学院1年セリナ編 第六十三章 ルーメンの誕生日② 誕生日という区切り
母さんの言葉で、食卓に少しだけ静かな空気が流れた。その沈黙を破るように、父さんがわざとらしく咳払いをひとつする。
「おいおい、母さん。今日は祝いの席だろ」
そう言って、父さんは俺の方を見て、にっと笑った。その笑顔は、いつも通り豪快で、迷いがなくて、場の空気を一気に現実へ引き戻す力があった。
「ルーメン、十二歳の誕生日おめでとう」
改めて向けられるその言葉は、さっきまでの家族の温度とは少し違う。父としてではなく、一人の大人として、俺を見ている視線だった。
「もう立派に育ったな。正直言って、父さんを超えるくらいの力も、もう持ってる」
冗談めかしているようで、言葉の芯は真剣だった。父さんは俺を過大評価する人じゃない。できないことはできないと言うし、未熟なところは容赦なく指摘する。その父さんが、こう言い切るということの重さが、胸に響いた。
「だからな、何も心配しちゃいない」
その一言で、肩の力が少し抜ける。期待されることは嬉しいけれど、期待だけを背負わされるのは、正直きつい。父さんの言葉は、「信じている」という形で、俺を支えていた。
「職業判定がどう出ても関係ない」
その言葉に、俺は思わず父さんを見る。職業判定は、この世界では進路を左右する大きな節目だ。多くの人が、そこで自分の可能性を決めつけられる。
「どんな結果でも、リリィ先生についていって、魔術の道を極めなさい」
父さんは迷いなくそう言った。
「父さんは、信じてるぞ」
それは命令じゃない。期待でも、義務でもない。選択を、俺に委ねた上での信頼だった。自分の息子が、自分で選び、その道を歩いていけると、はっきり信じている声だった。
(……ああ)
胸の奥が、じんわりと熱くなる。父さんは、俺を「守るべき子供」としてではなく、「自分で道を歩ける人間」として見ている。その視線が、何よりも嬉しかった。
父さんの言葉は、未来を縛らない。どんな結果でも受け止めるという覚悟が、最初から含まれている。だからこそ、俺は逃げずに前を向ける。
誕生日の祝いの言葉としては、少し重たいかもしれない。でも、それが父さんなりの祝福だった。力を持ったことを喜び、進む道を信じ、背中を押す。
俺は、父さんの言葉を胸の中でゆっくりと噛みしめた。十二歳になるということは、ただ年を重ねることじゃない。信じてもらえる段階に入ったということなのだと、父さんの言葉が教えてくれていた。
父さんの言葉が胸に残ったまま、しばらく誰も箸を動かさなかった。祝いの席なのに、空気は静かで、けれど重たくはない。むしろ、今この場にいる全員が、同じ節目を意識しているような、不思議な一体感があった。
俺は一度、深く息を吸った。何か言わなければいけない気がした。祝ってもらって終わりにするには、あまりにも多くのものを受け取っている。
「みんな、ありがとう」
そう口に出すと、思っていたよりも声が落ち着いていた。感情が溢れて言葉が詰まることもなく、ただ自然に、今の気持ちが出てきた。
「ここまで育ててくれて、感謝してる」
それは形式的な言葉じゃない。父さんと母さん、そしてエレナとセリナがいたから、今の俺がいる。その事実を、ようやくちゃんと口に出せる年齢になったのだと思う。
「父さんが言ったみたいに……職業判定がどう出ても」
その言葉を口にした瞬間、自分の中で覚悟が一段、はっきりした。判定の結果に振り回されるのではなく、結果をどう使うかを選ぶ。その立場に、自分は立とうとしている。
「リリィ先生のもとで、魔術を極めていくよ」
そう言い切ったとき、胸の奥がすっと静かになった。迷いが消えたわけじゃない。怖さがなくなったわけでもない。でも、進む方向だけは、もう揺らいでいない。
父さんは黙ってうなずき、母さんは少し目を潤ませて微笑んだ。エレナは、何となくよく分かっていない顔をしながらも、俺の決意を受け止めるように、こくりと首を縦に振る。
(俺は……選んだんだ)
選ばされたのではなく、自分で選んだ。家族に支えられ、背中を押され、その上で、自分の意思として口にした言葉だった。
「だからさ、これからも、頑張るよ」
その一言で、食卓の空気が少し和らいだ。祝いの席らしい温度が、ようやく戻ってくる。料理の湯気も、家族の声も、全部がいつも通りで、でもどこか違って見えた。
十二歳の誕生日は、単なる通過点じゃない。これまでの時間を受け取り、これからの道を自分の言葉で選び取る日だった。感謝と宣言が、同時に成立する日だった。
食事が進み、いつものような会話が少しずつ戻ってきても、俺の中では、さっき口にした言葉が静かに反響していた。祝われているはずなのに、どこか自分の内側を見つめ直している感覚がある。
(十二歳、か)
数字として見れば、ほんの一つ増えただけだ。でも、意味は違う。学院、職業判定、研究室。これまで遠くにあった言葉が、もう目の前に並び始めている。誕生日は、その境目に立つための合図みたいなものだった。
これまでは、守られる側だった。父さんと母さんが決めた道を歩き、危ないことがあれば止められ、失敗すれば庇われてきた。その安心が、当たり前だと思っていた。
でも、今日からは違う。
守られるだけじゃなく、選ぶ側になる。背負わないといけないものが増える。その代わり、自分の意思で進める範囲も、確実に広がっていく。
(……不思議だな)
怖さはあるのに、逃げたいとは思わなかった。むしろ、心の奥が少しだけ軽くなっている。自分の進む道を言葉にしたことで、曖昧だった輪郭が、はっきりしたからだろう。
食卓の向こうで、家族が笑っている。いつもと同じ光景なのに、どこか違って見える。変わらない日常があるからこそ、変わっていく自分を受け入れられるのだと、初めて分かった気がした。
誕生日は、祝われる日だと思っていた。でも本当は、自分自身に問いかける日なのかもしれない。これから何を選ぶのか、何を守りたいのか、その覚悟を静かに確かめるための日。
(俺は……前に進む)
学院へ行く。研究室に入る。魔術を極める。その道は、もう決まっている。あとは、その道をどう歩くかだけだ。
そう考えると、胸の奥に、小さく、でも確かな火が灯るのを感じた。派手じゃないけれど、消えない火だ。この火を頼りに、次の場所へ行けばいい。
十二歳の誕生日は、何事もなく、静かに過ぎていく。けれど確かに、俺の中で何かが切り替わった。その感覚を胸に刻みながら、俺はこの一日を終えようとしていた。




