖が、吐き気となって喉元までせり上がってくる。

 隣に座るリリィ先生は、僕のその沈黙を「戦士としての産みの苦しみ」と受け止めたのか、何も言わずに僕の肩をそっと抱き寄せてくれた。彼女の纏う魔力の香りと、柔らかな温もりが、嵐のように荒れ狂う僕の心を少しずつ鎮めていく。

「……ルーメン君。怖かったわね。それでいいのよ。命を奪うことに慣れすぎてしまった者は、いずれその力に飲み込まれてしまうわ」

 先生の声は、ルゼリアの朝靄のように静かで、深く僕の心に染み渡った。

 僕は震える声を絞り出した。

「……先生。僕は、もっとうまくやれると思っていました。上位魔法が使えるから、あんな弱い魔物なんて、簡単に片付けられるって……どこかで自惚れていたんです。でも、実際は……焦って、狙いも定まらなくて……」



 リリィ先生は僕の言葉を聞くと、馬車の窓の外、流れる景色を見つめながら静かに語り始めた。

「いい、ルーメン君。あなたが学んでいる魔術は、世界のことわりを書き換える力。それは、救済にもなれば、最も残酷な凶器にもなる。今日あなたが感じたその『重み』こそが、あなたが魔術を使う上での、生涯の安全弁になるはずよ」

 彼女は僕の掌を取り、そっと自分の手で包み込んだ。

「魔物は経験だと言ったけれど、それは単に魔法を当てる技術のことだけじゃない。命をやり取りする瞬間の、あの凍りつくような冷たさを知ること。そして、自分が放つ一撃が、どれほどの責任を伴うのかを理解すること。……あなたは今日、本当の意味で『魔術師』の門を叩いたのよ」

 リリィ先生の言葉は、五歳の僕にはあまりにも重厚だった。けれど、その一言一言が、僕の魂に深く、強固な楔を打ち込んでいく。

 ただ才能があるだけでは足りない。ただ知識があるだけでは生き残れない。

 自分の中にある「暴力的な力」を正しく律し、何のために、誰のためにその炎を灯すのか。その問いを抱え続けることこそが、本当の強さなのだと、彼女は教えてくれているようだった。

 僕は深く息を吐き、掌に力を込めた。

 初討伐。そのほろ苦い味は、僕という人間の土台を、より深く、より強固なものへと変質させていった。

 エアリスを救う。そのためには、この程度の試練で立ち止まっているわけにはいかないのだ。



 馬車が緩やかな丘を登り切ったその時、視界が唐突に開けた。

 それまで僕を包んでいたルゼリアののどかな緑は消え去り、代わりに現れたのは、大地に突き刺さった巨大な墓標のような、圧倒的な石の文明だった。

 そうこうしている間に、馬車はイーストレイクの街の入口付近まで来た。

 地平線を埋め尽くさんばかりに広がる、巨大な石造りの城壁。

 ルゼリアの屋敷が玩具に見えるほどの高さを持つその壁は、歴史の重みと、外敵を一切拒絶する断固たる意志を湛えている。

 城壁の上には、魔力の光を放つ魔法塔が幾本もそびえ立ち、その頂からは、周囲の安全を監視するかのように青白い光の筋が空へと伸びていた。

 馬車の窓から顔を出すと、遠くからでも、地鳴りのような「喧騒」が聞こえてくる。

 数千、数万の人間がうごめき、欲望と知識と魔力が交錯する場所。ルゼリアという閉ざされた揺り籠しか知らなかった僕にとって、その街のスケール感は、未知なる宇宙の入口に立ったような衝撃をもたらした。

 門へと続く長い街道には、色とりどりの馬車、武骨な鎧を纏った冒険者、奇妙な杖を手にした魔術師たちが、列を成して街へと吸い込まれていく。

 その光景を眺めているだけで、僕の小さな胸は、期待と、そしてルゼリアでエアリスが待っているという切迫感で、今にも張り裂けそうだった。



 イーストレイクの巨大な城門が、眼前に迫る。

 鉄とミスリルで補強されたその扉は、容易には超えさせないという絶対的な境界線として、僕の前に立ちはだかっていた。

(……この門を潜れば、もう僕は『ルゼリアの子供』ではいられない)

 初討伐という血の洗礼。都という巨悪をも孕んだ文明。

 そして、エアリスを蝕む謎の異変と、教会の不条理。

 五歳の僕に課せられた重責は、あまりにも過酷かもしれない。けれど、僕の隣にはリリィ先生がいる。そして僕自身の掌には、死線を越えたことで、より研ぎ澄まされた光が宿っている。

「ルーメン君、前を見て」

 リリィ先生の凛とした声が、僕の意識を現在に繋ぎ止める。

「ここからが本番よ。イーストレイクという街は、あなたの想像以上に残酷で、同時に美しい。……しっかりと、その目で見届けてきなさい」

 僕は強く、折れそうな心を奮い立たせて頷いた。

 馬車の車輪が、門を警備する兵士たちの前でゆっくりと停止する。

 巨大な門の影が、僕たちの馬車を飲み込んでいく。

 五歳の少年が、初めて「世界の広さ」と「己の無力さ」、そして「守るべき者の重み」を同時に背負い、一歩を踏み出す。

 イーストレイクの冷たい石の門を潜るその瞬間、僕の物語は、ルゼリアの平穏な日々を過去へと追いやり、より激しく、より深い真実の領域へと足を踏み入れていった。


最後まで読んで頂きありがとうございます


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