エアリス編 第七章 イーストレイク① 街の中
第七章 イーストレイク
ルゼリアの丘を離れ、街道での初討伐という名の洗礼を経て、俺たちの馬車はいよいよその目的地へと辿り着いた。小さな俺の視界を覆い尽くさんばかりにそびえ立つそれは、もはや単なる構造物という概念を超えた、文明の意思そのもののように感じられた。
イーストレイクは街なだけあって、周りが城壁で囲まれている、
見上げるほどの高さを持つ石造りの壁。それは幾世代にもわたる魔術師たちの加護が幾重にも施されているのか、表面には時折、青白い魔力の残光が鱗のように揺らめいている。外敵の侵入を拒み、内なる繁栄を絶対的に守護するその威容。前世の記憶にある高層ビル群とはまた違う、重厚で威圧的な「石の圧力」が、俺の小さな胸を締め付けた。
馬車が速度を落とし、巨大なアーチ状の入口へと差し掛かる。
街の入口には門番の警備兵の人が数名立っていた。
彼らは一様に磨き上げられた胸当てと、鋭い穂先を持つ槍を携えている。その眼光は鋭く、入街しようとする一人一人の挙動、そして荷馬車の中身を厳しく検めているようだった。ルゼリアの村ではまず見ることもない実戦の空気を纏った熟練の兵士たち。その緊張感に、俺は思わず馬車の座席で身を固くした。
馬車が兵士たちの前で停止する。一人の門番が近づき、窓越しに厳しい視線を送ってきたが、隣に座るリリィ先生が悠然とした動作で懐から一枚の小さな金属の板を取り出した。
リリィ先生が身分証を見せ、いざ街中へ。
その小さな金属の板が何を意味していたのか、小さな俺には正確には分からなかった。けれど、それを見た瞬間に門番の表情が劇的な変化を見せた。鋭かった眼光は瞬時に敬意へと変わり、彼は深く腰を折って最敬礼を示したのだ。重い鉄の格子がガラガラと音を立てて引き上げられ、俺たちを乗せた馬車は、ついに境界線を越えて「内側」へと滑り込んだ。
門を潜った瞬間、俺の鼓膜を叩いたのは、押し寄せるような喧騒だった。
街は人々や活気で溢れかえっていた、
石畳を叩く無数の蹄の音、車輪の軋み。露天商たちの張り上げる威勢の良い声と、それに応える買い物客たちの笑い声。そして、どこからか漂ってくる香辛料の刺激的な匂いや、焼きたてのパンの芳香。ルゼリアの静寂とは正反対の、命の熱量が渦巻く巨大な坩堝がそこにはあった。
大通りに面して立ち並ぶ大きな建物、色々な店や宿、飲食店があるみたいだ。
小さな俺の視点から見上げると、通りの両側に並ぶ三階建て、四階建ての建物は、まるで天を突く巨人のように見えた。看板には、見たこともないような魔導具の紋章や、異国の文字が躍っている。窓辺には色とりどりの花が飾られ、大通りを行き交う人々は、高価そうな絹のローブを纏う魔術師から、武骨な革鎧を装備した冒険者まで多種多様だ。
前世の記憶にある「都市」の喧騒を、俺は不意に思い出した。けれど、ここには排気ガスの匂いもアスファルトの無機質さもない。代わりに、空気そのものが魔力の粒子を帯びて微かに震えているような、そんな幻想的な高揚感が支配している。
俺は馬車の窓から身を乗り出さんばかりにして、流れる景色を瞳に焼き付けた。
「……凄い。本当に、別世界だ」
俺が独り言のように呟くと、リリィ先生は満足げに目を細めた。
「そうですね。ここは帝国でも魔術と知恵と富が集まる心臓部。ルゼリアで学んだことが、この広い世界の中でどれほどの意味を持つのか。それを見極めるには絶好の場所ですよ」
大通りを進むにつれ、建物の密度はさらに増し、その先には街のどこからでも見えるであろう、二つの巨大な建物が姿を現した。
奥には高い建物と大きな城。
一つは、雲を突くような鋭い尖塔を持つ、白亜の巨塔。もう一つは、山そのものを削り出したかのような堅牢さと、芸術的な美しさを兼ね備えた壮麗な城塞。それらは、信仰と権力、そして学問の頂点として、イーストレイクの空を二分していた。
俺はその圧倒的なスケール感に息を呑み、思わずリリィ先生に問いかけた。
「リリィ先生にあれは何ですか?」
リリィ先生は窓の外を指差し、魔術教師としての穏やかな、けれど誇らしげな口調で説明を始めた。
「左の高い建物は教会です、正式にはイレンティア大聖堂と言います」
白亜の塔の頂点には、イレンティア大聖堂の象徴である聖なる紋章が刻まれ、その周囲を無数の白い鳥が舞っている。そここそが、エアリスのお母さんを救う「聖水」が眠る、奇跡の総本山なのだ。
「右の大きな城はこの街の行政府、街を取り仕切る役場とこの街の研究機関があるのと、街を治める長がいます」
その城は、単なる住居ではなく、帝国の知性を支える心臓部としての機能も持っているという。複雑な行政手続き、そして最先端の魔術研究。そのすべてがあの石造りの巨城の中で行われているのだ。
「ちなみに私の研究室もあの城の中にあります。他の街にも私の研究室はありますよ」
リリィ先生がさらりと言ってのけたその一言に、俺は改めてリリィ先生が別格なのだと思い知らされた。特級魔術師。それはこの巨大な都市においてさえ、城の中に一室を構えるほどの権威なのだ。しかも「他の街にもある」という。リリィ先生という女性が、この世界でどれほど重要視されている存在なのか、小さな俺は改めて背筋が伸びる思いがした。
「……まずは、長旅の疲れを癒やしましょうか。お腹も空いたでしょう?」
リリィ先生が優しく俺の頭を撫でる。
門を潜り、イーストレイクの街の洗礼を受けた俺の心臓は、いまだに激しい鼓動を刻んでいた。けれど、リリィ先生の温かな掌に触れ、俺は少しずつ、この街の一部へと溶け込んでいく自分を感じていた。
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