学院1年セリナ編 第六十八章 カルディの異変② カルディのプライド
一方、会場の反対側でも、同じように人の輪ができていた。
準優勝者……カルディ・ハクエ・サランディーノの周囲だ。
敗者でありながら、その場に集まる視線は多い。
公爵家次男という立場、整った容姿、そして最後まで優勝者と互角に渡り合った剣術。そのすべてが、称賛と好奇の対象になっていた。
「惜しかったな」「あの一本、すごかった」「勝つと思ってたんだけどな……」
慰めと称賛が入り混じった言葉が、次々と投げかけられる。
カルディはそれらを、静かな笑みで受け止めていた。
だが、その笑みの奥で、感情は静かに荒れていた。
(負けた……)
事実はそれだけだった。
剣術大会で、セリナに敗れた。それ以上でも以下でもない。
しかし、カルディにとっては、それがすべてではなかった。
(負けた、だけじゃない)
視線の先に、女子生徒たちに囲まれるセリナの姿が見える。
優勝者として称えられ、堂々と立つその姿。
その距離が、やけに遠く感じられた。
セリナもまた、カルディの方へ視線を向けかけたが、すぐに逸らす。
近づこうにも、あまりに多くの人が間に入り込んでいる。
声をかけるには、場が違いすぎた。
話すべき言葉があったとしても、それを許す空気ではなかった。
……近くにいるのに、話せない。
その事実が、二人の間に、はっきりとした境界線を引いていく。
この瞬間を境に、
同じ舞台に立っていたはずの二人の距離は、目に見えない形で、確実に広がり始めていた。
その日の喧騒が引いても、セリナの胸の奥に残った違和感は消えなかった。
優勝の余韻は確かにある。剣士としての誇りも、達成感も、本物だ。
それでも……。
(……あのままで、よかったのかな)
カルディの姿が、何度も脳裏に浮かぶ。
敗者として人に囲まれ、笑みを浮かべていた横顔。その奥にあった感情を、セリナは見抜けなかった。
直接、話すべきだった。
そう思っても、あの場ではどうしようもなかった。
だからこそ、セリナは「文字」を選んだ。
手紙なら、誤魔化さずに伝えられる。
感情に流されず、自分の考えを整理できる。
机に向かい、何度も書き直しながら、ようやく言葉を綴る。
――別れるって言ったけど、本気で言ったつもりじゃなかった。
――あなたに剣術に打ち込んでほしくて、つい口走ってしまった。
――あんな言い方をして、ごめんなさい。
謝罪と、後悔と、言い訳。
そして、まだ完全には断ち切れない想い。
セリナ自身も分かっていた。
これは「正しい伝え方」ではないかもしれない、と。
けれど、今の自分にできる精一杯だった。
手紙を封に入れ、届ける段になって、ほんの一瞬だけ、迷いが生じる。
それでも、セリナは差し出した。
この言葉が届けば、きっと……。
そう信じたかった。
だが、セリナは知らなかった。
この選択が、二人の距離を縮めるどころか、決定的に引き裂くことになるとは。
セリナは、直接話すことができない現状に、胸の奥が締めつけられるのを感じていた。
優勝の余韻がまだ学院を包んでいる中で、カルディの周囲には人が絶えず、近づこうにも声をかけられる雰囲気ではなかった。
だから……手紙を書くしかなかった。
そこには、セリナなりに選び抜いた言葉が綴られていた。
別れるつもりで言った言葉ではなかったこと。
カルディに剣術に打ち込んでほしかっただけだということ。
強くなってほしい一心で、つい口走ってしまったこと。
そして、素直な謝罪。
だが、その手紙を読んだカルディの胸に湧き上がったのは、安堵でも理解でもなかった。
……見下された。
そう感じた瞬間、彼の内側で何かが鋭く音を立てて崩れた。
剣で負けたことよりも。
恋を拒まれたことよりも。
「強くなってほしかったから」という言葉で整理されたことが、カルディのプライドを深く傷つけた。
公爵家の次男として、選ばれる側であり続けてきた自分が、
努力の方向性を指示され、評価され、突き放された……そう受け取ってしまったのだ。
カルディは、それ以降、セリナを意識的に避けるようになった。
それは怒りというよりも、傷ついたプライドを守るための、防衛だった。
カルディの中で膨らんでいった感情は、単なる悔しさではなかった。
剣で負けたことが原因ではない。
地方領主の娘に振られたことでもない。
……プライドを傷つけられたこと。
それこそが、怒りの正体だった。
自分は強い。自分は選ばれる存在だ。自分は、尊敬される側であるはずだ。
その確信を、セリナの言葉は正面から否定した。
しかも、同情や謝罪という形で。
カルディにとって、それは敗北以上の屈辱だった。
誇りではなく、自尊そのものを踏みにじられた感覚。
その瞬間から、彼の中で世界の見え方が変わり始める。
自分が命じれば、相手は従うべきだ。
自分が中心であるのは当然だ。
逆らわれる理由など、どこにもない。
そう思い込むことでしか、傷ついたプライドを保てなくなっていた。
変化は、あまりにも些細なところから始まった。
最初にカルディが気づいたのは、自分の言葉が、以前よりもはっきりと周囲に届いているという感覚だった。
「それ、取ってきてくれないか」
ただそれだけの一言。命令でも、強制でもない。けれど、声をかけられた生徒は一瞬も迷うことなく動いた。
……まあ、当然だ。
カルディはそう受け止めた。
自分の立場、家柄、これまで築いてきた評価を考えれば、人が従うのは自然なことだと。
次第に、その「当然」は回数を増していく。
頼めば、応じる。断られることは、まったくない。むしろ、相手の方から顔色をうかがい、先回りするようになった。
カルディは、それを魅力だと思った。
剣術の実力と、公爵家の名。それらが合わさった結果だと、疑いもしなかった。
だが、周囲の反応には、どこか不自然なところがあった。
目が合うと、わずかに焦点がずれる。
返事が、ほんの一拍遅れる。
それでも最終的には、必ず「はい」と言う。
意志があるようで、ない。考えているようで、考えていない。
それを異様だと感じる感覚は、カルディの中にも、かすかに存在していた。
だが、その違和感はすぐに打ち消された。
……俺が特別だからだ。
そう思うことで、傷ついたプライドは、再び形を保つことができた。




