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エアリス編 第五章 エアリスの異変③ ルーメンの決意

 リリィ先生、そして父ランダルとの話し合いを終え、僕の人生初となる「遠征」は翌朝に決まった。

 夕食を終えた後、僕は自室のベッドの上に小さな革の鞄を広げた。五歳の僕にとっては、その小さな鞄ですら重厚な旅の道具に見える。

 その日の夜、荷造りの手伝いを母さんに、イーストレイクの街について、両親から教えてもらった。

 母リオラは、僕の着替えや薬草を丁寧に畳みながら、ルゼリアの穏やかな暮らしの中では決して聞くことのなかった「外の世界」の姿を語り始めた。

 「ルーメン、お前がこれから向かう場所は、この小さな村とは何もかもが違うのよ。気を引き締めて行かなければいけません」

 母の優しい手が、僕の茶色の髪を撫でる。その温もりに安堵しながらも、僕はこれから足を踏み入れる未知の領域に対する期待と不安で、胸が高鳴るのを感じていた。

 父ランダルも傍らに座り、厳しい表情の中に息子への信頼を滲ませながら口を開いた。

 イーストレイクはイースター帝国の主要都市の一つで、ウエスター帝国との交流も盛んな都市で、魔術の研究が盛んに行われている。

 帝国同士の国境近くに位置するその街は、物流の要所であると同時に、世界中から知識欲に飢えた魔術師たちが集う「魔導の最先端」なのだという。



 父さんの語るイーストレイクの姿は、五歳の僕の想像力を激しく刺激した。

 特色として、武器などに魔法効果を付与したり、魔道具や魔法鉱石の販売に特化したりしている。

 そこでは、剣に炎の属性を宿らせたり、持っているだけで体力を回復させるような魔石が日常的に取引されているという。ルゼリアではリリィ先生の授業でしか触れることのできない高度な魔導が、その街では産業として成立しているのだ。

 だが、僕たちが向かう本当の目的地は、市場ではなく教会の奥深くにある。

 教会は癒し魔術の神位の神官がいて、病や怪我の治療と聖水の販売、神への祈りがささげられている。

 教会の最深部に鎮座する「神位」の神官。それは、リリィ先生のような攻撃魔術の達人とはまた別の意味で、人知を超えた奇跡を操る存在だ。彼らが精製する聖水こそが、エアリスのお母さんを救う唯一の希望なのだ。

 しかし、その希望にはあまりにも残酷な対価が必要だった。

 ただし、神官の治療は神位の癒し魔術のため高価で、聖水もかなり効果が高いため、庶民にはなかなか手が出せないらしい。

 「神の慈悲は平等ではないのか」という疑念が、僕の脳裏をよぎる。高価な寄付金を積める貴族や大商人だけが奇跡を享受し、ゼフィラ家のような困窮した家庭は見捨てられる。そんな不条理な現実が、華やかな魔都の裏側に厳然として存在しているのだ。

 「だからこそ、リリィ先生の『つて』が必要なのよ」

 母さんの言葉に、僕は改めて今回の旅の重みを噛み締めた。


 さらに、父さんは僕の目を真っ直ぐに見据え、最も警戒すべき「実体のある脅威」について釘を刺した。

 街や村の外は、警備の兵士がいないので、魔物もいるが、リリィ先生の魔術があれば、問題ないが、俺の魔術レベルでも通用する程度の魔物らしい。

 魔物。

 前世のフィクションの中だけの存在ではなく、この世界では人命を脅かす、生きた悪意。その言葉が僕の耳に届いた瞬間、心臓の鼓動が不自然に早まった。

 魔物と聞いて、今まで見たことがないので、ちょっと恐怖心が出たが、  五歳の身体が持つ本能的な拒絶反応が、僕の指先を微かに震わせる。

 けれど、父さんは僕の肩に大きな掌を置き、その震えを鎮めるように力を込めた。

「落ち着け、ルーメン。お前がこれまで積み上げてきた修練は、決して嘘をつかない。お前には、自分を守り、他人を守るための力が備わっている」

 父の低い声が、僕の心に一本の芯を通した。

 落ち着いて魔術を出せば大丈夫と言われたし、リリィ先生がいるので、落ち着いた。

 そうだ。僕には無詠唱という特権があり、全属性の上位魔法さえもこの手に宿している。そして何より、特級魔術師であるリリィ先生が隣にいてくれるのだ。

 恐怖が消えたわけではない。けれど、その恐怖を抱えたまま、一歩前に進むための覚悟が定まった。



 荷造りを終え、両親に「おやすみなさい」を告げて自室に戻った。

 窓の外を見上げると、ルゼリアの空には満天の星が輝いている。けれど、その静寂の向こうには、身体が風に溶けゆくという残酷な運命に抗っているエアリスがいるのだ。

(待っていてくれ、エアリス。……君の涙も、お母さんの病も、全部僕が何とかしてみせるから)

 僕は自分の右手の掌をじっと見つめた。

 言葉を発せずとも、僕の意思に従って寄り添う白銀の魔力。この力が、誰かを救うためのものであると信じたい。

 五歳の少年にとって、明日の出発は世界の終わりと始まりを同時に迎えるような、巨大な転換点となるだろう。

 僕は早めにベッドに潜り込み、深く、静かな呼吸を繰り返した。

 出発は明朝、日が昇る前の暗い時間。

 数時間後には、僕は初めてこの平和な家を離れ、未知なる戦場へと向かう。

 枕元に置いた鞄の重みを感じながら、僕は深い眠りの淵へと沈んでいった。その夢の中には、再び、赤紫色の長い髪を揺らして、屈託なく笑うエアリスの姿があった。


最後まで読んで頂きありがとうございます


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